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王妃様の思惑(2)
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「何をするんだエル。痛いじゃないか」
額をさすったリドガルドは外にいた騎士を呼び、氷嚢を持ってくるよう指示する。
その間、誰も、口を、開かなかった。
「…………」
「────ということですので、先日お話いただいた件については辞退させていただきますね」
リドガルドとミュリエルの小競り合いに慣れているヴィオレッタは華麗にスルーを決め込む。そしてルドウィッグも冷たい視線をリドガルドに送っていた。
エルドレッドはそんな両親の様子に呆然としている。
有無を言わさない迫力でヴィオレッタはにっこり微笑んでいる。顔は柔和なのに寒気がしてくるほど雰囲気が怖い。
こういう時は彼女の独壇場になるので、逆らわない方が身のためだ。
(……お話いただいた件?)
エレーナは首を傾げた。両親から王家からの重要な話は聞いてない。一体どのような案件を辞退すると言うのだろう。
「そんな……ずっと楽しみにしてた愛でる計画……いやよ……ヴィオ……私の……」
亡霊のようにふらふらと左右によろけながらヴィオレッタに近寄るミュリエルの顔には、絶望が浮かんでいた。
「エル、あなたが王妃だとしてもこればかりは譲れません。エレーナは私の娘です。エルの娘ではありません」
「でも……!」
「何か誤解があるのでしょう。それが解けない限り私達は承諾致しかねます。そうでなければ娘が幸せになれません」
真剣な顔でヴィオレッタは言い切った。どうやらエレーナ関連のことらしいが、本人を置いて話が進んでいくのはダメなのではないのだろうか。
「…………分かったわ。理由くらい本人に尋ねてもいいわよね?」
ヴィオレッタは頷く。
「レーナちゃんはどうして嫌なの? もしかしてリチャードが貴女に何かした?」
パッと飛びついてきたミュリエルは至近距離でエレーナを覗き込む。
どうやら『案件』というのはエレーナが王家に嫁ぐことらしかった。そうでなければリチャードの名前がここで出てくるはずがない。
「とんでもないです……! 私からしたら身に余る……光栄です。ですが……」
大きく被りを振る。嫌じゃない。そんな感情抱くはずがない。
(なんで私が言わなくてはいけないのだろう? 余計に……傷つくのに)
『──慕う令嬢はいるよ』
脳裏に焼き付いて忘れられない言葉。あの日から心が追いつかないまま日々は過ぎていく。
気分を無理やり前向きに持って行っても、次の日には後ろ向きに。ここ数日はずっとそれの繰り返しだった。
涙が溢れてきそうでグイッと目元を拭う。
「──私ではダメなのです。リチャード殿下は小さい頃から優しくしていただきました。助けてもいただきました。とても素晴らしい殿方です。気が付かなかっただけでずっと……」
──お慕い申してました。
音にはならず、空気に消えていく。
泣き笑い、だったと思う。そして終わり、だと思った。
ミュリエルが放った言葉は冗談だと一度は流してしまった。しかし、全貴族が集まる王宮での舞踏会は、どこで聞き耳を立てている人がいるか分からない。王家の人々が冗談を言える場ではない。
