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2.山道でのトラブル
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バスの前を見ると、外では運転手さんとガイドさんが道の先へと歩き出している。
石原先生がドアから入ってきて、バスの一番うしろまで聞こえる声で話しはじめた。
「今、運転手さんたちが道を確かめに行ってくれています。本当なら、サービスエリアでトイレきゅうけいの時間だけれど、ごめんなさいね、まだいつトイレに行けるかわかりません」
車内に緊張が走った、ような気がした。
たぶんだけれど、もよおしていなかったのに先生の話を聞いて急にトイレが恋しくなった人もいたんじゃないかな。
ふと隣を見ると、ケンがまさにそうだったみたいだ。
「トイレ行けると思って、水筒の水ぜんぶ飲んじゃった……」
ふるえる声でそういうケンのくちびるは、気のせいなのかムラサキ色に見える。
「がまんできる人はがまんしてほしいんだけれど、どうしてもトイレに行きたい人、いる?」
先生がそう言うと、パラパラと手が挙がった。
ケンもそのうちの一人だ。数えてみると、全部で四人。
それから先生は、今まで見たこともない緊張した顔で、ゆっくりいった。
「わかりました。ではその四人は、先生といっしょにバスを降りましょう。本当はいけないんだけれど、今は緊急事態なので」
緊急事態という言葉に、ぼくの心はざわついた。
それまでは、なんだかんだでどうにかなるさと気楽に考えていたのに、一気に雲行きがあやしくなったのを感じたから。
石原先生を先頭にバスを降りた四人は、ガードレールの途切れたところから山の斜面へ入っていく。
斜面といっても崖があるわけではなく、ゆるやかだ。
見上げるほど高い木々のほかに、先生の腰くらいの高さの低木もしげっている。
ケンたちは、バスから見えるか見えないかくらいに奥まった低木のところで一人ずつ……その、用を足しているらしい。
四人の用事が終わると、また先生を先頭にバスへと戻ってくる。
ガードレールまであと少しというところで、バスの一番前の席にいた女子がフロントガラスの外を指さして大声で叫んだ。
「先生たち急いで! 煙が! 煙が!」
そこでぼくらも目撃した。
ゆるやかなカーブを描く坂の上から、まるでドライアイスの煙のように真っ白でモクモクしたものが、波のように押し寄せてくるのを。
霧みたいだけれど、もっと濃い。
もしも夏の入道雲が目の前にあったらこんな感じになるのかな。
バスの外で石原先生も気づいて、後ろに続く生徒たちを急がせた。
白い煙の波は、今にもバスを飲み込もうとしている。
前を走る三人の生徒は次々にバスへと駆け込んできたが、ケンだけが遅れている。
先生はドアの手すりにつかまりながら、ケンへと手を伸ばした。
ケンが先生の手をつかんだ瞬間、煙は音もなくフロントガラスにぶつかり、そのままバスを包みこんででいく。
ぼくは声もなく息をのんだ。
窓ガラスが前から順に真っ白に染まっていくとき、背中を嫌な感じの寒気が駆け抜けた。
横や後ろを見ると、ドクやサツキ、ユリも同じように気味悪そうな顔をしている。
どうやらこの感じは、ぼくだけのものではなかったみたいだ。
「ケンくん、先生のほうへいらっしゃい。手をつないでいるから、足元に気をつけて、ゆっくりよ」
先生の体は半分、ケンの体は全部、煙に飲みこまれて見えない。
無事……なんだよね?
すぐ隣でドクがつばを飲みこむ音が、やけに大きく聞こえた。
長い長い時間がたったような気がする。
でも実際は、一分もすぎていないのかもしれない。
運動靴がバスのステップを踏む音が響いた。
先生に手を引かれ、ドアからケンが顔をのぞかせると、ぼくらの班を中心に何人かから拍手と歓声が起こった。
「よかった……」
ぼくは、ほっとして座席に体を沈ませた。
自分でも知らないうちに、立ち上がって成り行きを見守っていたみたい。
でもよく考えると、なにも良くなっていないんだよね。
バスは完全に煙に飲みこまれた。
前も後ろも、窓はぜんぶ真っ白だ。
開いたままのドアからはチョロチョロと煙の一部が吹き込んでくるけれど、先生の体がたてになってくれて車内までは侵入してこない。
「そういえば運転手さんたち、この先で煙に巻きこまれているだろうけれど、大丈夫かなぁ?」
「どう……だろう」
ドクの言葉に、サツキとユリはほぼ同時に息をのんだ。
だって、窓の外は白一色でなにも見えない。
さっきまで見えていた道も、山肌も、木々も……なにも。
この煙の中じゃ、顔の3センチ先にあるものさえ見えないよ。
ということは、一歩先がもしガケであっても気づけるかどうかはあやしい。
「みんな、大丈夫よ。霧が晴れるまで、このまま待ちましょう」
不安で今にも泣きそうな女子を安心させるように、先生がなんでもないふうにいった。
でもぼくは、パニックが広がるのは時間の問題だと思う。
ケンが席に戻ってきた。
バスまでダッシュした直後なのに、顔色が悪い。
ふつうこういうときって、真っ赤な顔をしていそうなものだけれど。
「危なかったね」
「危なかった……」
ぼくの言葉を聞いているのかいないのか、ケンはどこか遠くを見つめるような顔でそう繰り返した。
それからしっかりとぼくに目をあわせて、こう続けた。
「トイレを済ませたあとでなかったら、完全にチビってた……」
「な、ナイストイレ」
はげましたらいいのかツッコミすればいいのかわからなくて、とりあえず親指を立ててそう返してみた。
石原先生がドアから入ってきて、バスの一番うしろまで聞こえる声で話しはじめた。
「今、運転手さんたちが道を確かめに行ってくれています。本当なら、サービスエリアでトイレきゅうけいの時間だけれど、ごめんなさいね、まだいつトイレに行けるかわかりません」
車内に緊張が走った、ような気がした。
たぶんだけれど、もよおしていなかったのに先生の話を聞いて急にトイレが恋しくなった人もいたんじゃないかな。
ふと隣を見ると、ケンがまさにそうだったみたいだ。
「トイレ行けると思って、水筒の水ぜんぶ飲んじゃった……」
ふるえる声でそういうケンのくちびるは、気のせいなのかムラサキ色に見える。
「がまんできる人はがまんしてほしいんだけれど、どうしてもトイレに行きたい人、いる?」
先生がそう言うと、パラパラと手が挙がった。
ケンもそのうちの一人だ。数えてみると、全部で四人。
それから先生は、今まで見たこともない緊張した顔で、ゆっくりいった。
「わかりました。ではその四人は、先生といっしょにバスを降りましょう。本当はいけないんだけれど、今は緊急事態なので」
緊急事態という言葉に、ぼくの心はざわついた。
それまでは、なんだかんだでどうにかなるさと気楽に考えていたのに、一気に雲行きがあやしくなったのを感じたから。
石原先生を先頭にバスを降りた四人は、ガードレールの途切れたところから山の斜面へ入っていく。
斜面といっても崖があるわけではなく、ゆるやかだ。
見上げるほど高い木々のほかに、先生の腰くらいの高さの低木もしげっている。
ケンたちは、バスから見えるか見えないかくらいに奥まった低木のところで一人ずつ……その、用を足しているらしい。
四人の用事が終わると、また先生を先頭にバスへと戻ってくる。
ガードレールまであと少しというところで、バスの一番前の席にいた女子がフロントガラスの外を指さして大声で叫んだ。
「先生たち急いで! 煙が! 煙が!」
そこでぼくらも目撃した。
ゆるやかなカーブを描く坂の上から、まるでドライアイスの煙のように真っ白でモクモクしたものが、波のように押し寄せてくるのを。
霧みたいだけれど、もっと濃い。
もしも夏の入道雲が目の前にあったらこんな感じになるのかな。
バスの外で石原先生も気づいて、後ろに続く生徒たちを急がせた。
白い煙の波は、今にもバスを飲み込もうとしている。
前を走る三人の生徒は次々にバスへと駆け込んできたが、ケンだけが遅れている。
先生はドアの手すりにつかまりながら、ケンへと手を伸ばした。
ケンが先生の手をつかんだ瞬間、煙は音もなくフロントガラスにぶつかり、そのままバスを包みこんででいく。
ぼくは声もなく息をのんだ。
窓ガラスが前から順に真っ白に染まっていくとき、背中を嫌な感じの寒気が駆け抜けた。
横や後ろを見ると、ドクやサツキ、ユリも同じように気味悪そうな顔をしている。
どうやらこの感じは、ぼくだけのものではなかったみたいだ。
「ケンくん、先生のほうへいらっしゃい。手をつないでいるから、足元に気をつけて、ゆっくりよ」
先生の体は半分、ケンの体は全部、煙に飲みこまれて見えない。
無事……なんだよね?
すぐ隣でドクがつばを飲みこむ音が、やけに大きく聞こえた。
長い長い時間がたったような気がする。
でも実際は、一分もすぎていないのかもしれない。
運動靴がバスのステップを踏む音が響いた。
先生に手を引かれ、ドアからケンが顔をのぞかせると、ぼくらの班を中心に何人かから拍手と歓声が起こった。
「よかった……」
ぼくは、ほっとして座席に体を沈ませた。
自分でも知らないうちに、立ち上がって成り行きを見守っていたみたい。
でもよく考えると、なにも良くなっていないんだよね。
バスは完全に煙に飲みこまれた。
前も後ろも、窓はぜんぶ真っ白だ。
開いたままのドアからはチョロチョロと煙の一部が吹き込んでくるけれど、先生の体がたてになってくれて車内までは侵入してこない。
「そういえば運転手さんたち、この先で煙に巻きこまれているだろうけれど、大丈夫かなぁ?」
「どう……だろう」
ドクの言葉に、サツキとユリはほぼ同時に息をのんだ。
だって、窓の外は白一色でなにも見えない。
さっきまで見えていた道も、山肌も、木々も……なにも。
この煙の中じゃ、顔の3センチ先にあるものさえ見えないよ。
ということは、一歩先がもしガケであっても気づけるかどうかはあやしい。
「みんな、大丈夫よ。霧が晴れるまで、このまま待ちましょう」
不安で今にも泣きそうな女子を安心させるように、先生がなんでもないふうにいった。
でもぼくは、パニックが広がるのは時間の問題だと思う。
ケンが席に戻ってきた。
バスまでダッシュした直後なのに、顔色が悪い。
ふつうこういうときって、真っ赤な顔をしていそうなものだけれど。
「危なかったね」
「危なかった……」
ぼくの言葉を聞いているのかいないのか、ケンはどこか遠くを見つめるような顔でそう繰り返した。
それからしっかりとぼくに目をあわせて、こう続けた。
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