上 下
57 / 73
第二章 アカデミー編

第55話 『リムラッドの酒場にて』

しおりを挟む

 

 ナーストリアの勧めで、今日の反省会と今後の相談を彼女の自宅……南区域にある冒険者御用達の『リムラッドの酒場』へと、リク達Z組は移動を開始する。

 アカデミーに入学する時点で全員が既に成人しており、当然酒場の様な場所にも出入りする事が可能なのだが、これまで行く機会が無かったリクとシルヴィアを始めとして殆どが初体験のようだ。


「南区域の奥の方…そうそう、歓楽街の少し手前の酒場。御者さんってば、流石ねぇ~。あ、もしかして来てくれた事あります?」

「いえ…自分はまだです。先輩方の話に良く聞いておりますので、場所を把握していただけですよ。自分も早く行ってみたいので…という動機で覚えたんですけどね」

「我が家の使用人達が世話になっているのがナーシャの家の酒場とは…世間は広いようで狭いものだな」


 気楽な調子でハーダル家の馬車を操る御者の青年へと、ナーシャは道案内を兼ねて話しかけていた。休日は家業である酒場の手伝いをしているという彼女は、初対面の人間でも構える事なく気軽に話しかけ…打ち解けるという特技を持っている。

 これで魔法に対する姿勢さえマトモなら…とZ組の面々は誰ともなく苦笑する。尤も、引っ込み思案を自認するイリスは少しナーシャの事を羨ましそうに見てもいたのだが。

 ハーダル家の使用人の一人である青年は、自分達とあまり変わらない年齢であるらしく、リク達同様にまだ酒場の経験は無いとの事だったが、他の使用人…先輩使用人達から話は良く聞かされており、その内行ってみたいと笑顔で返していた。

 そんな会話を耳にしたアレイは、自分の考えよりも世間が予想もつかない所で繋がっているものだと感じるのであった。


「歓楽街の近くって…ねえ、ナーシャ。その辺りってどんな雰囲気なの?」

「雰囲気?…そうねえ、シルヴィアが考えているような『いかがわしい空気』とか、そういうのは無いわよ?…ああ、つまり…リク君がそういうとこに行かないか、心配なのねぇ~?」

「ふぇっ!?べ、別にそういうんじゃなくて!?そ、そもそもリっくんには絶対行かせたりしない…じゃなくって!?」

「そもそも、リスティアの歓楽街はギルドや王家が認可している正当な施設群でござる。無論、そういった事もあるのでござろうが…それがしの知りうる限り、ややこしい場所でもござらぬよ」

「…シード君、どうして詳しいの?」

それがし、故郷から縁の有る御仁の紹介で、歓楽街の管理をする宿に下宿しているでござる。正直…目の毒と思う事も多けれど、皆良き人々にござるよ」

「か…歓楽街に下宿って…凄い話だよね……でも、少し…イメージとは違うんだね。ちょっと、安心かも…」

「…だ、そうだけど。実際のとこさ、リクは興味とか無いの?ほら、僕らだって成人男性な訳だしさ?」

「俺だって多少は興味有るよ?リスティアに来てからまだ街の事全然分かってないし。知らない場所があるといざって言う時、戦いにくいだろうしさ」

「……あ、興味が有るのはそっちの方か。シルヴィア、心配しなくても大丈夫そうだよ。リクはさ」

「ルーカス君まで!?……もうッ!!」


 アカデミーから南区域への道すがら、どうしても以前にマルから聞かされていた『歓楽街』が近い、という点が気になるらしいシルヴィアがナーストリアに尋ねる。

 どうあってもリクをそういった場所に近づけたくは無いのだろうが…心配そうに聞いてくるシルヴィアの姿を見たナーストリアは、心配無用と答えるが…

 最後の一言をこれ以上無い程の悪い笑顔で口にした為、シルヴィアは大いに狼狽する。同時にやはりリクを近づけさせてなるものか、と更に警戒を強めかけるのだが、今度はシードが衝撃の事実と共に歓楽街がイメージとは異なる地域であると説明する。

 東方の小国出身のシードは、アカデミーを受験する事を両親に伝えた際、同郷の人間がリスティアの歓楽街で要職についていると紹介され、そこで雑事を手伝う事を条件に下宿させて貰っているのだというのだ。

 見るからに真面目が服を着て歩いている…といったシードの言で、シルヴィアと同様に歓楽街に良いイメージを持っては居なかったらしいイリスも安堵の溜息を洩らした。

 一方、ミーリィを除く女性陣がわいのわいのと騒いでいるのをぼんやりと見ていたリクに、ルーカスが素朴な疑問を投げかける。そもそも、リクは『そういった事』に興味はないのか?と。

 しかし、リクの返答はルーカスを始め、一同の予想した答えとは相当『ズレた』ものであった。

 成人男子としての興味ではなく、単純に『知らない場所があるのが気に掛かる』程度の興味しかない。要するに今までの習慣から、街のあらゆる地形や特性を知っておきたいのだ。

