王子殿下の慕う人

夕香里

文字の大きさ
上 下
17 / 150

大切なひと

しおりを挟む
『──母上お呼びですか?』

コンコンとノックをして入ってきたのは当時十八歳だったリチャードだ。次がルイス公爵家の謁見だと気が付いた時点で、ミュリエルが他の部屋にいたリチャードを呼ぶよう遣いを出したのだった。

デビュタント達の挨拶を受けている部屋に、何故呼ばれたのか把握していないリチャードは、怪訝そうにしている。
しかし両親の他に貴族が居ると気がつき、それを隠した。

『リチャードちょうどいいところに来たわ。今挨拶に来てるデビュタントは誰だと思う?』

ルドウィッグとヴィオレッタがいる時点で答えが出てるようなものだが、ミュリエルはエレーナを背中に隠して息子に尋ねた。

彼女は息子の顔色が変わる様子が見たかったのだ。

リチャードは少しだけ見えているドレスの裾に魅入る。

両親が──特に母がデレデレになっている。いつもはぞんざいに扱う花束を両手で守っている。騎士と侍従は何が起こっているのか分からない様子で、侍女は静かに佇んでいる。

侍女の唇が「いつものことです」と音は伴わず動いた。

周りの者を戸惑わせる行動を母にさせる人物はリチャードの中でただ一人だった。

そしてその子はリチャードの中で大切なずっと守りたい、ガラス細工のようにひびが入れば割れてしまう。少し手を加えただけで曇ってしまう。そんな儚くて綺麗な透き通った存在。

(そうか今日デビュタントなのか)

答えは一瞬で浮かんだ。

『レーナですか?』

口に出せばリチャードは胸が高鳴るのを感じた。

太陽のようにリチャードの心を暖かくしてくれる、自分が〝王子〟ではなくて、一人の〝人間〟として傍にいられる彼女。
その子が母の後ろに隠れている。

目を凝らせば天鵞絨のような黄金のひと房がひょっこり出ていた。それが可愛くて口元が緩む。

社交界に入る年齢は人によって違う。一番早くて十二歳。遅くて二十歳。
これらは個々の事情に寄るもので、何処の家の者がいつ社交界入り──デビュタントを迎えるのかは推測できない。

リチャードが社交界入りしたのは十二歳の時だった。王族で、将来この国を担う王太子。
デビュタントは令嬢の方が注目されるが、その年は王子のデビュタントということで、彼が一番注目されていた。

ファーストダンスの際も私を選んでくださいと言わんばかりの周りの圧力。仕方なく一番政治的に不利益が出ない家の令嬢の手を取って踊った。

振りほどいても絡みついてくる腕に、纒わり付く視線、リチャードの気を引こうと思わず顔を顰めてしまうほどの香水の甘ったるい匂い。


最初の舞踏会は全てが気持ち悪くて吐き気がした。


だけど自分は〝王子〟で、誰に対しても平等に接して極力衝突は避けなければならない。それが己の基盤を作り、これからの国の行く末にも関係してくる。
嘔吐きたくなるのを抑えてリチャードは王子という仮面を被った。道化師になった。

(ああ、レーナがいればいいのに。相手がレーナだったらとても楽しいだろうに)

次々と誘ってくる名前だけしか知らないような令嬢と踊りながら何度そう思ったかは分からない。

エレーナは自分よりも五歳年下で、最低でもあと五年は社交界に顔を出さない。しかも五年経ったからと言って十二歳で社交界入りするとも限らない。

永遠の歳月のように感じてリチャードは嘆くが、彼女が社交界入りすることに複雑な心境も持ち合わせていた。

初めて会った頃からリチャードの心を掴んで離さない少女は、まだあどけなさは残るけれど、将来への片鱗を見せつつある。

何も汚いものを知らないような天真爛漫な笑み。
無条件で信じて握ってくる暖かい小さな手。
「リー!」と呼ぶ金糸雀のような心地いい高い声。
上目遣いに見上げてくる視線。
歩く度に揺れる柔らかい髪。

そしてリチャードの気持ちも知らないで無邪気に抱きついてくる。

全てが愛しくて、眩くて、透明で、儚くて、守りたいもの。

リチャードの中で一番──大切な、壊されたくない、他の者に邪魔されたくない存在。

だからこれまで優しく真綿で包み込んでいた。嫉妬を浮かべて睨む令嬢も、怪訝な不愉快そうな貴族も、王宮に訪れるエレーナから隠し、自分の前にはおぞましいものが無いようにした。

そうして政治に関わる大人達から冷酷無慈悲と言われ始めていた自分を隠して、優しさしかない兄のように──振舞った。

幸い彼女は気が付かなかった。「リーはおにいさまみたいね」と言ってきたくらいだ。まあそのように手を回したのはリチャードだが。

そんな風にリチャードの心を翻弄する彼女が社交界に入ったら──きっと子息達は目の色を変えて彼女の元に行くだろう。

今でさえ可愛らしい顔立ちで、両親と自分を虜にしているエレーナだ。絶対そうなるに決まっている。

あの日向のような微笑みが、仕草が、愛嬌が、他の人に向く。そう考えるとエレーナには見せられないような類いの感情が生まれる。

晴れ姿を見てみたい反面、彼女の良さは自分だけが知っていればいい。他の者に知られたくない。という執着に似たものが齢十二歳にしてリチャードの中にあったのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです

