王子殿下の慕う人

夕香里

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舞踏会の終焉

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「侯爵、本当に承諾したのか?」

「もちろん。ただし、正式に婚約を結ぶのは1ヶ月後ですね。閣下が拒否したい場合や、エレーナ嬢の気が変わるようならばその間に教えていただけると」

最初は彼からだが、此度のことはエレーナから彼に迫っていた。さきほどの発言からしてお父様も薄々気が付いているし、こちらからは断りにくいだろう。きっとヴォルデ侯爵もそれを分かっていて、お父様が拒否できるよう先に言ったのだ。

「……また後日正式な場で話を。今日のところは娘を治療のために連れて帰らねばならないので失礼致します」

これは帰ったら色々問いつめられそうだ。お父様の視線が痛い。

侯爵から解放されたエレーナは、父の方に寄る。

「ああ、くれぐれもリチャードには伝えないでください。彼には驚かせたいことがあるので。それに言ったらどうなるか分かりますでしょう」

「何故……いや、野暮な話はよそう。分かった。気付かれないようにする。エレーナ着いてきなさい」

「はい」

靴を履き直し、1度ヴォルデ侯爵に対して礼をする。

人がいる場所を避けてエントランスまで戻ってくれば、馬車は既に横付けされていた。

「エレーナだけ頼む」

乗り込んだことを確認し、お父様は御者に告げる。

「混乱したからヴォルデ侯爵にあんなことを言ったのだろう? 寝たら馬鹿なことをしたと気が付くはずだ。もう一度明日聞くから答えておくれ」

がっしりと肩を掴まれて無理やり目を合わせられる。

──お父様こそ混乱しているのではないかしら?

どうやらお父様はエレーナが狂ったと思っているらしかった。
座ったエレーナの頭に手を当てて熱を測ろうとしている。ひんやりとした手が気持ちよくて、瞳を閉じてされるがままになる。

言ったところで信じてくれないだろうが、エレーナは取り乱していた訳ではない。さすがにそこまで分別のない人間ではない。

自分の発言によってどうなるか理解して、責任を負う覚悟をして、彼に告げたはずだった。

最悪の場合、行き遅れのエレーナが必死の形相で迫ってきたと相手に悪評を立てられる可能性も考えた。まあ了承してくれたのでそんなゴシップが立つこともないだろう。誰もあの場にはいなかったし。

「分かりました。またあした、お父様に告げますね」

意思は固い。1日寝て起きたら変化しているような生半可な気持ちは抱いていない。

「…………エレーナ、君には……なんでもない」

そう言ってドアが閉められた。

何か言いたげで、でも、何も言わなかったお父様。言いたいことはなんだったのだろうか。見当もつかない。ただ、あるとするならば──花嫁が選ばれたのだろうか。

気になるが、仮にもしそうだと仮定して、会場で発表されたのならばもう終わったことだ。今更自分から首を突っ込む必要性もないだろう。自分の道は定まった。あとはそれを突き進むのみ。

恋心は消せない、無くせないと自覚したが、エレーナの感情を知っていてあの条件を出てきたヴォルデ侯爵なら、そのまま受け入れてくれる気がする。

彼の言った条件はそんなこと必要なのかと問い返してしまうような事だったが、何かしら考えがあるのだろう。

あくまでも、エレーナ自身にとってはというだけで、エリナ達ならまた違う感想を持つと思うが。

しかし自分にはもったいないくらいの殿方だった。提示された条件は不思議なものだけれど。

彼にとってこの婚約で得られる利はほとんどない。エレーナを悲しませたいと思っているのなら別だが……そんな素振りはないようだし。

滑り出した馬車はスピードを上げて帰路をゆく。

自分以外誰も乗っていないので、はしたないが靴を脱ぐ。
窮屈さから解放され、足の包帯を取った。

確か車内にお母様が置いている薬籠があったはずだ。その中に薬と一緒に包帯も入ってたはず……。

座席の下の荷物入れを漁れば、すぐに固い箱のようなものに手が当たった。

取り出して、膝の上に乗せる。心許ない月明かりのみで目当てのものを見つける。

「あった!」

瓶に入った軟膏に、使いやすいように細かく切られたガーゼ、テープ、そして清潔な包帯。

まず最初に切り傷になっている部分に軟膏を薄く塗る。次に上から傷口をガーゼで覆ってテープで止める。最後に包帯でグルグル巻きにすれば簡易処置は終了。

──またこんな夜更けなのにまたお医者様を呼ぶことになるわね……。今はようやく寝付いたころでしょうに。安眠を妨害してしまうわ。

出る前、お父様が御者に医者を呼ぶよう言付けたのが聞こえた。ルイス家専属のお医者様は結構歳をとっている。出来れば老体に悪い影響を与えることは避けたいが、エレーナが馬車から降りたらきっとすぐに御者がお医者様の元に足を運ぶだろう。

──叩き起すことにならなければいいのだけれど

エレーナは両足に処置を施したあと、ずっと意味もなく窓の外を眺めていた。

門をぬけ、丘を下り、城下町を通り抜けて、小道に入る。そこまで来ると煉瓦道だった所が整備されてない土の道になる。

木々の間をすり抜けるように進み、鉄製の門の前まで来ると、一旦馬車は停止して、御者が門を開けに行った。

少し待てばぎいぎいと錆び付いた音を立てながら、左右に大きく開かれ、再び馬車は走り始める。

徐々に灯りが増えていく。窓に反射して眩しさに目を細める。暖かい、居心地がよさそうな、柔らかな光の集まりが見えてくる。

一際大きい樹齢数百年の大樹を通り越せばもう間近だ。

聳える屋敷──我が家のルイス公爵邸。

馬車から降りれば使用人達が勢揃いで迎えてくれた。
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