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第二章 アカデミー編

第47話 『その笑顔を守る為に』

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ガーディ邸の男湯。風呂に入る前にきっちりと体を洗い、腰にタオルを巻き付けたリクとアレイの二人は何故か湯に浸からず、互いの体を見比べていた。

がっしりとした体格・・・無駄なく鍛え上げられた筋肉のリク。その一回りは大きな体格、そしてガチガチに鍛え抜かれた筋肉のアレイ。

特に意味も無く。ただ、何となくお互いどんな鍛え方をしてきたのかが気になるようで・・・


「何とも無駄なく鍛え上げられた体だな・・・本当にどういう修行や訓練を積んできたのかじっくりと聞かせて貰いたいものだ」

「いや、お前がそれを言うかアレイ?俺からすれば、元々の身長とかの体格差は兎も角、どうやったらそんだけ筋肉つくのかが気になるよ」

「どうやったらと言われてもだな・・・良く動き、良く食べた結果としか言いようが無いんだがな。間違いなく日々積んできた修行内容はお前の足元にも及ばないと思うぞ?」

「じゃあ体質って事なのか・・・?まあ、俺やシルがやってきた事は後で夕飯を食べながら話すよ。しっかし・・・やっちまったなぁ、俺」


岩風呂へと歩きながらガシガシと右手で濡れた頭を掻き、ようやく湯に体を浸けるリク。アレイもそれに続き、隣に腰を下ろししっかりと肩まで湯に浸かる。

リクが言っているのは、当然今日の順位戦観戦中のあの出来事についてだ。

自分の感情を上手く制御出来ず、【闘気オーラ】を漏れ出させてしまったばかりか・・・自分の方が失態を犯した。失礼な話だが、もしもシルヴィアとの同居生活がバレる様な事があるのなら、それはシルヴィアがやらかすのではないか、とリクは思っていたのだ。

もしシルヴィアが聞いたら、それこそ『師匠譲りの』怒り方をすることになるのだろうが、そんな事に気が回らない位にはリクは落ち込んでいた。


「・・・まあ、なんだ。同じ村出身で同門と聞いていたからな。互いの呼び方程度なら如何様にもあるのだろう、と思う所だったが・・・あれでは『俺達同居してます』と宣言しているようなものだ」

「うぐっ・・・マジでアレイしか聞いてなくて良かった・・・あれだけ注目されてて、周りにも聞こえてたら絶対ややこしい事になってた・・・」

「今も十分ややこしいのだがな。俺やミーリィを巻き込んだのは悪くない判断だが、隠し事は無しで頼むぞ?・・・でなければ、何をフォローして良いのかも分からんし、出来るかどうかさえ判断できんぞ?」

「悪い・・・ちゃんと話すよ。流石にお前やミーリィみたいに信頼出来るって思った相手に・・・隠すような事じゃないし、騒ぎにならない程度に手伝ってくれれば助かるよ・・・」


今日の事を振り返って話すアレイは、表情こそ苦笑を浮かべているが、実際にはこの状況を楽しんでいる気配さえ漂わせている。若干自己嫌悪に陥りかけているリクとは対照的である。

そんなアレイの飾らない言葉に、リクも少しは心が軽くなったようで・・・大きな体の友人に信頼を言葉で伝える。


「うむ。当面はお前達の生活については秘匿事項にしておこう。同じクラスになる者にはその内説明が必要だろうが・・・取り合えず、シルヴィアを狙う連中には知られない様にするべきだ」

