王子殿下の慕う人

夕香里

文字の大きさ
上 下
32 / 150

月下の元で(2)

しおりを挟む
「何か保護するものは?」

「包帯が……ありますけど……」

薄い少し土で汚れた包帯を差し出せば、ヴォルデ侯爵は慣れた手つきで優しく巻き直してくれる。

「ありがとうございます」

「これくらいお安い御用だよ」

キツすぎもせず、緩くもない丁度いい塩梅で巻いた包帯を、最後に蝶結びしたヴォルデ侯爵はエレーナの隣に腰掛けた。

「ヴォルデ侯爵様は何故ここに?」

「たまにお酒に酔って水の中に飛び込む連中がいるのを知っているかい?」

ああ、聞いたことがある。毎年羽目を外して水の中に飛び込む輩がいると。そして大体水が冷たすぎるのと、お酒が回っていてはしゃぎすぎで風邪を引いてしまう人が続出すると。

「知っていますが……それは……」

「じゃあ分かるだろう? おかしな真似をして、飛び込んだ者を介抱するものが必要になる」

酔っている人ほど融通が利かない。話を聞かない。会話をするのにも精神的に疲れてしまう。お父様がベロンベロンに酔ってしまった時でさえ、介抱するのに苦労した。何を思ったのか、暴れだしたのだ。使用人が数人がかりで取り押さえ、無理やりベッドに縛り付けた。
エレーナはそれを邪魔にならないくらいの距離でずっと観察していたのを覚えている。

あの時の醜態は、お母様が定期的に掘り返してはお父様に釘を刺す道具として使われている。いい加減やめて欲しいとお父様は言うが、多分死ぬまで無理だろう。早く諦めた方がいい。

身内でさえ苦労するのに、見知らぬ人の相手をするのは……とても大変そうだ。

「──わたしは騎士だからね。そういう理由もあってこの場所も警備対象なんだよ。今はちょうど見回りに来たところ」

その言葉に腰の付近を見れば、黒い柄に入った剣を携帯している。

──そういえばヴォルデ侯爵家は騎士団の家だったわ

国に為に仕える──黒の騎士団。

その団長を代々担っているのがヴォルデ侯爵家だ。団長を務めるだけあって、剣術も一流。独自の秘伝の技も受け継がれているようで、今代のアーネスト様に至っては、年に1回開かれる剣術大会で初出場から無敗の御方だ。

遠くからだが決勝の試合を観戦した際、あっさりと相手を倒していたのを観たことがある。
軽やかに、重みがあるはずの剣をリボンみたいになめらかに動かし、相手の首筋にあてる。
たちまち青ざめる対戦相手と、造作もないという感じに観客に向かって頭を下げる侯爵の差が印象的だった。

観てるエレーナからしたら、もはや剣術ではなくて、舞踏のようだ。

そのせいで騎士の一部からは、ヴォルデ侯爵を殿堂入りとしてトーナメントから除外し、エキシビションのみにして欲しいと嘆願書が出ているらしい。
主催者側も他の騎士のことが気の毒に思えたのか、ヴォルデ侯爵を殿堂入りさせる方向で話は進んでいる。

元々の剣術大会の主旨は、騎士の原石を探すためのものだから、その案はちょうどいいのかもしれない。

「酒に酔った男達を引き上げるのは毎度大変なんだよ。今日は運がいいのか悪いのか男どもではなくてエレーナ嬢がいたが。さすがに君は水の中に入らないよな?」

──夏だが冷たい水だぞ? 深いから死ぬぞ? 助けるの大変なんだからな?

と言いたいのか真剣な目付きのヴォルデ侯爵の様子にエレーナは今日初めて、心の底から笑った。

「ふふっ。そんなことするはずがありませんわ」

久方ぶりに心から笑えた気がする。ちょっぴり瞳から零れた涙を拭いながら答えた。

「それなら良かった。なら君はこんな辺鄙なところにいないで会場に戻りなさい。君の父上であるルイス公爵達が探していたよ」

先に立ち上がり、エレーナに手を差し伸べられる。

すると憂鬱な気分が戻ってくる。

戻ることは……できない。まだ舞踏会は終わってない。戻るとしたら──目的を達成しなければならない。

──あれ? そういえば目の前にいるのでは?

