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第二章 アカデミー編

第67話 『気掛かりだらけの出発』

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「……ふわぁ……うぅ……眠いよぉ………」

「大丈夫…じゃなさそうだな、その様子じゃ……」


 遂にアカデミーへ入学して初となる大規模な遠征…大討伐演習へと出発する日の朝。

 ガーディー邸のリビングでは、欠伸を連発し…未だ半分以上寝ていそうなシルヴィアと、苦笑を浮かべるリクの二人が朝食を摂っていた。

 いつもより早くにアレイが迎えに来てくれる約束の為、普段のマラソンよりは遅いとは言え…早朝に起きていなければならない。

 しかし、昨日ライラックの村からラルフが伝えてくれた『Sランク』の魔物が出現する可能性を危惧したエリスに、突貫で魔法を叩き込まれる事となったシルヴィアは…

 予想した以上に習得に手こずり、殆ど寝る時間もなく今ここに居るのだった。カップを落としそうになりつつミルクティーを飲むその姿は…誰がどう見ても重度の寝不足である。


「なあ、シル。まだ時間あるし…後片付けは俺とマルがやっとくから、食べたら朝風呂行ってきなよ。そのままだと倒れるぞ?」

「……うー……そうする……ゴメンね、リっくん……ふわぁあ……うみゅ……」

「ああ、もう……危なっかしいなあ。マル、悪いけどシルを風呂場に連れて行ってくれないか?俺、片付けやるからさ」

「いえ!カップやお皿はそのままで結構でございます!シルヴィア様をお送りした後、ワタクシがすぐにやりますので…」

「いいからいいから。目覚めの良い準備体操になるからさ。兎に角…もう寝てるから、なるべく急ぎで頼むよ」

「……くぅ………すぅ…」

「ああっ!シルヴィア様!いけませんいけません!今日は大事な行事の日でございます!ささ、ワタクシの背にお乗せ致しますよ?」


 二人の替えの飲み物を用意する為、厨房に行っていたマルが戻ってくる頃には、どうにかシルヴィアが朝食を食べ終えられそうな位にはなってはいた。

 マルから熱いコーヒーを受け取り、一口飲んだリクはシルヴィアに風呂で目を覚ましてくるようにと勧める。

 ただ、一人で行かせたのでは…あちこちにぶつかって、マトモに辿り着けそうにない寝惚けっぷりである。流石に危ないと思うリクは、マルに彼女を連れて行って欲しいと頼む。

 その間、自分達が使った食器の類を洗って片付けておく…リクとしては物足りないが、それでも身体を動かす事で準備体操の代わり位にはなるだろうという考えらしい。

 しかし、マルからすればそんな事を主にさせる訳にはいかない。なのでリクと暫し押し問答の様な形となってしまうのだが…最終的にマルが折れる事となった。

 そんな他愛もないやりとりをする子供達をリビングの入り口では、ギリギリまでリクとシルヴィアの魔法具のメンテナンスを行い、結局一人徹夜する羽目になったエリスが見つめていた。