そんな中で言われた「王家にお嫁にこない?」とヴィオレッタの発言で本気なのだと分かる。
了承すればリチャードの花嫁になれるのだろう。手順は簡単だ。「はい」と頷けばいい。
でも、出来ないと思った。思ってしまった。
エレーナが欲しいのは、王子殿下の〝愛する人〟で、〝王太子妃〟の地位ではない。
まやかしの──場所をもらっても意味は無い。
今よりもっとずっと辛くなるだけなのだ。
「そう……何となく状況は理解できた。とりあえず私は息子をひっぱたきたい。何をしていたんだと責めたい。……氷の貴公子とか言われてるくせに陛下と同じじゃない」
ボソリとミュリエルは呟いた。
「何か言ったか?」
地獄耳のように聞き取ったリドガルドが顔をあげる。
「……口を挟むなと申し上げましたよね?」
一瞬ルビーの瞳に翳りがさす。黒いオーラがぶわりとミュリエルから放出された。
そして侍女が拾い、手元に戻ってきていた扇が再び彼の方に目に見えない速さで飛んでいった。
危機一髪扇を躱したリドガルドは、胸に手を当てて安堵していた。しかし間髪入れずに二つ目の扇が飛んで直撃する。どうやらミュリエルはスペアを持っていたらしい。
先程よりも大きな音がしたので相当痛かったのだろう。リドガルドは額を覆って蹲った。痛すぎて声が出ないようだ。
「お見事ですミュリエル様」
静まり返る部屋にパチパチパチと侍女が拍手をする乾いた音が響く。
侍女はそのまま彼の傍に落ちている二つの扇を回収した。
「馬鹿ですね陛下」
ルドウィッグは呆れたらしく、不敬と受け取られてもおかしくない発言をする。
「あの……ミュリエル様の言葉が聞き取れなくて……なんとおっしゃいました?」
声を出しずらい雰囲気の中、おそるおそる尋ねれば、ミュリエルは何も無かったかのように優しく微笑んだ。どうやら彼女の夫のことは無視することにしたらしかった。未だに蹲っているリドガルドの方を一切見ない。
「なんでもないわ。話してくれてありがとう。長々と引き止めてしまって申し訳ないわね。舞踏会が始まるから会場に行きなさい」
そうして扉の前までミュリエルに押される。
「今宵の貴女に素晴らしい出逢いがあるよう願っているわ。もしかしたら妨害が入るかもしれないけど……嫌だったら無視してくれて構わないから」
「……ありがとうございます」
よくわからなかったがとりあえず感謝の言葉を口に乗せた。
「でも、もし、もしもよ? 気が変わってくれたらとても嬉しい。私は貴女に来て欲しいから。それに多分すれ違ってる……」
扉が閉められる寸前に言われた言葉は、エレーナの耳にこびりついた。
額をさすったリドガルドは外にいた騎士を呼び、氷嚢を持ってくるよう指示する。
その間、誰も、口を、開かなかった。
「…………」
「────ということですので、先日お話いただいた件については辞退させていただきますね」
リドガルドとミュリエルの小競り合いに慣れているヴィオレッタは華麗にスルーを決め込む。そしてルドウィッグも冷たい視線をリドガルドに送っていた。
エルドレッドはそんな両親の様子に呆然としている。
有無を言わさない迫力でヴィオレッタはにっこり微笑んでいる。顔は柔和なのに寒気がしてくるほど雰囲気が怖い。
こういう時は彼女の独壇場になるので、逆らわない方が身のためだ。
(……お話いただいた件?)
