王子殿下の慕う人

夕香里

文字の大きさ
上 下
54 / 150

注意事項

しおりを挟む
「────嬢。エレーナ嬢着いたよ」

「もう……ですか」

体感的にはそれほど経っていない。
瞼を擦りながら瞳を開ければ、間近に侯爵の顔があった。息を吐けば相手にそれが届きそうなほど。一瞬ドキッとする。

「うん」

いつの間にか馬車は止まって、窓からは森林が見えていた。
小さく伸びをして、バスケットを持つ。開けられた扉から先に侯爵が外に出て、エレーナに手を差し出した。

「ありがとうございます」

その手を掴んで外に出ると、新緑の香りがした。空気が澄んでいる。遠くから小鳥のさえずりが聞こえた。

この国は夏が短く、秋が長い。王宮で開かれた夏の舞踏会から1ヶ月しか経っていないが、既にあちらこちらで紅葉が始まっている。

「天幕まで案内するよ。あと、狩りの間注意して欲しいことがある」

「何でしょう?」

「今回の天幕……自由ではないんだ。何処に誰が入るのか指定されている」

「そうなのですか」

普段だったら自由なのになにかあるのだろうか。

「エレーナ嬢は爵位と年齢的にジェニファー王女と同じ天幕になる可能性が高い。あと君の友人のラバト公爵の奥方達とも一緒だろう」

王女と一緒になるなら……粗相をしないように気をつけなければ。友人達との気軽な会話もできないだろう。

先に教えてくれた侯爵に感謝しなければならない。心の準備ができているか出来てないかで、その後の行動が変わってきたりするから。

他国の王族の前で変な真似はできない。そんなことしたらこの国の貴族の品位までもが疑われてしまう。そうなると結果的にリチャード殿下やミュリエル様にも迷惑をかけてしまう。それだけは何としても避けたかった。

「これは他の人には言わないで欲しいんだが、ジェニファー王女はこちらの国の言語が苦手らしい。そしてあちらの国の慣用的にヴェールで顔を隠している」

後者は知っている。なぜなら式典の際にヴェールで顔を隠しているのを見たからだ。前者は仕方の無いことだろう。隣国と言っても国が違う。言語だって変わってくる。

エレーナは少しだけ隣国の言語を齧った程度だが、単語や発音が全く違くて覚えるのをやめてしまおうかとも思ったことがある。最終的に周りの人に必要になるからと無理やり覚えさせられたが……。二度とあの経験はしたくなかった。

他言語は覚えれば覚えるだけ発音が混ざってややこしくなる。

分かっていると頷けば、侯爵は声のトーンを落として話を続ける。

「加えて王女殿下は人見知りが激しい。同じ天幕になった場合、急に近くにいかないようにしてくれ」

「分かりました。覚えておきます」

式典の時のジェニファー王女はそんな風に見えなかった。凛としていて芯の強い方だと思ったのだが……遠くからだったのでそう感じただけだろうか。

ヴォルデ侯爵の主──リチャード殿下はジェニファー王女の滞在中、彼女の応対を陛下や王妃様に変わってこなしている。

だから彼もジェニファー王女のことをよく知っているのだろう。でなければ、王女殿下の弱点となるようなこんな細かいことまで知っているはずがない。

「あとは……王女がいるから騎士が普段よりも人数が多いのと……エレーナ嬢」

急に真剣な目付きになった侯爵を見て、小首を傾げる。

「今日は絶対に、出来る限り1人になってはいけないよ。ほら! 血の気が騒いでいる子息達が誤射して天幕の方に矢や弾丸が来るかもしれない。1人でいると流矢に当たって動けなくなった場合、治療が遅れてしまうからね」

誤射をする可能性は残念ながら少ないとは言えない。過去の大会でも度々起きている。怪我人だって出たことがある。軽傷から重症までそれはその時になってみないとわからない。

幸い死者は出ていない。どんな怪我であろうとすぐに治療ができるよう医師が控えているからだ。ナイトの中にも医者がいて、狩りの最中でも治療にあたる。

そんなこと言っても頻繁に起きていることではなかった。エレーナの周りでそれで怪我をした人はいない。気をつけるに越したことはないが、それほど神経質にならなくてもいいだろう。

──人を守る騎士……だからかしら? こんなに心配しているのは。

「大丈夫ですよ。いつも天幕から出ることはないので」

「それならいいんだ」

ヴォルデ侯爵は安堵したかのように息を吐いた後、エレーナのバスケットを代わりに持って、歩き出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