「あ、母さんおはよう……って、大丈夫?全っ然寝てないみたいだけど…?」

「おはよう、リク。心配無用よ。シルヴィアは……完全に寝てるわね。マル、リクの言う様に早いとこその子をお風呂に入れてあげて。間に合わなくなるわよ」

「奥様!!お、おはようございます!では直ちに…失礼致します。さ、シルヴィア様…参りますよ?」

「しょうがないわね、シルヴィアも……ま、一晩であれだけ魔法を覚えれば仕方ない所なのだけど」

「……母さん、シルに一体何をしたんだよ…?」

「どうしても覚えておいて貰わなければいけない魔法が出来た。だから覚えさせた。それだけよ。私の唯一人の弟子…あの子になら出来ると信じればこそ、ね」

「無茶するなあ…その評価はシルが聞いたら凄く喜ぶだろうけど……兎も角、それだけ今回の演習には何か起こるかもって母さんも思ってるって事だよね?」

「…ラルフから聞いたでしょうけど、今回の大規模討伐演習って奴に…悪魔族の何らかの介入があるかも知れない。それが私達の推測よ。残念だけれど…可能性は低くないわね」


 珍しく欠伸を噛み殺しつつ、リクに整備を終えた二人の魔法具を返却し…ソファに腰掛けるエリスは、マルとシルヴィアの向かった大浴場の方を見遣り小さく溜息を吐く。

 リクはこの母ですら疲れを隠せないその様子から、昨夜のシルヴィアがどれだけ厳しい状況に置かれていたのかを察し、その内容を聞こうとしたのだが…

 エリスは昨日、ラルフがもたらした情報を元に…シルヴィアならばごく短時間でも『切り札』となり得る魔法を覚える事が出来るだろうと考え、突貫での伝授を試みた。

 但し、それが『一つ』ではなく『複数』であった事を知らされると、流石のリクも硬直した。母のシルヴィアに対する無茶振りは今に始まった事ではないが…一晩で複数の魔法を伝授するというのは新記録ではないだろうか。

 これではシルヴィアがあんな状態になってしまうのも当然だろう。しかし…そうまでして備えさせようとする母の危惧も十分にリクは理解出来てしまう。

 二人が夜を徹しての特訓に向かった後、父・ラルフの話を聞いていたリクも…ほぼエリスと同じ予測をするに至っている。

 リクからすれば、あの父が手間取るなどという事は生まれてこの方、想像さえ出来なかったからだ。実際ラルフは当初、大討伐演習に合わせてこちらに合流する筈だったらしい。

 それが苦戦とは言えなくとも、ラルフは予想外の足止めを受けた。その原因となった『Sクラス』の出現の裏に居たであろう者…長らく不穏な動きを見せていなかった悪魔族の存在を無視出来なくなったのが現在の状況である。


「…リク。今更言わなくても分かってるでしょうけど、悪魔族の介入があった時は…躊躇せず全力を出しなさい。良いわね?下手な情けは自分を危険に陥れるからね?」

「…うん、分かってる。もしもの時は俺がシルを、皆を絶対に守るよ。そんなに心配しないでよ、母さん。ちゃんと…弁えてるつもりだから」

「なら良いわ。さてと……幾ら何でも戻ってくるのが遅すぎるわね。ちょっとシルヴィアの様子を見てくるわ。アンタは…人数分の『コレ』を荷物に入れておきなさい」

「…フード付きの外套マント?何か戦闘衣バトルクロスとデザイン、似てない?」

「それも魔法具よ。戦闘衣バトルクロスの上に着て行きなさい。留め具の部分が起動部になっていて、防水の機能と行動中の外套マント内側の温度を調節する機能を付けておいたから」

「…成程、俺達の魔法具の整備だけじゃなくて…これも作ってくれてたんだね。ありがと、母さん」

「言葉よりもお礼は…そうね、この演習でアカデミーの歴史に刻まれる様な大記録でも見せてくれれば良いわ。それじゃ、任せたわよ」

「……やり過ぎって怒られる事が無いなら頑張るよ」


 こと魔具関係の扱いに関して、他の追随を許さないレベルのエリスがリクとシルヴィアが作った魔法具のメンテナンスで徹夜になるのは考えられない。

 最初からそこが引っ掛かっていたリクだったが、いつまで経っても帰って来ないシルヴィアの様子を見に行くという母から手渡された…8人分の外套マントの正体を知り…納得した。

 彼女はシルヴィアを指導する片手間で魔法具の整備と、新たな魔法具の製作を同時にこなしていたのだ。とても人間業とは思えない。

 実際、とんでもない魔力マナを消耗した上、シルヴィアが魔法の習得を終えて眠りに付いた後も、ずっと作業に追われる程…難儀なシロモノだったらしい。

 その効果の説明を簡単にリクにすると、エリスは早足で大浴場へと向かっていった。既にアレイが迎えに来ると言っていた時間まで10分程度しか残っていない。

 リクは母の作ってくれた心強い装備に感謝しつつ…マルに約束した食器の片付けを済ませた後、大急ぎで収納用魔具にZ組全員分の外套マントを詰め込んでいくのだった。


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「…出発前夜だと言うのに、お前達はまた随分と…大変だったのだな」