エレーナは首を傾げた。両親から王家からの重要な話は聞いてない。一体どのような案件を辞退すると言うのだろう。
「そんな……ずっと楽しみにしてた愛でる計画……いやよ……ヴィオ……私の……」
亡霊のようにふらふらと左右によろけながらヴィオレッタに近寄るミュリエルの顔には、絶望が浮かんでいた。
「エル、あなたが王妃だとしてもこればかりは譲れません。エレーナは私の娘です。エルの娘ではありません」
「でも……!」
「何か誤解があるのでしょう。それが解けない限り私達は承諾致しかねます。そうでなければ娘が幸せになれません」
真剣な顔でヴィオレッタは言い切った。どうやらエレーナ関連のことらしいが、本人を置いて話が進んでいくのはダメなのではないのだろうか。
「…………分かったわ。理由くらい本人に尋ねてもいいわよね?」
ヴィオレッタは頷く。
「レーナちゃんはどうして嫌なの? もしかしてリチャードが貴女に何かした?」
パッと飛びついてきたミュリエルは至近距離でエレーナを覗き込む。
どうやら『案件』というのはエレーナが王家に嫁ぐことらしかった。そうでなければリチャードの名前がここで出てくるはずがない。
「とんでもないです……! 私からしたら身に余る……光栄です。ですが……」
大きく被りを振る。嫌じゃない。そんな感情抱くはずがない。
(なんで私が言わなくてはいけないのだろう? 余計に……傷つくのに)
『──慕う令嬢はいるよ』
脳裏に焼き付いて忘れられない言葉。あの日から心が追いつかないまま日々は過ぎていく。
気分を無理やり前向きに持って行っても、次の日には後ろ向きに。ここ数日はずっとそれの繰り返しだった。
涙が溢れてきそうでグイッと目元を拭う。
「──私ではダメなのです。リチャード殿下は小さい頃から優しくしていただきました。助けてもいただきました。とても素晴らしい殿方です。気が付かなかっただけでずっと……」
──お慕い申してました。
音にはならず、空気に消えていく。
泣き笑い、だったと思う。そして終わり、だと思った。
ミュリエルが放った言葉は冗談だと一度は流してしまった。しかし、全貴族が集まる王宮での舞踏会は、どこで聞き耳を立てている人がいるか分からない。王家の人々が冗談を言える場ではない。
そんな中で言われた「王家にお嫁にこない?」とヴィオレッタの発言で本気なのだと分かる。
了承すればリチャードの花嫁になれるのだろう。手順は簡単だ。「はい」と頷けばいい。
でも、出来ないと思った。思ってしまった。
エレーナが欲しいのは、王子殿下の〝愛する人〟で、〝王太子妃〟の地位ではない。
まやかしの──場所をもらっても意味は無い。
今よりもっとずっと辛くなるだけなのだ。
「そう……何となく状況は理解できた。とりあえず私は息子をひっぱたきたい。何をしていたんだと責めたい。……氷の貴公子とか言われてるくせに陛下と同じじゃない」
ボソリとミュリエルは呟いた。
「何か言ったか?」
地獄耳のように聞き取ったリドガルドが顔をあげる。
「……口を挟むなと申し上げましたよね?」
一瞬ルビーの瞳に翳りがさす。黒いオーラがぶわりとミュリエルから放出された。
そして侍女が拾い、手元に戻ってきていた扇が再び彼の方に目に見えない速さで飛んでいった。
危機一髪扇を躱したリドガルドは、胸に手を当てて安堵していた。しかし間髪入れずに二つ目の扇が飛んで直撃する。どうやらミュリエルはスペアを持っていたらしい。
先程よりも大きな音がしたので相当痛かったのだろう。リドガルドは額を覆って蹲った。痛すぎて声が出ないようだ。
「お見事ですミュリエル様」
静まり返る部屋にパチパチパチと侍女が拍手をする乾いた音が響く。
侍女はそのまま彼の傍に落ちている二つの扇を回収した。
「馬鹿ですね陛下」
ルドウィッグは呆れたらしく、不敬と受け取られてもおかしくない発言をする。
「あの……ミュリエル様の言葉が聞き取れなくて……なんとおっしゃいました?」
声を出しずらい雰囲気の中、おそるおそる尋ねれば、ミュリエルは何も無かったかのように優しく微笑んだ。どうやら彼女の夫のことは無視することにしたらしかった。未だに蹲っているリドガルドの方を一切見ない。
「なんでもないわ。話してくれてありがとう。長々と引き止めてしまって申し訳ないわね。舞踏会が始まるから会場に行きなさい」
そうして扉の前までミュリエルに押される。
「今宵の貴女に素晴らしい出逢いがあるよう願っているわ。もしかしたら妨害が入るかもしれないけど……嫌だったら無視してくれて構わないから」
「……ありがとうございます」
よくわからなかったがとりあえず感謝の言葉を口に乗せた。
「でも、もし、もしもよ? 気が変わってくれたらとても嬉しい。私は貴女に来て欲しいから。それに多分すれ違ってる……」
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