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大切なひと
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『──母上お呼びですか?』
コンコンとノックをして入ってきたのは当時十八歳だったリチャードだ。次がルイス公爵家の謁見だと気が付いた時点で、ミュリエルが他の部屋にいたリチャードを呼ぶよう遣いを出したのだった。
デビュタント達の挨拶を受けている部屋に、何故呼ばれたのか把握していないリチャードは、怪訝そうにしている。
しかし両親の他に貴族が居ると気がつき、それを隠した。
『リチャードちょうどいいところに来たわ。今挨拶に来てるデビュタントは誰だと思う?』
ルドウィッグとヴィオレッタがいる時点で答えが出てるようなものだが、ミュリエルはエレーナを背中に隠して息子に尋ねた。
彼女は息子の顔色が変わる様子が見たかったのだ。
リチャードは少しだけ見えているドレスの裾に魅入る。
両親が──特に母がデレデレになっている。いつもはぞんざいに扱う花束を両手で守っている。騎士と侍従は何が起こっているのか分からない様子で、侍女は静かに佇んでいる。
侍女の唇が「いつものことです」と音は伴わず動いた。
周りの者を戸惑わせる行動を母にさせる人物はリチャードの中でただ一人だった。
そしてその子はリチャードの中で大切なずっと守りたい、ガラス細工のように罅が入れば割れてしまう。少し手を加えただけで曇ってしまう。そんな儚くて綺麗な透き通った存在。
(そうか今日デビュタントなのか)
答えは一瞬で浮かんだ。
『レーナですか?』
口に出せばリチャードは胸が高鳴るのを感じた。
太陽のようにリチャードの心を暖かくしてくれる、自分が〝王子〟ではなくて、一人の〝人間〟として傍にいられる彼女。
その子が母の後ろに隠れている。
目を凝らせば天鵞絨のような黄金のひと房がひょっこり出ていた。それが可愛くて口元が緩む。
社交界に入る年齢は人によって違う。一番早くて十二歳。遅くて二十歳。
これらは個々の事情に寄るもので、何処の家の者がいつ社交界入り──デビュタントを迎えるのかは推測できない。
リチャードが社交界入りしたのは十二歳の時だった。王族で、将来この国を担う王太子。
デビュタントは令嬢の方が注目されるが、その年は王子のデビュタントということで、彼が一番注目されていた。
ファーストダンスの際も私を選んでくださいと言わんばかりの周りの圧力。仕方なく一番政治的に不利益が出ない家の令嬢の手を取って踊った。
振りほどいても絡みついてくる腕に、纒わり付く視線、リチャードの気を引こうと思わず顔を顰めてしまうほどの香水の甘ったるい匂い。
最初の舞踏会は全てが気持ち悪くて吐き気がした。
だけど自分は〝王子〟で、誰に対しても平等に接して極力衝突は避けなければならない。それが己の基盤を作り、これからの国の行く末にも関係してくる。
嘔吐きたくなるのを抑えてリチャードは王子という仮面を被った。道化師になった。
(ああ、レーナがいればいいのに。相手がレーナだったらとても楽しいだろうに)
次々と誘ってくる名前だけしか知らないような令嬢と踊りながら何度そう思ったかは分からない。
エレーナは自分よりも五歳年下で、最低でもあと五年は社交界に顔を出さない。しかも五年経ったからと言って十二歳で社交界入りするとも限らない。
永遠の歳月のように感じてリチャードは嘆くが、彼女が社交界入りすることに複雑な心境も持ち合わせていた。
初めて会った頃からリチャードの心を掴んで離さない少女は、まだあどけなさは残るけれど、将来への片鱗を見せつつある。
何も汚いものを知らないような天真爛漫な笑み。
無条件で信じて握ってくる暖かい小さな手。
「リー!」と呼ぶ金糸雀のような心地いい高い声。
上目遣いに見上げてくる視線。
歩く度に揺れる柔らかい髪。
そしてリチャードの気持ちも知らないで無邪気に抱きついてくる。
全てが愛しくて、眩くて、透明で、儚くて、守りたいもの。
リチャードの中で一番──大切な、壊されたくない、他の者に邪魔されたくない存在。
だからこれまで優しく真綿で包み込んでいた。嫉妬を浮かべて睨む令嬢も、怪訝な不愉快そうな貴族も、王宮に訪れるエレーナから隠し、自分の前にはおぞましいものが無いようにした。
そうして政治に関わる大人達から冷酷無慈悲と言われ始めていた自分を隠して、優しさしかない兄のように──振舞った。
幸い彼女は気が付かなかった。「リーはおにいさまみたいね」と言ってきたくらいだ。まあそのように手を回したのはリチャードだが。
そんな風にリチャードの心を翻弄する彼女が社交界に入ったら──きっと子息達は目の色を変えて彼女の元に行くだろう。
今でさえ可愛らしい顔立ちで、両親と自分を虜にしているエレーナだ。絶対そうなるに決まっている。
あの日向のような微笑みが、仕草が、愛嬌が、他の人に向く。そう考えるとエレーナには見せられないような類いの感情が生まれる。
晴れ姿を見てみたい反面、彼女の良さは自分だけが知っていればいい。他の者に知られたくない。という執着に似たものが齢十二歳にしてリチャードの中にあったのだ。