【コミカライズ決定】契約結婚初夜に「一度しか言わないからよく聞け」と言ってきた旦那様にその後溺愛されています

氷雨そら
恋愛
義母と義妹から虐げられていたアリアーナは、平民の資産家と結婚することになる。 それは、絵に描いたような契約結婚だった。 しかし、契約書に記された内容は……。 ヒロインが成り上がりヒーローに溺愛される、契約結婚から始まる物語。 小説家になろう日間総合表紙入りの短編からの長編化作品です。 短編読了済みの方もぜひお楽しみください! もちろんハッピーエンドはお約束です♪ 小説家になろうでも投稿中です。 完結しました!! 応援ありがとうございます✨️

【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

112
恋愛
伯爵家同士の結婚、申し分ない筈だった。 エッジワーズ家の娘、エリシアは踊り子の娘だったが為に嫁ぎ先の夫に冷遇され、虐げられ、屋敷を追い出される。 庭の片隅、掘っ立て小屋で生活していたエリシアは、街で祝祭が開かれることを耳にする。どうせ誰からも顧みられないからと、こっそり抜け出して街へ向かう。すると街の中心部で民衆が音楽に合わせて踊っていた。その輪の中にエリシアも入り一緒になって踊っていると──

このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。

若松だんご
恋愛
 「リリー。アナタ、結婚なさい」  それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。  まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。  お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。  わたしのあこがれの騎士さま。  だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!  「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」  そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。  「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」  なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。  あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!  わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!

夫に相手にされない侯爵夫人ですが、記憶を失ったので人生やり直します。

MIRICO
恋愛
第二章【記憶を失った侯爵夫人ですが、夫と人生やり直します。】完結です。 記憶を失った私は侯爵夫人だった。しかし、旦那様とは不仲でほとんど話すこともなく、パーティに連れて行かれたのは結婚して数回ほど。それを聞いても何も思い出せないので、とりあえず記憶を失ったことは旦那様に内緒にしておいた。 旦那様は美形で凛とした顔の見目の良い方。けれどお城に泊まってばかりで、お屋敷にいてもほとんど顔を合わせない。いいんですよ、その間私は自由にできますから。 屋敷の生活は楽しく旦那様がいなくても何の問題もなかったけれど、ある日突然パーティに同伴することに。 旦那様が「わたし」をどう思っているのか、記憶を失った私にはどうでもいい。けれど、旦那様のお相手たちがやけに私に噛み付いてくる。 記憶がないのだから、私は旦那様のことはどうでもいいのよ? それなのに、旦那様までもが私にかまってくる。旦那様は一体何がしたいのかしら…? 小説家になろう様に掲載済みです。

筆頭婚約者候補は「一抜け」を叫んでさっさと逃げ出した

基本二度寝
恋愛
王太子には婚約者候補が二十名ほどいた。 その中でも筆頭にいたのは、顔よし頭良し、すべての条件を持っていた公爵家の令嬢。 王太子を立てることも忘れない彼女に、ひとつだけ不満があった。

【完結】わたしが嫌いな幼馴染の執着から逃げたい。

たろ
恋愛
今まで何とかぶち壊してきた婚約話。 だけど今回は無理だった。 突然の婚約。 え?なんで?嫌だよ。 幼馴染のリヴィ・アルゼン。 ずっとずっと友達だと思ってたのに魔法が使えなくて嫌われてしまった。意地悪ばかりされて嫌われているから避けていたのに、それなのになんで婚約しなきゃいけないの? 好き過ぎてリヴィはミルヒーナに意地悪したり冷たくしたり。おかげでミルヒーナはリヴィが苦手になりとにかく逃げてしまう。 なのに気がつけば結婚させられて…… 意地悪なのか優しいのかわからないリヴィ。 戸惑いながらも少しずつリヴィと幸せな結婚生活を送ろうと頑張り始めたミルヒーナ。 なのにマルシアというリヴィの元恋人が現れて…… 「離縁したい」と思い始めリヴィから逃げようと頑張るミルヒーナ。 リヴィは、ミルヒーナを逃したくないのでなんとか関係を修復しようとするのだけど…… ◆ 短編予定でしたがやはり長編になってしまいそうです。 申し訳ありません。

処理中です...