29 / 150
憂いと当惑
しおりを挟む
「多分ここにいればリチャード殿下はいらっしゃるわ」
告げれば表情がうって変わり、顔色が良くなるメイリーン。
「そうですか? ならここで待ってます!」
ありがとうございますと頭を下げるメイリーンはふわふわな髪をぴょこぴょこと揺らす。
その際に甘いショートケーキのような匂いが鼻を掠める。
彼女は恋心に気が付かなかった頃のエレーナのようだ。一番楽しくて世界が薔薇色だった時期の。
「私は……これで」
視線をそらしつつその場を逃げるように後にしようと、メイリーンの傍を通り過ぎる。
「待ってください」
「まだ何か?」
「わたし、殿下に尋ねたいことがあるのですが、このような形で言うのはちょっと恥ずかしくて……一緒にいてくれません?」
「……?」
最初、何を言われたのか分からなかった。だから廊下の途中で立ち止まってしまう。
「初めて会った人に頼むことじゃないですよね。でもエレーナ様はリチャード殿下と仲がよろしそうだったので」
メイリーンは頬を掻きながら気恥しそうに首を傾げた。
エレーナは──一瞬皮肉を言われたのかと思った。
(仲が良さそう……? 花嫁ではない私をおちょくってるの?)
メイリーンを凝視するが、そんな風には見えない。純粋に思ったことを言ったのだろうか。それでも彼女の思考と話の主旨が理解できない。
「内容は……な……に?」
聞きたくないのに聞いてしまう。嫌な想像だけが膨らんでいく。頭を占めていく。
「過去に一度だけ助けてもらったお礼を言いたくて……人違いの可能性の方が大きいんですけどね。今日お声を聞いて似ているなって」
手を口元の近くで合わせてふっと恥ずかしそうに表情を緩める。
──本の中の主人公
ふと浮かんだその単語。まるで本当に御伽噺のストーリーが現実に顔を出してきたかのような。エレーナに見せつけているような。
月光の煌めきをその髪に移したかのような艶やかな銀髪。適度に色づく頬。長い睫毛に包まれた栗色の瞳の美しい少女。
加えて絵本の導入部分に書かれるような、出逢い方。
これらをなんと言うのだろうか。目の前で乙女達の夢が具現化されたかのように感じる。
彼女は人違いかもしれないと言っているけれど、そうは思えなかった。
そのぐらいエレーナは追い詰められていたのだ。
「わたし……今リチャード殿下と顔を合わせたくないの」
精一杯の拒絶だった。だけどメイリーンは軽々とエレーナの築き上げた城壁を越えていく。
「えーと、じゃあ隠れて見ててくれません? 私エレーナさんがいること教えないので!」
頭を下げてくるメイリーン。エレーナは冷ややかな視線を送っていた。
「どうしてそこまで私に聞いてて欲しいの」
薄氷のように薄い膜。割れれば即座に冷たい水へと落ちるくらいゾッとする声。
意味が分からない。隠れてまで人に聞いて欲しいなどと理解の範疇を超えている。
「多分これからもリチャード殿下とは顔を合わせることがあるはずなのですが、今日だけは一人の助けてもらった人──メイリーン・クロフォードとしてお礼を言いたいので」
前半は真剣な表情で、後半は無邪気に言い切られた。
答えて欲しかった理由ははぐらかされてしまった。それが意図的になのか無意識なのかは判断できないが。
立会人はエレーナでなくても大丈夫なはずだ。わざわざ頼む必要性が感じられない。
もし、誰でもいいのであれば、リチャードの側近等に頼めばいいのではないか。むしろそちらの方が簡単に承諾してもらえるだろう。彼らはいつもリチャード殿下の傍に控えていて、何かあれば真っ先に動く人達だから。