「・・・何だそれ?シルを狙うって・・・」

「これは忠告だが・・・アカデミーは俺を含め、多くの貴族子弟が在籍している。今回の入試を受けた連中もそうだ。お前も多くの馬車を見ただろう?」

「ああ。でもあれが全部って事はないだろ?それに女子もそこそこ人数居たと思うんだけど・・・」

「そうだな。ただ、問題になるのは・・・女性は多くの夫を持つことは無いが、男はそうではないという事だ。貴族の中には『愛妾あいしょう』を囲う者も多いと聞くからな」


奇しくも、女湯でミーリィがシルヴィアに対して言って聞かせている事と、立場こそ逆ではあるが同じ意味合いの内容をリクに説くアレイ。

伯爵家の嫡男として、貴族階級の内面事情を見てきた彼の言は、より具体的であり、リクも表情を引き締めて真剣にアレイの話に耳を傾ける。


「・・・今日観客席で騒いでいた連中は恐らく違うだろうが、今後はより注意しなければいかんだろうな。貴族連中は大抵、婚約者が居る者が多いが・・・俺の様に例外が居るのも事実だからな」

「伯爵家なのにか?いや・・・偏見だとは思うけど、貴族は婚約者が居るのが当たり前って思ってたよ」

「ハーダル家は特殊でな。成人した者は自分で見染めた相手を口説き落として伴侶とせよ、という家訓があるのだ・・・もう一軒同じ様な家訓を掲げる貴族も知っているが、他は・・・まあ無いだろうな」

「兎に角、俺がしっかりしてなきゃいけないのは分かったよ。そんな理由でシルに近づこうってんなら、そいつ等は絶対許さない。例えどんな事をしても俺が守る」

「・・・そこまで覚悟を決めている割には、女性として彼女の事を見れていないのは何故なんだ・・・?」

「別に・・・そういう訳じゃないけどさ・・・正直、あの時の感情は嫉妬なんだろうって自分でも分かってるよ。ただ、さ・・・今まで、シルの事どこかで妹か何かみたいに感じてたのかもって思ったんだ」


今後はより自分がしっかりと目を光らせて、シルヴィアに言い寄ろうとする輩を排除すると宣言するリク。普段の優しい少年の顔は鳴りを潜め、剣呑な言葉には実力行使も厭わない真剣さが滲む。

そこまで言わせる確たる想いを聞き、アレイはわざと大きく溜息をつき、ジト目でリクを見る。だったら何故、堂々と彼女を恋人としないのかと思うのはアレイでなくとも当然だろう。

その疑問に、リクは広い風呂場の天井を見上げながらポツリポツリと呟くように答え・・・語りだす。


「知り合った頃はさ。シルはおじさん達・・・薬師の親御さんがしょっちゅう長期の旅に出てたからか、凄く寂しそうでさ・・・いつも俺の後をついて歩いてたんだ。多分・・・10歳位までずっと一緒に暮らしてたけど、夜はいつも泣いてたんだよ」


リクとシルヴィアが初めて会ったのは今から12年前。丁度3歳の誕生日の日にライラックの村にラルフ一家が引っ越して来た時からの付き合いになる。

当時からリクは明るい性格の少年で、お隣の家に同い年の子供が居る事を知って大喜びした。生まれた時から両親と共に各地を転々としてきた幼子には友達がおらず、初めてその機会を得る事が出来た彼は兎に角嬉しかったのだ。

一方、シルヴィアも村で生まれてこの方、同世代の子供が居らず、友達になれるかも・・・と期待はしていた。ただ、当時のシルヴィアはかなりの引っ込み思案で・・・人見知りの気もあった。

両家が挨拶をする中、リクとシルヴィアも子供同士で挨拶をし・・・これから仲良くなれればいいな、と普通に思ったものだったが・・・シルヴィアの両親であるロイとメルディアは、今知り合ったばかりのラルフ夫妻に娘の事を預け、薬の素材集めの旅に出てしまったのだ。

それもこれも、ラルフが安請け合いしたからなのだが・・・まさか、そんな関係が10年近く続くとは誰も思いはしなかっただろう。

あまりにもメチャクチャな状況に、シルヴィアは適応できず・・・何をするにも兎に角リクについて回るようになってしまった。大人であるラルフやエリスよりも、同い年のリクの方がまだかろうじてシルヴィアは安心できたのだ。