「まあいつもの事だし。今日は合流地点?とかいう所に全参加者が集まるんだったよな?そこまでは…寝かせておいてやってくれないかな」

「…一体何の魔法叩き込まれたのさ、コイツ?」

「さあ?でも母さんの事だし…間違いなく俺達にとって『切り札』になるような魔法、だと思うよ。それも…シルにしか扱えないって踏んだ上でさ」

「うぅ~っ………羨ましいっ!!今度私も絶対に教えて貰わなくっちゃ!!」

「いや、その向上心は良い事だけど…静かにしてあげようよ。ホントに疲れてるみたいだしさ…あと、イリスもシードもまだ眠そうだしねぇ」


 大討伐演習-

 アカデミーに入学した生徒が最初にぶつかる…本格的な『試練』の始まりは、リスティア南部に位置する広大な森林地帯で行われる。

 当日は現地集合とされており、Z組の一同はアレイの計らいで、それぞれの住居までハーダル家の馬車による送迎を受け…早々と出発していた。

 他の生徒を乗せているであろう馬車も数台見える事から、考える事は誰しも同じなのだろう。

 特にリク達新入生にとっては、初めてのアカデミー外での演習授業故に、勝手が分からない。少しでも早く現地に着き、確認しておきたい事が山盛りなのだ。

 そんな中、出来るだけ揺れないようにと御者の青年が巧みに手綱を操るお陰で、シルヴィアはリクの肩にもたれ掛かり…未だに眠っていた。

 更にはイリス、そしてシードも寝息を立てており…アレイ、リク、ミーリィ、ナーストリア、ルーカスの5人は自然と小声で話している訳で…

 リクは取り合えず、起きているメンバーにエリスから預かった外套マントを手渡していく。

 そして魔法具としての機能を説明しつつ、昨日から両親と話してきた『危惧』についても語る。


「成程な…リク、その情報に間違いが無ければ…この演習に『Sクラス』の魔物が出現するかも知れないのだな?しかも…可能性は高い方だと」

「……実際に討伐した父さんが言うんだから、多分こっちにも何か起こる…と思う。正直、何も起こって欲しくないけどさ」

「僕達でどうにかなるものなのかな、それって……リクの親父さんって、当然あのエリス様と同じ位…強いんだよね?」

「上手く比較は出来ないけどね。父さんは俺よりずっと強いよ。まあ…今回の討伐もどうせ『無かった事』にしておくんだろうけど」

「えーっ?どうして?だって、伝説級じゃない?『Sクラスの討伐』なんて実績…普通に考えて、英雄って呼ばれる功績でしょ?」

「そりゃアレだろ。リクの所は両親揃って『目立つ事は面倒』って考えじゃねえか?」

「鋭いなミーリィ。俺達も散々言われてるけど…出来るだけ目立たない様にする方が良いよ。今後は皆も同じだけど…厄介事が増えるだけだしさ…ホントに」

「そうしておきたいのは山々だがな…状況次第ではどうなるか分からん。最悪、Z組の評価を変えさせるアピールの場と割り切る位の気構えは全員しておこう」


 Z組の戦闘力は、恐らく現状のアカデミーにおいて最強と言い切って良い。とリクは見ていた。普段通りの力が出せれば…エリスの評価通り、『Aクラス』の魔物も敵ではないだろう。

 しかし、リクとシルヴィアを除いて未だに魔物との戦闘経験が無い事が若干の不安材料でもある。まして『Sクラス』を前にした時…果たして冷静に対処が出来るだろうか…?

 大暴れの末に撃破、となれば結果は良いのかも知れないが…変な目立ち方をすれば、後々面倒な事にもなりかねない。

 非常に難しい選択を多数迫られる予感を抱く一同。最終的にアレイが半ば開き直り気味にまとめて、リク達は降車の用意に掛かるため会話を打ち切った。兎に角…やってみないと分からない。

 ギリギリまで寝かせていたシルヴィア達を起こし、集合時間よりおよそ20分程早くリク達の乗る馬車は…大討伐演習の舞台である『深緑の大森林』へと辿り着く。

 次々と真新しい戦闘衣バトルクロスに身を包んだZ組のメンバーが馬車を降り、収納用魔具から装備を取り出し…最後の準備や点検を始め、アレイはZ組が到着した事を教員に伝える為、小走りで報告に向かう。

 周りには次々と他の生徒達が到着し、同じ様に入念な準備や打ち合わせを行っている姿も見える。


「……始まるんだな、これから…多分、今までで一番激しい戦いって奴が…」


 自分達と同じ新入生が抱く緊張。そして、上級生達が抱く緊張とは全く別の意味での緊張を感じ…リクは一人、気合を漲らせるのだった。


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