そこまで考えて何故か幼馴染のギルベルトの疲れきった顔が、脳裏に浮かんだ。
彼はいつも大変そうだ。繁忙期は王宮に泊まり込みのようで、目の下に濃いクマを作ってリチャードに仕えているのを知っている。そしてエリナがギルベルトの体調を気遣って、栄養バランスの取れた差し入れを届けているとも。
エレーナも部署は違うが何度か父に差し入れを持っていったことがあった。その時見た光景はまさに地獄絵図。
あちらこちらで阿吽絶叫が飛び交っていた。書類が無くなったとか、一週間まともに寝てないとか、それはもう生ける屍のようにただ手を動かす集団と化して。
それを見てしまってからは、なるべく父の働いている部署全員に行き渡るように差し入れを持ってくることにしていた。
「あっどこに隠れます? あのクローゼットの中とかはどうでしょうか」
思考が脱線していたエレーナの腕を、メイリーンは掴まえて中に連れていかれる。
まだ了承していないエレーナを置いてきぼりにして、ペラペラとメイリーンは話す。
開けられたクローゼットは人が入れるほどの空間があり、彼女は本気でエレーナに隠れてもらおうとしているみたいだ。
頬に手を当てて真剣に悩んでいる。
「──御二方飲み物はいかがですか」
開け放たれていた扉から飲み物を持った給仕のメイドが尋ねた。
ここの廊下は舞踏会の会場と厨房を繋いでいるので、会場に運ぶ飲み物だろう。中に人がいるのを知って気を利かせてくれたのかもしれない。
「ありがとう。そこに置いといて下さらない?」
砂漠のように口の中が乾いていたエレーナは、グラスの中で揺れる液体──色からして果実水と推測できるそれにとても興味がそそられた。
「かしこまりました。それでは」
二つグラスをテーブルに置いてメイドは去っていった。
「メイリーン様も……」
グラスを手に取ったエレーナは、もう一個も持とうとした。
ガラスの中で黄金色は波打つ。
「あっ喉は乾いてないので……あとで飲みますからそのまま置いといてください~」
「そう? なら私だけ頂くわね」
口に含むといつもの果実水よりは甘くて濃かった。柑橘系の果実が多く含まれているのだろう。濃厚だが、すっきりとする味わいだ。
(──ってわたし、呑気に飲んでいてはダメじゃない!!! ほんとに何やってるのよ?! ここから立ち去らなきゃならないのに!)
ハッとしたエレーナは、口内に残っていた果実水によって噎せてしまった。
告げれば表情がうって変わり、顔色が良くなるメイリーン。
「そうですか? ならここで待ってます!」
ありがとうございますと頭を下げるメイリーンはふわふわな髪をぴょこぴょこと揺らす。
その際に甘いショートケーキのような匂いが鼻を掠める。
彼女は恋心に気が付かなかった頃のエレーナのようだ。一番楽しくて世界が薔薇色だった時期の。
「私は……これで」
視線をそらしつつその場を逃げるように後にしようと、メイリーンの傍を通り過ぎる。
「待ってください」
「まだ何か?」
「わたし、殿下に尋ねたいことがあるのですが、このような形で言うのはちょっと恥ずかしくて……一緒にいてくれません?」
「……?」
最初、何を言われたのか分からなかった。だから廊下の途中で立ち止まってしまう。
「初めて会った人に頼むことじゃないですよね。でもエレーナ様はリチャード殿下と仲がよろしそうだったので」
メイリーンは頬を掻きながら気恥しそうに首を傾げた。
エレーナは──一瞬皮肉を言われたのかと思った。
(仲が良さそう……? 花嫁ではない私をおちょくってるの?)
