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婚約の条件
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「ええ?! ここで今言うの?」
ヴォルデ侯爵は仰け反って驚いた。
突拍子もないことを言った自覚はある。
タイミングもおかしいだろう。
それでもここで言わなければエレーナはいつまで経っても婚約出来なさそうで、うだうだとなるのが分かっていたから言ったのだ。
「はい。そもそもそちらがこちらに先に、縁談を申し込んだのですから拒否しませんよね?」
ずいっと近寄って圧をかければヴォルデ侯爵は1歩後ろに下がる。その後ろはもう湖面で、落ちるか落ちないかの瀬戸際。
彼に逃げ場は……ない。
「そりゃあそうだけど……君に申し込んだのは……絶対に拒否されるから都合がいいと……父上が誰でもいいから縁談を申し込めとか言ったから」
何かボソボソと侯爵は言う。その間エレーナの心臓はドクンドクンと大きく波打っていた。これでも口に出した言葉に恥んでいるのだ。
夜に紛れているので分かりにくいが、頬は火照り、手先は震えている。
自分から言ってしまった。拒否されるかしら? やっぱりダメかしら? こんな行き遅れの令嬢よりももっと若い子の方がいいわよね、あぁなんで私こんな変な所でこの話題を。
何も返してこない侯爵によってエレーナの思考はネガティヴになっていく。元々エレーナの思考はネガティヴになりやすかった。それが彼女の悪い癖でもあり、勘違いやすれ違いを引き起こすひとつの要因。
コツンと足に当たった何かに目を向けると靴だった。そういえばエレーナはまだ裸足だ。慌てて履き直せば、ヒールの高さで負担がかかり、先程まで感じてなかった激痛で座り込みそうになる。
「えーと、エレーナ嬢」
「はい。なんでしょう」
ジンジンと痛む足に冷や汗をかきながら平然を装う。
闇夜に熔ける彼の瞳がエレーナを見据えて、金と紫の瞳は月と夜のように溶け合って混ざり合った。
「警備の関係で中にも少しの間いたが……君は慕う殿方がいるんじゃないのか」
知っているはずなのにあえて侯爵は名前を出さなかった。
憐れむような視線はエレーナが叶わない恋を抱いていることに対してなのか、それとも──恋心を隠せと言いたいのか。
「────そんなに分かりやすいですか?」
か細い声で言えば熱を持っていた身体は急速に冷えて、無意識に視線が下がる。
「分かりやすいというよりできあがっている……みたいな? 私以外にも言われているのではないかい?」
「言われましたが……周りは知らないのですよ」
──彼の慕う人は私ではないことを
「君がそう思っている限りダメなんだろうけど……よし、そうだ! 分かった。君のご両親が許可するのであれば婚約を結んでもいい」
「ほっ本当ですか?!」
目を輝かせて侯爵を見れば彼は頷く。
「彼の幸せと君のために一肌脱ごうじゃないか。きっと今にわかるよ? 本物の王子様が君を攫いにやって来る。そして私は他の令嬢達と父の催促から逃げられるしね」
「王子様……来れば嬉しいですけどね」
苦笑が混じった声が漏れる。
「あっでも条件がある」
「条件? 私にできることであれば」
「それは────」
言われた条件は、普通だったら簡単なこと。
周りには何も影響を与えないこと。
でも今のエレーナにとってはつらいことだった。
それでもエレーナは呑むことにした。前に進むことにした。
「今度行われる行事の後に……私がすればいいのですよね」
「そうだよ。無事に終わればその後に婚約証明書を提出する」
とても簡単なことだ。すんなり終わるだろう。エレーナを騙しているようには見えないし、何より騙す理由がない。
「わかりました。それで終わりにできるのなら」
今度こそ差し出された手を取る。握られた手は屈んだヴォルデ侯爵の肩に動かされた。
「背中に乗りな。足が痛いだろう?」
「……歩けます」
「騎士に、怪我人をそのまま歩かせろと?」
侯爵の顔に苦笑が浮かぶ。
このままでは押し問答だ。本当はとても足が痛い。歩けそうにない。意地で歩けると言っているだけ。彼にはそれを見抜かれている。
「御心遣いに甘えて……ありがとうございます」
ヴォルデ侯爵の背中に体重を乗せる。振り落とされないように、両腕は首の前に出して、シャツを掴む。
「では行こう」
グンッといつもより高くなる視界。
木の枝を踏む音。
梟の鳴く声。
木々の擦れる音。
いつもより鮮明に記憶に残る。
無言のままヴォルデ侯爵は進む。エレーナが落ちないように気を付け、普通よりゆっくりとしたペース。それでも数分で宮の近くまで来た。
「侯爵様」
眩しいきらびやかな宮を見ながらぽつりと呟いた。
「なに?」
「よく、私の申し出を拒否しませんでしたよね」
「今さら君が言うのか?」
「条件こそ……あれですが。私よりももっといい令嬢いるでしょう。これでも私、行き遅れなのですよ」
「ははは。それは仕方ないだろう。鳥籠の中で守られていたのだから。自由であって自由ではなかったのさ。君が気がついてないだけで」
「自由ではない?」
「今にわかる。君はとても大切な存在なんだよ。彼にとってね。許してやってくれ」