コンコンとノックをして入ってきたのは当時十八歳だったリチャードだ。次がルイス公爵家の謁見だと気が付いた時点で、ミュリエルが他の部屋にいたリチャードを呼ぶよう遣いを出したのだった。
デビュタント達の挨拶を受けている部屋に、何故呼ばれたのか把握していないリチャードは、怪訝そうにしている。
しかし両親の他に貴族が居ると気がつき、それを隠した。
『リチャードちょうどいいところに来たわ。今挨拶に来てるデビュタントは誰だと思う?』
ルドウィッグとヴィオレッタがいる時点で答えが出てるようなものだが、ミュリエルはエレーナを背中に隠して息子に尋ねた。
彼女は息子の顔色が変わる様子が見たかったのだ。
リチャードは少しだけ見えているドレスの裾に魅入る。
両親が──特に母がデレデレになっている。いつもはぞんざいに扱う花束を両手で守っている。騎士と侍従は何が起こっているのか分からない様子で、侍女は静かに佇んでいる。
侍女の唇が「いつものことです」と音は伴わず動いた。
周りの者を戸惑わせる行動を母にさせる人物はリチャードの中でただ一人だった。
そしてその子はリチャードの中で大切なずっと守りたい、ガラス細工のように罅が入れば割れてしまう。少し手を加えただけで曇ってしまう。そんな儚くて綺麗な透き通った存在。
(そうか今日デビュタントなのか)
答えは一瞬で浮かんだ。
『レーナですか?』
口に出せばリチャードは胸が高鳴るのを感じた。
太陽のようにリチャードの心を暖かくしてくれる、自分が〝王子〟ではなくて、一人の〝人間〟として傍にいられる彼女。
その子が母の後ろに隠れている。
目を凝らせば天鵞絨のような黄金のひと房がひょっこり出ていた。それが可愛くて口元が緩む。
社交界に入る年齢は人によって違う。一番早くて十二歳。遅くて二十歳。
これらは個々の事情に寄るもので、何処の家の者がいつ社交界入り──デビュタントを迎えるのかは推測できない。
リチャードが社交界入りしたのは十二歳の時だった。王族で、将来この国を担う王太子。
デビュタントは令嬢の方が注目されるが、その年は王子のデビュタントということで、彼が一番注目されていた。
ファーストダンスの際も私を選んでくださいと言わんばかりの周りの圧力。仕方なく一番政治的に不利益が出ない家の令嬢の手を取って踊った。
振りほどいても絡みついてくる腕に、纒わり付く視線、リチャードの気を引こうと思わず顔を顰めてしまうほどの香水の甘ったるい匂い。
最初の舞踏会は全てが気持ち悪くて吐き気がした。
だけど自分は〝王子〟で、誰に対しても平等に接して極力衝突は避けなければならない。それが己の基盤を作り、これからの国の行く末にも関係してくる。
嘔吐きたくなるのを抑えてリチャードは王子という仮面を被った。道化師になった。
(ああ、レーナがいればいいのに。相手がレーナだったらとても楽しいだろうに)
次々と誘ってくる名前だけしか知らないような令嬢と踊りながら何度そう思ったかは分からない。
エレーナは自分よりも五歳年下で、最低でもあと五年は社交界に顔を出さない。しかも五年経ったからと言って十二歳で社交界入りするとも限らない。
永遠の歳月のように感じてリチャードは嘆くが、彼女が社交界入りすることに複雑な心境も持ち合わせていた。
初めて会った頃からリチャードの心を掴んで離さない少女は、まだあどけなさは残るけれど、将来への片鱗を見せつつある。
何も汚いものを知らないような天真爛漫な笑み。
無条件で信じて握ってくる暖かい小さな手。
「リー!」と呼ぶ金糸雀のような心地いい高い声。
上目遣いに見上げてくる視線。
歩く度に揺れる柔らかい髪。
そしてリチャードの気持ちも知らないで無邪気に抱きついてくる。
全てが愛しくて、眩くて、透明で、儚くて、守りたいもの。
リチャードの中で一番──大切な、壊されたくない、他の者に邪魔されたくない存在。
だからこれまで優しく真綿で包み込んでいた。嫉妬を浮かべて睨む令嬢も、怪訝な不愉快そうな貴族も、王宮に訪れるエレーナから隠し、自分の前にはおぞましいものが無いようにした。
そうして政治に関わる大人達から冷酷無慈悲と言われ始めていた自分を隠して、優しさしかない兄のように──振舞った。
幸い彼女は気が付かなかった。「リーはおにいさまみたいね」と言ってきたくらいだ。まあそのように手を回したのはリチャードだが。
そんな風にリチャードの心を翻弄する彼女が社交界に入ったら──きっと子息達は目の色を変えて彼女の元に行くだろう。
今でさえ可愛らしい顔立ちで、両親と自分を虜にしているエレーナだ。絶対そうなるに決まっている。
あの日向のような微笑みが、仕草が、愛嬌が、他の人に向く。そう考えるとエレーナには見せられないような類いの感情が生まれる。
晴れ姿を見てみたい反面、彼女の良さは自分だけが知っていればいい。他の者に知られたくない。という執着に似たものが齢十二歳にしてリチャードの中にあったのだ。
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