メイリーンを凝視するが、そんな風には見えない。純粋に思ったことを言ったのだろうか。それでも彼女の思考と話の主旨が理解できない。
「内容は……な……に?」
聞きたくないのに聞いてしまう。嫌な想像だけが膨らんでいく。頭を占めていく。
「過去に一度だけ助けてもらったお礼を言いたくて……人違いの可能性の方が大きいんですけどね。今日お声を聞いて似ているなって」
手を口元の近くで合わせてふっと恥ずかしそうに表情を緩める。
──本の中の主人公
ふと浮かんだその単語。まるで本当に御伽噺のストーリーが現実に顔を出してきたかのような。エレーナに見せつけているような。
月光の煌めきをその髪に移したかのような艶やかな銀髪。適度に色づく頬。長い睫毛に包まれた栗色の瞳の美しい少女。
加えて絵本の導入部分に書かれるような、出逢い方。
これらをなんと言うのだろうか。目の前で乙女達の夢が具現化されたかのように感じる。
彼女は人違いかもしれないと言っているけれど、そうは思えなかった。
そのぐらいエレーナは追い詰められていたのだ。
「わたし……今リチャード殿下と顔を合わせたくないの」
精一杯の拒絶だった。だけどメイリーンは軽々とエレーナの築き上げた城壁を越えていく。
「えーと、じゃあ隠れて見ててくれません? 私エレーナさんがいること教えないので!」
頭を下げてくるメイリーン。エレーナは冷ややかな視線を送っていた。
「どうしてそこまで私に聞いてて欲しいの」
薄氷のように薄い膜。割れれば即座に冷たい水へと落ちるくらいゾッとする声。
意味が分からない。隠れてまで人に聞いて欲しいなどと理解の範疇を超えている。
「多分これからもリチャード殿下とは顔を合わせることがあるはずなのですが、今日だけは一人の助けてもらった人──メイリーン・クロフォードとしてお礼を言いたいので」
前半は真剣な表情で、後半は無邪気に言い切られた。
答えて欲しかった理由ははぐらかされてしまった。それが意図的になのか無意識なのかは判断できないが。
立会人はエレーナでなくても大丈夫なはずだ。わざわざ頼む必要性が感じられない。
もし、誰でもいいのであれば、リチャードの側近等に頼めばいいのではないか。むしろそちらの方が簡単に承諾してもらえるだろう。彼らはいつもリチャード殿下の傍に控えていて、何かあれば真っ先に動く人達だから。
そこまで考えて何故か幼馴染のギルベルトの疲れきった顔が、脳裏に浮かんだ。
彼はいつも大変そうだ。繁忙期は王宮に泊まり込みのようで、目の下に濃いクマを作ってリチャードに仕えているのを知っている。そしてエリナがギルベルトの体調を気遣って、栄養バランスの取れた差し入れを届けているとも。
エレーナも部署は違うが何度か父に差し入れを持っていったことがあった。その時見た光景はまさに地獄絵図。
あちらこちらで阿吽絶叫が飛び交っていた。書類が無くなったとか、一週間まともに寝てないとか、それはもう生ける屍のようにただ手を動かす集団と化して。
それを見てしまってからは、なるべく父の働いている部署全員に行き渡るように差し入れを持ってくることにしていた。
「あっどこに隠れます? あのクローゼットの中とかはどうでしょうか」
思考が脱線していたエレーナの腕を、メイリーンは掴まえて中に連れていかれる。
まだ了承していないエレーナを置いてきぼりにして、ペラペラとメイリーンは話す。
開けられたクローゼットは人が入れるほどの空間があり、彼女は本気でエレーナに隠れてもらおうとしているみたいだ。
頬に手を当てて真剣に悩んでいる。
「──御二方飲み物はいかがですか」
開け放たれていた扉から飲み物を持った給仕のメイドが尋ねた。
ここの廊下は舞踏会の会場と厨房を繋いでいるので、会場に運ぶ飲み物だろう。中に人がいるのを知って気を利かせてくれたのかもしれない。
「ありがとう。そこに置いといて下さらない?」
砂漠のように口の中が乾いていたエレーナは、グラスの中で揺れる液体──色からして果実水と推測できるそれにとても興味がそそられた。
「かしこまりました。それでは」
二つグラスをテーブルに置いてメイドは去っていった。
「メイリーン様も……」
グラスを手に取ったエレーナは、もう一個も持とうとした。
ガラスの中で黄金色は波打つ。
「あっ喉は乾いてないので……あとで飲みますからそのまま置いといてください~」
「そう? なら私だけ頂くわね」
口に含むといつもの果実水よりは甘くて濃かった。柑橘系の果実が多く含まれているのだろう。濃厚だが、すっきりとする味わいだ。
(──ってわたし、呑気に飲んでいてはダメじゃない!!! ほんとに何やってるのよ?! ここから立ち去らなきゃならないのに!)