それっきり再びエレーナとヴォルデ侯爵は無言になった。
ヴォルデ侯爵は仰け反って驚いた。
突拍子もないことを言った自覚はある。
タイミングもおかしいだろう。
それでもここで言わなければエレーナはいつまで経っても婚約出来なさそうで、うだうだとなるのが分かっていたから言ったのだ。
「はい。そもそもそちらがこちらに先に、縁談を申し込んだのですから拒否しませんよね?」
ずいっと近寄って圧をかければヴォルデ侯爵は1歩後ろに下がる。その後ろはもう湖面で、落ちるか落ちないかの瀬戸際。
彼に逃げ場は……ない。
「そりゃあそうだけど……君に申し込んだのは……絶対に拒否されるから都合がいいと……父上が誰でもいいから縁談を申し込めとか言ったから」
何かボソボソと侯爵は言う。その間エレーナの心臓はドクンドクンと大きく波打っていた。これでも口に出した言葉に恥んでいるのだ。
夜に紛れているので分かりにくいが、頬は火照り、手先は震えている。
自分から言ってしまった。拒否されるかしら? やっぱりダメかしら? こんな行き遅れの令嬢よりももっと若い子の方がいいわよね、あぁなんで私こんな変な所でこの話題を。
何も返してこない侯爵によってエレーナの思考はネガティヴになっていく。元々エレーナの思考はネガティヴになりやすかった。それが彼女の悪い癖でもあり、勘違いやすれ違いを引き起こすひとつの要因。
コツンと足に当たった何かに目を向けると靴だった。そういえばエレーナはまだ裸足だ。慌てて履き直せば、ヒールの高さで負担がかかり、先程まで感じてなかった激痛で座り込みそうになる。
「えーと、エレーナ嬢」
「はい。なんでしょう」
ジンジンと痛む足に冷や汗をかきながら平然を装う。
闇夜に熔ける彼の瞳がエレーナを見据えて、金と紫の瞳は月と夜のように溶け合って混ざり合った。
「警備の関係で中にも少しの間いたが……君は慕う殿方がいるんじゃないのか」
知っているはずなのにあえて侯爵は名前を出さなかった。
憐れむような視線はエレーナが叶わない恋を抱いていることに対してなのか、それとも──恋心を隠せと言いたいのか。
「────そんなに分かりやすいですか?」
か細い声で言えば熱を持っていた身体は急速に冷えて、無意識に視線が下がる。
「分かりやすいというよりできあがっている……みたいな? 私以外にも言われているのではないかい?」
「言われましたが……周りは知らないのですよ」
──彼の慕う人は私ではないことを
「君がそう思っている限りダメなんだろうけど……よし、そうだ! 分かった。君のご両親が許可するのであれば婚約を結んでもいい」
「ほっ本当ですか?!」
目を輝かせて侯爵を見れば彼は頷く。
「彼の幸せと君のために一肌脱ごうじゃないか。きっと今にわかるよ? 本物の王子様が君を攫いにやって来る。そして私は他の令嬢達と父の催促から逃げられるしね」
「王子様……来れば嬉しいですけどね」
苦笑が混じった声が漏れる。
「あっでも条件がある」
「条件? 私にできることであれば」
「それは────」
言われた条件は、普通だったら簡単なこと。
周りには何も影響を与えないこと。
でも今のエレーナにとってはつらいことだった。
それでもエレーナは呑むことにした。前に進むことにした。
「今度行われる行事の後に……私がすればいいのですよね」
「そうだよ。無事に終わればその後に婚約証明書を提出する」
とても簡単なことだ。すんなり終わるだろう。エレーナを騙しているようには見えないし、何より騙す理由がない。
「わかりました。それで終わりにできるのなら」
今度こそ差し出された手を取る。握られた手は屈んだヴォルデ侯爵の肩に動かされた。
「背中に乗りな。足が痛いだろう?」
「……歩けます」
「騎士に、怪我人をそのまま歩かせろと?」
侯爵の顔に苦笑が浮かぶ。
このままでは押し問答だ。本当はとても足が痛い。歩けそうにない。意地で歩けると言っているだけ。彼にはそれを見抜かれている。
「御心遣いに甘えて……ありがとうございます」
ヴォルデ侯爵の背中に体重を乗せる。振り落とされないように、両腕は首の前に出して、シャツを掴む。
「では行こう」
グンッといつもより高くなる視界。
木の枝を踏む音。
梟の鳴く声。
木々の擦れる音。
いつもより鮮明に記憶に残る。
無言のままヴォルデ侯爵は進む。エレーナが落ちないように気を付け、普通よりゆっくりとしたペース。それでも数分で宮の近くまで来た。
「侯爵様」
眩しいきらびやかな宮を見ながらぽつりと呟いた。
「なに?」
「よく、私の申し出を拒否しませんでしたよね」
「今さら君が言うのか?」
「条件こそ……あれですが。私よりももっといい令嬢いるでしょう。これでも私、行き遅れなのですよ」
「ははは。それは仕方ないだろう。鳥籠の中で守られていたのだから。自由であって自由ではなかったのさ。君が気がついてないだけで」
「自由ではない?」
「今にわかる。君はとても大切な存在なんだよ。彼にとってね。許してやってくれ」
それっきり再びエレーナとヴォルデ侯爵は無言になった。
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