王子殿下の慕う人

夕香里

文字の大きさ
上 下
33 / 150

婚約の条件

しおりを挟む
「ええ?! ここで今言うの?」

ヴォルデ侯爵は仰け反って驚いた。
突拍子もないことを言った自覚はある。
タイミングもおかしいだろう。

それでもここで言わなければエレーナはいつまで経っても婚約出来なさそうで、うだうだとなるのが分かっていたから言ったのだ。

「はい。そもそもそちらがこちらに先に、縁談を申し込んだのですから拒否しませんよね?」

ずいっと近寄って圧をかければヴォルデ侯爵は1歩後ろに下がる。その後ろはもう湖面で、落ちるか落ちないかの瀬戸際。

彼に逃げ場は……ない。

「そりゃあそうだけど……君に申し込んだのは……絶対に拒否されるから都合がいいと……父上が誰でもいいから縁談を申し込めとか言ったから」

何かボソボソと侯爵は言う。その間エレーナの心臓はドクンドクンと大きく波打っていた。これでも口に出した言葉に恥んでいるのだ。

夜に紛れているので分かりにくいが、頬は火照り、手先は震えている。

自分から言ってしまった。拒否されるかしら? やっぱりダメかしら? こんな行き遅れの令嬢よりももっと若い子の方がいいわよね、あぁなんで私こんな変な所でこの話題を。

何も返してこない侯爵によってエレーナの思考はネガティヴになっていく。元々エレーナの思考はネガティヴになりやすかった。それが彼女の悪い癖でもあり、勘違いやすれ違いを引き起こすひとつの要因。

コツンと足に当たった何かに目を向けると靴だった。そういえばエレーナはまだ裸足だ。慌てて履き直せば、ヒールの高さで負担がかかり、先程まで感じてなかった激痛で座り込みそうになる。