リクも戸惑ったものだったが、何せ初めての同い年の・・・友達、といっていいだろう女の子が不安そうに、自分の服の裾をぎゅっと握って離さない姿を見て、幼心に決心した事があった。


「・・・だからさ。俺がこの女の子を・・・シルの事を不安にさせない。ちゃんと守ってみせる!・・・って決めたんだ。で、師匠達の訓練が始まる5歳まではずっとそんな感じだったんだ」

「凄い家庭環境だな・・・」

「俺も変な家だと思ってるよ・・・今でも、シルは明るく・・・強くなったと思うけど、寂しがりなとこは変わってないし。何よりさ・・・・」


簡単に昔語りをしたリク。アレイはその特殊過ぎる家庭の事情に半ば呆れているが、リク自身も自分達の親は世間一般に見てかなり特殊だという自覚はあるらしい。その上で、シルヴィアがもう子供の頃とは違い・・・優しい性格はそのままに、強く成長していると感じている事を口にする。

と、そこまで言ってリクは声のトーンを落とし、一瞬女湯の方の気配を伺う。大体ではあるがシルヴィアとミーリィは、自分達の反対側に居る様で・・・声が届く心配が無い事だけを確認する。


「・・・絶対、シル達に言うなよ?俺さ・・・あいつの泣いた顔だけは見たくないんだ。昔からシルが泣く度に、俺は自分の力不足を思い知らされたんだよ・・・俺がちゃんと守ってやれないから、寂しい思いをさせてるから・・・って」

「・・・まあ、そうだな。同じ立場なら恐らくだが、俺も似たような感情を抱くと思う」

「俺が強くなりたいって思ったのも・・・今もだけど、それは全部・・・シルが笑顔で暮らせる場所を、あいつの笑顔を守る為の力が欲しい、ただそれだけなんだよ・・・って、顔熱ッ・・・!アレイ、頼むから絶対に言うなよ!?」

「心配するな。俺は口は堅い方だ・・・正直、胸やけしそうな感じだがな・・・」


リクは、温かい風呂の為ではなく・・・赤面し、熱くなった自分の頬を両手でぺちぺちと叩きながら、傍らのアレイに懇願する。アレイはそんなリクの姿に苦笑しつつ、彼も少女の事を十分に意識しているのだと確信するのだった。


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風呂から上がり、四人はぷちマル達の案内でガーディ邸の食堂へと案内された。

すっかり体が温まり、風邪の危機を脱したミーリィも上機嫌であり、揃ってマルが腕を振るったという夕飯に舌鼓を打っていた。四人分の食事の用意も難なくこなすマルの手際をアレイが頻りに感心していたり、リクとシルヴィアが代わる代わる、村で過ごして来た時間について説明をしたり・・・

気付けば結構な時間が過ぎていた。元々、夕方手前の時間に帰宅した事もあっての事だが、食事をしながらの会話がかなり長くなった事に四人が気付いたのは、マルが気を利かせて時間を告げてくれたからだったりする。

リビングに移動し、明日は取り合えずアレイがここまで迎えに来て、三人がガーディ邸で集合して一緒に登校する、という形を取る事だけを決めて、今日はお開きにしようという事になった。


「まだまだ聞きたい事が山盛りなのだが・・・仕方ないな。マル、すまないが馬車の手配を頼んでもよいか?俺は近いから良いが、ミーリィを寄宿舎に送っていかねばならんのでな」

「かしこまりました、アレイ様。それではハーダル家に知らせてまいりますので・・・暫し、ここでご歓談下さいませ」

「助かるよ。別に夜道でも構わないけど、正直疲れたからさ・・・歩いてアカデミーの向こうまで戻るのは面倒だったんだよ・・・悪いな、アレイ」

「何、気にするな。残念ながら、俺達はこの二人に巻き込まれた者同士、だからな。気を使うだけ余計疲れるぞ?」

「ハハッ!そりゃ違いないね!じゃあ遠慮なく乗せてってもらうとするか!」

「「それどんな意気投合!?」」


わいわいとリビングで騒ぐ四人。年相応の笑顔でふざけ合う姿はもうすっかり旧知の友人のようで・・・親友と呼べる間柄になりそうな予感をそれぞれが感じていた。

程無くしてマルが帰宅し、やや遅れてハーダル家の紋章をつけた立派な馬車が到着する。ぎこちなく御者の人などにお辞儀してミーリィが乗り込み、アレイがその後に続き・・・二人は帰路に着いた。

屋敷の門まで見送りに出たリクとシルヴィアは、馬車が通りを進み見えなくなるまで立っていたが、やがてマルを伴い屋敷へと戻っていく。

リビングに戻り、ソファーに向かい合う形で座り。いそいそとお茶を運ぶぷちマル達を労いつつ・・・二人は疲れた笑顔を向け合った。


「何だかいっぱい有りすぎて・・・疲れちゃったね」

「まったくだよ・・・久しぶりに何もしたくない、って思った。何にしても・・・ごめんな、俺が迂闊なばっかりに・・・アレイ達も巻き込んだし・・・」

「もう・・・リっくん。謝らなくていいよ?だって・・・ミーリィとアレイ君なら大丈夫だと思うし、いつまでも隠しておけるかっていうと・・・ね?」

「・・・そうだよな・・・その内はっきり・・・・い、いや。それは兎も角!・・・あのさ・・・シル」

「・・・ん?どうしたの、リっくん?」

「その・・・色々あったけどさ。俺達は・・・その、俺達らしく・・・居ような?・・・これからも、シルの事は俺が絶対に守るから」

「・・・・・うん。その、ね?私も・・・リっくんのパートナーで居られるように、これからも頑張るね?」


怒涛の一日だった。実技試験での疲労よりも、様々な感情が入り交じり・・・お互いの存在をリクとシルヴィアがそれぞれに『今までと違う』感じ方をした戸惑いの方が大きい。

大切な幼馴染で、誰よりも息の合った頼れるパートナー。でも、それだけではない・・・芽生えた自覚。

何となく今までとは違う空気が流れる時間だったが、それでも二人は自分達らしく、これからも手を取り合って進む事を誓う。そして・・・


「じゃあ・・・んしょ、っと」


シルヴィアはおもむろに立ち上がり、リクの元へと歩み寄るとそのままソファーに腰掛けるリクの膝と膝の間に開く僅かな隙間へと座り・・・ぽすん、と彼の胸に後頭部を預ける。


「お、おい・・・ちゃんと話聞いてたのか、シル?」

「聞いてたよ?・・・だから、私達らしくっていうか・・・ちょっとだけ、昔みたいにね?」

「・・・しょうがないなぁ。でも、今夜はちゃんと一人で寝るようにしてくれよ?」

「えーっ!?・・・リっくん、昔はそんな意地悪言わなかったよぉ」


洗い立ての栗色の髪からのいい香りがリクの鼻腔をくすぐる。確かに子供の頃は、シルヴィアの特等席はいつもこうだった。特に寂しくて泣いていた時は、こうしてリクの膝に収まって体を預ける事で安心できたのだ。

そのまま落ち着いたら一緒に寝る、という行動がお決まりだった為か・・・リクはあらかじめ釘をさしておく。やはりと言うべきか、彼の予想通りシルヴィアは不満そうな声を出す。

理性を総動員して堪え、尚も一緒に寝ようとする事を諦めない少女を説き伏せるのに数十分・・・とっぷりと夜も更けた頃、ようやく二人はそれぞれの寝室に向かう。

今夜はすんなりと寝付く事が出来たシルヴィアとは対照的に、リクは眠れぬ夜を過ごすのであった。


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