別に興味がある訳では無いが、容姿、爵位、年齢──全てに申し分ない相手。
半年も前だが、こちらが断りを入れてないから手紙も有効なはず。

「あのっ」

エレーナは決意した。最初はどこに嫁いでもいいと思っていたこの身だ。ここで決めてしまってもいいだろう。突拍子もない考えだが最早そんなことはどうでもいい。

騎士であれば優しく……とまではいかなくても、虐げることはないはずだ。

「なに?」

紫水の瞳がエレーナを映す。

「────私と婚約していただけませんか?」

月の明かりのしたで、彼女は勇気を振り絞った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

【完結】さよなら私の初恋

山葵
恋愛
私の婚約者が妹に見せる笑顔は私に向けられる事はない。 初恋の貴方が妹を望むなら、私は貴方の幸せを願って身を引きましょう。 さようなら私の初恋。

【完結】8年越しの初恋に破れたら、なぜか意地悪な幼馴染が急に優しくなりました。

大森 樹
恋愛
「君だけを愛している」 「サム、もちろん私も愛しているわ」  伯爵令嬢のリリー・スティアートは八年前からずっと恋焦がれていた騎士サムの甘い言葉を聞いていた。そう……『私でない女性』に対して言っているのを。  告白もしていないのに振られた私は、ショックで泣いていると喧嘩ばかりしている大嫌いな幼馴染の魔法使いアイザックに見つかってしまう。  泣いていることを揶揄われると思いきや、なんだか急に優しくなって気持ち悪い。  リリーとアイザックの関係はどう変わっていくのか?そしてなにやら、リリーは誰かに狙われているようで……一体それは誰なのか?なぜ狙われなければならないのか。 どんな形であれハッピーエンド+完結保証します。

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

伯爵令嬢は、愛する二人を引き裂く女は悪女だと叫ぶ

基本二度寝
恋愛
「フリージア様、あなたの婚約者のロマンセ様と侯爵令嬢ベルガモ様は愛し合っているのです。 わかりませんか? 貴女は二人を引き裂く悪女なのです!」 伯爵家の令嬢カリーナは、報われぬ恋に嘆く二人をどうにか添い遂げさせてやりたい気持ちで、公爵令嬢フリージアに訴えた。 彼らは互いに家のために結ばれた婚約者を持つ。 だが、気持ちは、心だけは、あなただけだと、周囲の目のある場所で互いの境遇を嘆いていた二人だった。 フリージアは、首を傾げてみせた。 「私にどうしろと」 「愛し合っている二人の為に、身を引いてください」 カリーナの言葉に、フリージアは黙り込み、やがて答えた。 「貴女はそれで構わないの?」 「ええ、結婚は愛し合うもの同士がすべきなのです!」 カリーナにも婚約者は居る。 想い合っている相手が。 だからこそ、悲恋に嘆く彼らに同情したのだった。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

手放したくない理由

ねむたん
恋愛
公爵令嬢エリスと王太子アドリアンの婚約は、互いに「務め」として受け入れたものだった。貴族として、国のために結ばれる。 しかし、王太子が何かと幼馴染のレイナを優先し、社交界でも「王太子妃にふさわしいのは彼女では?」と囁かれる中、エリスは淡々と「それならば、私は不要では?」と考える。そして、自ら婚約解消を申し出る。 話し合いの場で、王妃が「辛い思いをさせてしまってごめんなさいね」と声をかけるが、エリスは本当にまったく辛くなかったため、きょとんとする。その様子を見た周囲は困惑し、 「……王太子への愛は芽生えていなかったのですか?」 と問うが、エリスは「愛?」と首を傾げる。 同時に、婚約解消に動揺したアドリアンにも、側近たちが「殿下はレイナ嬢に恋をしていたのでは?」と問いかける。しかし、彼もまた「恋……?」と首を傾げる。 大人たちは、その光景を見て、教育の偏りを大いに後悔することになる。

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

処理中です...