「えーと、エレーナ嬢」

「はい。なんでしょう」

ジンジンと痛む足に冷や汗をかきながら平然を装う。
闇夜に熔ける彼の瞳がエレーナを見据えて、金と紫の瞳は月と夜のように溶け合って混ざり合った。

「警備の関係で中にも少しの間いたが……君は慕う殿方がいるんじゃないのか」

知っているはずなのにあえて侯爵は名前を出さなかった。

憐れむような視線はエレーナが叶わない恋を抱いていることに対してなのか、それとも──恋心を隠せと言いたいのか。

「────そんなに分かりやすいですか?」

か細い声で言えば熱を持っていた身体は急速に冷えて、無意識に視線が下がる。

「分かりやすいというよりできあがっている……みたいな? 私以外にも言われているのではないかい?」

「言われましたが……周りは知らないのですよ」

──彼の慕う人は私ではないことを

「君がそう思っている限りダメなんだろうけど……よし、そうだ! 分かった。君のご両親が許可するのであれば婚約を結んでもいい」

「ほっ本当ですか?!」

目を輝かせて侯爵を見れば彼は頷く。

「彼の幸せと君のために一肌脱ごうじゃないか。きっと今にわかるよ? 本物の王子様が君を攫いにやって来る。そして私は他の令嬢達と父の催促から逃げられるしね」

「王子様……来れば嬉しいですけどね」

苦笑が混じった声が漏れる。

「あっでも条件がある」

「条件? 私にできることであれば」

「それは────」

言われた条件は、普通だったら簡単なこと。
周りには何も影響を与えないこと。
でも今のエレーナにとってはつらいことだった。

それでもエレーナは呑むことにした。前に進むことにした。

「今度行われる行事の後に……私がすればいいのですよね」

「そうだよ。無事に終わればその後に婚約証明書を提出する」

とても簡単なことだ。すんなり終わるだろう。エレーナを騙しているようには見えないし、何より騙す理由がない。

「わかりました。それで終わりにできるのなら」

今度こそ差し出された手を取る。握られた手は屈んだヴォルデ侯爵の肩に動かされた。

「背中に乗りな。足が痛いだろう?」

「……歩けます」

「騎士に、怪我人をそのまま歩かせろと?」

侯爵の顔に苦笑が浮かぶ。

このままでは押し問答だ。本当はとても足が痛い。歩けそうにない。意地で歩けると言っているだけ。彼にはそれを見抜かれている。

「御心遣いに甘えて……ありがとうございます」

ヴォルデ侯爵の背中に体重を乗せる。振り落とされないように、両腕は首の前に出して、シャツを掴む。

「では行こう」

グンッといつもより高くなる視界。
木の枝を踏む音。
梟の鳴く声。
木々の擦れる音。

いつもより鮮明に記憶に残る。

無言のままヴォルデ侯爵は進む。エレーナが落ちないように気を付け、普通よりゆっくりとしたペース。それでも数分で宮の近くまで来た。

「侯爵様」

眩しいきらびやかな宮を見ながらぽつりと呟いた。

「なに?」

「よく、私の申し出を拒否しませんでしたよね」

「今さら君が言うのか?」

「条件こそ……あれですが。私よりももっといい令嬢いるでしょう。これでも私、行き遅れなのですよ」

「ははは。それは仕方ないだろう。鳥籠の中で守られていたのだから。自由であって自由ではなかったのさ。君が気がついてないだけで」

「自由ではない?」

「今にわかる。君はとても大切な存在なんだよ。彼にとってね。許してやってくれ」

それっきり再びエレーナとヴォルデ侯爵は無言になった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

【完結】さよなら私の初恋

山葵
恋愛
私の婚約者が妹に見せる笑顔は私に向けられる事はない。 初恋の貴方が妹を望むなら、私は貴方の幸せを願って身を引きましょう。 さようなら私の初恋。

【完結】8年越しの初恋に破れたら、なぜか意地悪な幼馴染が急に優しくなりました。

大森 樹
恋愛
「君だけを愛している」 「サム、もちろん私も愛しているわ」  伯爵令嬢のリリー・スティアートは八年前からずっと恋焦がれていた騎士サムの甘い言葉を聞いていた。そう……『私でない女性』に対して言っているのを。  告白もしていないのに振られた私は、ショックで泣いていると喧嘩ばかりしている大嫌いな幼馴染の魔法使いアイザックに見つかってしまう。  泣いていることを揶揄われると思いきや、なんだか急に優しくなって気持ち悪い。  リリーとアイザックの関係はどう変わっていくのか?そしてなにやら、リリーは誰かに狙われているようで……一体それは誰なのか?なぜ狙われなければならないのか。 どんな形であれハッピーエンド+完結保証します。

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

伯爵令嬢は、愛する二人を引き裂く女は悪女だと叫ぶ

基本二度寝
恋愛
「フリージア様、あなたの婚約者のロマンセ様と侯爵令嬢ベルガモ様は愛し合っているのです。 わかりませんか? 貴女は二人を引き裂く悪女なのです!」 伯爵家の令嬢カリーナは、報われぬ恋に嘆く二人をどうにか添い遂げさせてやりたい気持ちで、公爵令嬢フリージアに訴えた。 彼らは互いに家のために結ばれた婚約者を持つ。 だが、気持ちは、心だけは、あなただけだと、周囲の目のある場所で互いの境遇を嘆いていた二人だった。 フリージアは、首を傾げてみせた。 「私にどうしろと」 「愛し合っている二人の為に、身を引いてください」 カリーナの言葉に、フリージアは黙り込み、やがて答えた。 「貴女はそれで構わないの?」 「ええ、結婚は愛し合うもの同士がすべきなのです!」 カリーナにも婚約者は居る。 想い合っている相手が。 だからこそ、悲恋に嘆く彼らに同情したのだった。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

手放したくない理由

ねむたん
恋愛
公爵令嬢エリスと王太子アドリアンの婚約は、互いに「務め」として受け入れたものだった。貴族として、国のために結ばれる。 しかし、王太子が何かと幼馴染のレイナを優先し、社交界でも「王太子妃にふさわしいのは彼女では?」と囁かれる中、エリスは淡々と「それならば、私は不要では?」と考える。そして、自ら婚約解消を申し出る。 話し合いの場で、王妃が「辛い思いをさせてしまってごめんなさいね」と声をかけるが、エリスは本当にまったく辛くなかったため、きょとんとする。その様子を見た周囲は困惑し、 「……王太子への愛は芽生えていなかったのですか?」 と問うが、エリスは「愛?」と首を傾げる。 同時に、婚約解消に動揺したアドリアンにも、側近たちが「殿下はレイナ嬢に恋をしていたのでは?」と問いかける。しかし、彼もまた「恋……?」と首を傾げる。 大人たちは、その光景を見て、教育の偏りを大いに後悔することになる。

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

処理中です...