 無論、リクもガーディ邸においてシルヴィアの事を意識し始める位には、異性に対する関心はあるのだが…少なくとも、歓楽街のお姉さん方にはそういう興味を持つ心配など無用なようで…

 それこそ【肉体強化フィジカル・ブースト】を聴覚に集束化しているのでないか、と思う程の聞き耳を立てていたシルヴィアは大きく息を吐く。

 そんな姿を見たルーカスに茶化されるのだが、シルヴィアにとっては最早怒るよりも安堵の思いが勝ってしまい…皆から真っ赤になった顔を背ける事くらいしか出来なかった。


「……で、くっちゃべってる間に到着してるみたいだぜ?ほれ、アレイ!お前が降りないといつまで経っても話が進まねぇぞ!!」

「む。もう着いたのか?…分かったから押すなミーリィ。すまないが、要件が済み次第家に連絡を入れる。先に戻っていてくれ」

「承知致しました。それでは私はハーダル家へ戻っておりますので……」


 かなりの間話し込んでいたのだろう。馬車はとうの昔に南区域の奥へと到達し、目的地である『リムラッドの酒場』の前に停車していた。

 痺れを切らしたような口調でミーリィがアレイに馬車を降りるように急かす。言葉だけで無く、彼の大きな背中をぐいぐいと両手で押している辺り、彼女なりに頭から湯気を噴きかねないシルヴィアを気遣っているのだろう。

 アレイは戸惑った表情を浮かべつつ、押されるがままに馬車を降りて御者の青年に先に戻っている様に指示を出す。恭しく青年はアレイに一礼すると、全員が降車した事を確認した後に馬車をハーダル家へと走らせていった。

 商店が軒を並べる南区域の奥……宿屋街とも呼ばれる一角、その最奥の部分。歓楽街の本当に一歩手前にある、立派な造りの建物。

 昼間は食事のみ。夜は食事及び酒類の提供と、他の宿が満杯で宿泊先を探す冒険者や旅人用の宿泊も請け負う、一風変わったこの区域の名物店でもある。


「ここが私の家よ。自己紹介の時にも言ったけど、皆にはたっぷりサービスしちゃうからね!さ、入って入って!」

「お!ナーシャじゃねえか!アカデミー初日にしては遅いお帰りだなあ?さては…初日から何かやらかして居残りか?」

「ナーシャだしな!大方、自慢の攻撃魔法を暴走でもさせて…校舎を吹っ飛ばした、とかな!」

「あのねぇ……幾ら私でも入学初日にそんな大事件起こさないわよ!そもそも暴走なんかしないし!私の魔法は完璧なのよッ!」

「……どの口で言ってんだよ、お前」


 店の入り口前で大きく両腕を広げ、笑顔で一行を歓迎しようとしたナーストリアであったが、早速茶々が入った。

 酒場の常連客が帰宅した彼女の姿を見つけ、ジョッキを片手にその帰りを出迎えたのだ。既に何杯か空けているのだろう。赤ら顔で上機嫌な様子のオッサン達がわらわらとナーストリアを囲んだ。

 今日が初日だというのに、妙に帰りが遅かった事を常連客は『ナーシャが何かをやらかして怒られたに違いない』という意見で一致していた。

 実に彼女の事を良く分かっている辺り、付き合いが長いのだろう。遠慮の無い物言いもそれを裏付けている。ナーストリア自身も慣れた様子で、豊満な胸を張って言い返している。

 ただ、ナーストリアの壮絶な自爆を目の当たりにしていたミーリィは呆れた顔でツッコミを入れていたが…間違いなく聞いては居ないだろう。

 どんどんと増えだす陽気なオッサン達に囲まれながら、一行は人生初の酒場(ナーストリアを除いてだが)に足を踏み入れるのだった。


-----------------------


 夜の時刻を迎えた酒場らしい、賑やかな声が彩る店内。その中央付近の大きな丸テーブルを囲む形でリク達は食事をしつつ、今日の事を振り返り…反省会と今後の方針について話し合うつもりだ。

 時折、私服にエプロンを着け、ゆるふわなピンクの髪をアップに結ったナーストリアが席を立ち、他の客の注文を受けていたりしているので真面目に…とは言えないが、ふざけている訳でも無い。

 ナーストリアにとっては、家に居る間は手伝いが付いて回るのだろう事は全員が何となく予想出来ていた事でもある。特に職種は異なるが、同じ様に商売人の家の出と言えるルーカスは自身と重なる部分があるのか、ナーストリアが動きやすい様にと最初に席を代わっていたくらいだ。


「…ちょくちょくナーシャが抜けるのは仕方ないか。て言うか…意外って位、混雑してる店内を上手く移動しているなあ。結構良い身のこなしだぞ、あれって」

「注目する点がそこなのがお前らしいな、リク…折角沢山の料理を提供してくれているのだ。皆で頂きつつ、今日の事。そしてこれからの事を話し合うぞ?」

「それだけどさ、今後の為の話もするんだったら、Z組の代表……クラスのリーダーみたいなのを決めておかないか?」


 リク達が座ったテーブルには、既に所狭しと出来上がった料理が並べられていた。娘の友人…クラスメートが初めて来店した事とあって、店の主であるナーストリアの両親が大奮発してくれたものだ。

 そして、その料理を含め他の客への配膳も滞りなく行うナーストリアの動きは非常に軽やかで、リクは意外だと思った事を正直に口にする。

 やや呆れ顔でそれに応じるアレイは、兎も角折角の料理が冷めてしまわないようにと、食べながらの反省会を行う事を提示したのだが…再びリクが意見を述べた。先にクラスの代表を決めるべきだ、と。


「私もリっくんに賛成、かな……正直ね、Z組の置かれている状況って…あんまりどころか、かなり良くない気がする」

「……つまり、アルベルト先生がそれがし達に一刻も早く立ち去るように命じたのは…」

「多分、シードの考えてる事は俺とシルの考えと同じかな。先生達が言ってた『学年主任』って人は、相当俺達が気に入らないんじゃないか?って思うんだ」

「そんな…幾ら何でも、アカデミーの先生が生徒を目の敵にするような事……あるの?」

「否定したいのは僕も同じだけど…リク達の言う事の方が正直、当たってる気がするねえ…気分悪いけど、さ」

「……ま、アタシも同意見だよ。そもそもアレイ、お前はどう感じてるのさ?」

「…悲しいが、思った以上に俺達の評価は芳しくないと感じた…いや、疎まれてさえいるのかも知れないとも思ったな」


 リクの発言を真っ先に肯定し、賛意を示したのはやはりシルヴィアだ。彼女もまた、リク同様に自分達Z組に向けられているであろう悪意の様な空気を、帰宅を急がせるアルベルトの様子から感じていたのだ。

 二人の真剣な言葉から、その内容を察したらしいシードが口を開くと、リクは大きく頷き…核心を述べる。

 それは、Z組が自分達が考えていた以上に『厄介者』のレッテルを既に張られており、ともすれば退学に追い込もうとしているのではないか?という疑念である。

 何故ならば、今日行われた模擬戦はアルベルトが事前に教練グラウンドの使用許可を申請しており、更には結界強化用の魔具の使用も届け出た上での実施だった。

 それにも関わらず警報が鳴り響いたとはいえ、件の学年主任がいきなり乗り込んで来ようとするのは、何かがおかしいと感じたのだ。

 正直な話、そもそもあの程度の事で警報が出るようならば…アカデミーそのものの防衛能力自体、かなり不安なものになるのでは?とさえ思わざるを得ない。

 とどのつまり…リクとシルヴィアは『学年主任の先生はZ組が無くなる様画策している』と踏んだのだ。

 イリスは信じられない、と驚き表情を曇らせる。彼女とは少し考えは違っては居たが、ルーカスとミーリィも渋い顔をしていた。

 そして…そのミーリィに話を振られたアレイはというと、やはり苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてリク達の意見を肯定したのだった。


「それでさ、思ったんだよ。Z組全体を団結させるのと、いざって時に先生相手でもキッチリと言いたい事を言える体勢ってのを作っておかないとって」

「成程な。今後の連携強化にとっても重要な事だと俺も思う。皆はどうだ?」

「反対意見は無いんじゃねーか?皆分かっただろうしさ。だろ?」


 リクとアレイが意見を一致させ、全員にZ組のリーダーを選出してこれからに備える事を再度提案するが…小さく不敵な笑みを浮かべて答えたミーリィの言葉が皆の思いを代弁する。

 反対する理由などない。寧ろ、一層の団結を求められるであろう自分達を取り巻く環境に、全員の考えは纏まったのだ。

 しかし…続くリクの、そしてシルヴィアの言葉にアレイが硬直する事になった。


「なら…俺はZ組の代表として、アレイを推薦するよ。ていうか……悪いけど、絶対なって貰いたい」

「あ、やっぱりリっくんも同じ事考えてたんだ。私もアレイ君にお願い出来たらなぁ…って」

「………は?何故俺なんだ!?寧ろリクにシルヴィア、お前達の方が適任だろう!?」

「理由は二つあるんだけどさ。……悪い、話振っておいて何だけど…そろそろ食べないか?流石に冷めそうで申し訳なくなってきた」

「そうそう!早く食べて食べて!お父さんとお母さんがドンドン作ってるからお皿を空けてちょうだいねっ!直ぐに持ってくるからっ」

「いや!……ちゃんと説明をだな…!!」


 リクとシルヴィアは揃ってアレイにリーダーとしてZ組を纏める役目を負って欲しい事を告げたのだ。まさか自分に振ってくるとは予想だにしなかったアレイは狼狽える。

 きちんとした理由があると言うリクにその内容を聞きたいのだが、それはリクといつの間にか戻ってきていたナーストリアによって阻まれた。

 いい加減料理に手を付けないと、折角の豪勢な夕食がすっかり冷めてしまう程、いつの間にか話し込んでいたのだ。

 更にはまだ料理が出てくるのだから、早く平らげて皿を空けろと言われる始末。かくして、アレイの必死の交渉も虚しく……一同は食事に舌鼓を打ち始めるのだった。


しおりを挟む

処理中です...