ハッとしたエレーナは、口内に残っていた果実水によって噎せてしまった。
248
お気に入りに追加
5,987
あなたにおすすめの小説

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。


【完結】8年越しの初恋に破れたら、なぜか意地悪な幼馴染が急に優しくなりました。
大森 樹
恋愛
「君だけを愛している」
「サム、もちろん私も愛しているわ」
伯爵令嬢のリリー・スティアートは八年前からずっと恋焦がれていた騎士サムの甘い言葉を聞いていた。そう……『私でない女性』に対して言っているのを。
告白もしていないのに振られた私は、ショックで泣いていると喧嘩ばかりしている大嫌いな幼馴染の魔法使いアイザックに見つかってしまう。
泣いていることを揶揄われると思いきや、なんだか急に優しくなって気持ち悪い。
リリーとアイザックの関係はどう変わっていくのか?そしてなにやら、リリーは誰かに狙われているようで……一体それは誰なのか?なぜ狙われなければならないのか。
どんな形であれハッピーエンド+完結保証します。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

伯爵令嬢は、愛する二人を引き裂く女は悪女だと叫ぶ
基本二度寝
恋愛
「フリージア様、あなたの婚約者のロマンセ様と侯爵令嬢ベルガモ様は愛し合っているのです。
わかりませんか?
貴女は二人を引き裂く悪女なのです!」
伯爵家の令嬢カリーナは、報われぬ恋に嘆く二人をどうにか添い遂げさせてやりたい気持ちで、公爵令嬢フリージアに訴えた。
彼らは互いに家のために結ばれた婚約者を持つ。
だが、気持ちは、心だけは、あなただけだと、周囲の目のある場所で互いの境遇を嘆いていた二人だった。
フリージアは、首を傾げてみせた。
「私にどうしろと」
「愛し合っている二人の為に、身を引いてください」
カリーナの言葉に、フリージアは黙り込み、やがて答えた。
「貴女はそれで構わないの?」
「ええ、結婚は愛し合うもの同士がすべきなのです!」
カリーナにも婚約者は居る。
想い合っている相手が。
だからこそ、悲恋に嘆く彼らに同情したのだった。
【完結】この胸が痛むのは
Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」
彼がそう言ったので。
私は縁組をお受けすることにしました。
そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。
亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。
殿下と出会ったのは私が先でしたのに。
幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです……
姉が亡くなって7年。
政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが
『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。
亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……
*****
サイドストーリー
『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。
こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。
読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです
* 他サイトで公開しています。
どうぞよろしくお願い致します。

手放したくない理由
ねむたん
恋愛
公爵令嬢エリスと王太子アドリアンの婚約は、互いに「務め」として受け入れたものだった。貴族として、国のために結ばれる。
しかし、王太子が何かと幼馴染のレイナを優先し、社交界でも「王太子妃にふさわしいのは彼女では?」と囁かれる中、エリスは淡々と「それならば、私は不要では?」と考える。そして、自ら婚約解消を申し出る。
話し合いの場で、王妃が「辛い思いをさせてしまってごめんなさいね」と声をかけるが、エリスは本当にまったく辛くなかったため、きょとんとする。その様子を見た周囲は困惑し、
「……王太子への愛は芽生えていなかったのですか?」
と問うが、エリスは「愛?」と首を傾げる。
同時に、婚約解消に動揺したアドリアンにも、側近たちが「殿下はレイナ嬢に恋をしていたのでは?」と問いかける。しかし、彼もまた「恋……?」と首を傾げる。
大人たちは、その光景を見て、教育の偏りを大いに後悔することになる。

なにをおっしゃいますやら
基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。
エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。
微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。
エブリシアは苦笑した。
今日までなのだから。
今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる