王子殿下の慕う人

夕香里

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上辺だけの顔

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初めての舞踏会が終わった後に会ったエレーナは、ただデビュタントが楽しみなようだった。
リチャードが社交界に入ったと知ったら羨ましそうにしていた。

だからリチャードは彼女の想像の箱庭を壊さぬよう、嘘を吐いて、塗り固めて、素晴らしい場所だと伝えた。

しかしリチャードにとって社交界は酷く憂鬱でつまらない場所だった。気を抜けば直ぐに表情に出て、両親に注意されるくらいには。

毎度の事のように群がる人間が嫌で欠席したいが、自分の地位がそれを許してはくれない。逃げることも許されない。まるで足枷のようだった。

十六歳になる頃にはリチャードは一人で夜会に出席していた。愛想笑いをしていれば相手方が良いように解釈してくれるのを知り、いつも自分としては薄っぺらい作った笑顔を浮かべていた。

『リチャード殿下……あの……わたくしとも踊って……』

目だけは笑っていないリチャードに声をかけてきたのは、ここのところ力をつけてきている辺境伯の娘。確かリリアンネという名前のはずだ。

誰とも踊りたくなかったが、辺境伯とは友好な関係を作りたいし踊るしかないだろう。

奥の方でこちらを窺っている人物に気がついてない振りをして、内心溜息をつきながら、令嬢の右手を取る。

それだけでリリアンネは熟れたリンゴのように頬を赤らめる。

(驚く程に分かりやすい。期待したところで何も起こらないのに。無意味なことをする)

目の前の王子が毒を吐いているなんてリリアンネは思っていないだろう。
リリアンネは瞞しのリチャードを見ているだけだ。そして完璧な王子を想像して、リチャードに押し付けてくる。

意識をダンスに向けなくても、染み付いた感覚が勝手に身体を動かす。軽やかにステップを踏んでリードする。

『リチャード殿下ありがとうございました』

気がつけば一曲終わっていた。自分も形式上の言葉を紡いで場を離れる。

『殿下、もう少し抑えてください……』

『これでも抑えているつもりだけど?』

先程居た地点に戻ってくれば、ハラハラしながら成り行きを見守っていたギルベルトが小言を呈する。

『いつも近くにいる私からしたら怖いんですよ……! 目が笑ってません……』

どうやら相当冷ややかだったようだ。きっと周りの貴族たちは気がついていないだろうけれど、普段から彼のそばにいるギルベルトからしたら耐えかねるらしい。

(今夜もつまらないな)

そうリチャードが思っているのを後目に、リチャード殿下は幼なじみのエレーナが近くにいないと大体こうなんだよな……とギルベルトは考えていた。

エレーナは殿下を朗らかにする魔法か何かを使えるのだろうか? そう思ってしまうほど彼女がいるかいないかで主である殿下の周りに対する態度の落差が激しい。

もちろん激しいと言っても暴言を吐かれたり、傍若無人になったりするわけではない。部下がこなせる仕事量のギリギリを攻めてくるだけだ。
無茶振りは……あるにはあるがそれも実行できる範囲内でのこと。
トータルで見れば素晴らしい采配のできる王子殿下。

しかし容赦なく要らないものは切り捨てる冷酷さに加えて、顔立ちのいい彼のことを、執務で関わる人間は皮肉めいて〝氷の貴公子〟だと影で呼んでいた。ちなみに令嬢達は別の意味でその名を使っている。

多分殿下も言われていることには気がついている。だが、どうでもいいと思っているのか気にもとめていないようだ。

『ギルベルト』

雪よりも冷たい声色。弧を描く口元。見透かすような瞳は何を考えているか分からない。
ギルベルトはゾクリと背筋が凍ったような気がした。

『……何でしょうか』

とても嫌な予感がした。いや、現在進行形でしている。

『抜けていいか?』

『ダメです。ダメに決まってます。あっちょっ待っ! まっまだ始まったばかりですよ?! 勘弁してください!』

言い終わるより前に出口に向かう。それを慌てて遮るギルベルト。かろうじて止めることが出来た。

『もう僕は一人と踊ったからいいだろう?』

海よりも深い紺碧は翳る。側近の前で不機嫌さを隠そうともしないリチャードは腕を組んで壁に寄りかかる。

『なにをいってるんですか! 今日は有力貴族の御令嬢方が集まっているんですよ?! 最低でもあと五人とは踊っていただかなくては……』

小脇に持っていた招待客リストをギルベルトは指し示す。びっしりと名前が書かれているそれは見るだけで頭が痛くなりそうだ。

『…………分かったよ。踊ってさりげなく情報を聞き出せ、あわよくば当主に接触を……と言いたいんだろう』

リストを一瞥したリチャードは溜息を漏らした。この場は彼にとって、国内の出来事と貴族の派閥争い等の情報収集する所だ。

これからの地位を盤石にするためにも、情報を収集し、地盤を固めておけと言いたいのだろう。

『分かっているのなら最初から抜けるなどと言わないでください』

これは公務で、自分のためでもあって、どうしようもない。そう思うけれどやはり退屈で、ストレスだけが溜まるこの空間は嫌いだし、抜け出したい。

『……十秒待って。そしたら今晩は上手く立ち回るから』

白手袋を着けた右手で顔を覆って瞳を閉じる。リチャードは気持ちを切り替えようと大きく息を吸って吐いた。

『よし』

ギルベルトがもう一度リチャードを見た時には完璧な王子殿下になっていた。颯爽と目当ての令嬢──もといその後ろにある家門に接触を図ろうとギルベルトの元を去っていく。

そうやって笑顔の下に感情を隠して彼はこの六年間社交界を渡り歩いて来たのだ。
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