大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。 「俺は子どもみたいな女は好きではない」 ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。 ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。 ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。 何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!? 貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。

【完結】さよなら私の初恋

山葵
恋愛
私の婚約者が妹に見せる笑顔は私に向けられる事はない。 初恋の貴方が妹を望むなら、私は貴方の幸せを願って身を引きましょう。 さようなら私の初恋。

【完結】8年越しの初恋に破れたら、なぜか意地悪な幼馴染が急に優しくなりました。

大森 樹
恋愛
「君だけを愛している」 「サム、もちろん私も愛しているわ」  伯爵令嬢のリリー・スティアートは八年前からずっと恋焦がれていた騎士サムの甘い言葉を聞いていた。そう……『私でない女性』に対して言っているのを。  告白もしていないのに振られた私は、ショックで泣いていると喧嘩ばかりしている大嫌いな幼馴染の魔法使いアイザックに見つかってしまう。  泣いていることを揶揄われると思いきや、なんだか急に優しくなって気持ち悪い。  リリーとアイザックの関係はどう変わっていくのか?そしてなにやら、リリーは誰かに狙われているようで……一体それは誰なのか?なぜ狙われなければならないのか。 どんな形であれハッピーエンド+完結保証します。

【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

伯爵令嬢は、愛する二人を引き裂く女は悪女だと叫ぶ

基本二度寝
恋愛
「フリージア様、あなたの婚約者のロマンセ様と侯爵令嬢ベルガモ様は愛し合っているのです。 わかりませんか? 貴女は二人を引き裂く悪女なのです!」 伯爵家の令嬢カリーナは、報われぬ恋に嘆く二人をどうにか添い遂げさせてやりたい気持ちで、公爵令嬢フリージアに訴えた。 彼らは互いに家のために結ばれた婚約者を持つ。 だが、気持ちは、心だけは、あなただけだと、周囲の目のある場所で互いの境遇を嘆いていた二人だった。 フリージアは、首を傾げてみせた。 「私にどうしろと」 「愛し合っている二人の為に、身を引いてください」 カリーナの言葉に、フリージアは黙り込み、やがて答えた。 「貴女はそれで構わないの?」 「ええ、結婚は愛し合うもの同士がすべきなのです!」 カリーナにも婚約者は居る。 想い合っている相手が。 だからこそ、悲恋に嘆く彼らに同情したのだった。

【完結】この胸が痛むのは

Mimi
恋愛
「アグネス嬢なら」 彼がそう言ったので。 私は縁組をお受けすることにしました。 そのひとは、亡くなった姉の恋人だった方でした。 亡き姉クラリスと婚約間近だった第三王子アシュフォード殿下。 殿下と出会ったのは私が先でしたのに。 幼い私をきっかけに、顔を合わせた姉に殿下は恋をしたのです…… 姉が亡くなって7年。 政略婚を拒否したい王弟アシュフォードが 『彼女なら結婚してもいい』と、指名したのが最愛のひとクラリスの妹アグネスだった。 亡くなった恋人と同い年になり、彼女の面影をまとうアグネスに、アシュフォードは……  ***** サイドストーリー 『この胸に抱えたものは』全13話も公開しています。 こちらの結末ネタバレを含んだ内容です。 読了後にお立ち寄りいただけましたら、幸いです * 他サイトで公開しています。 どうぞよろしくお願い致します。

手放したくない理由

ねむたん
恋愛
公爵令嬢エリスと王太子アドリアンの婚約は、互いに「務め」として受け入れたものだった。貴族として、国のために結ばれる。 しかし、王太子が何かと幼馴染のレイナを優先し、社交界でも「王太子妃にふさわしいのは彼女では?」と囁かれる中、エリスは淡々と「それならば、私は不要では?」と考える。そして、自ら婚約解消を申し出る。 話し合いの場で、王妃が「辛い思いをさせてしまってごめんなさいね」と声をかけるが、エリスは本当にまったく辛くなかったため、きょとんとする。その様子を見た周囲は困惑し、 「……王太子への愛は芽生えていなかったのですか?」 と問うが、エリスは「愛?」と首を傾げる。 同時に、婚約解消に動揺したアドリアンにも、側近たちが「殿下はレイナ嬢に恋をしていたのでは?」と問いかける。しかし、彼もまた「恋……?」と首を傾げる。 大人たちは、その光景を見て、教育の偏りを大いに後悔することになる。

なにをおっしゃいますやら

基本二度寝
恋愛
本日、五年通った学び舎を卒業する。 エリクシア侯爵令嬢は、己をエスコートする男を見上げた。 微笑んで見せれば、男は目線を逸らす。 エブリシアは苦笑した。 今日までなのだから。 今日、エブリシアは婚約解消する事が決まっているのだから。

処理中です...