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第4話 人はなにゆえロッカーに詰まるのか
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その三時間後、虎太は一年五組の掃除ロッカーに収まっていた。とりあえず、なんか臭い。恐れていたように腐敗臭や牛乳を拭いて放置した雑巾の臭いなどはしなかったが、カビだかホコリだかの臭いと、ムレた雑巾の臭気から逃れる術はなかった。
あのあと虎太は小林と、どこに隠れて週番の見回りをやり過ごすか相談したのだが、トイレも教壇の下もカーテンの中もバレるだろうということになり、不衛生なこの場所で妥協したのだ。
結局、最良の選択だったと認めざるを得ない。掃除ロッカーの扉には換気のためのスリットがあったため、完全に閉じた状態でも教室内の様子をうかがうことができたからだ。
ほうきをかき分けるように立ったまま待っていると、週番の生徒が一度入ってきて窓の施錠を確かめ、それから十分後くらいに宿直の教師がやってきて教室のドアから顔をのぞかせた。それからさらに十分が経過したが、もう人の来る気配はない。虎太は、行動開始と判断した。
ロッカーのドアに内側から手をかけたとき、なんの前触れもなく、教室後部のドアがスライドした。
(お、小林か)
すぐに出ていこうとしたが、実はフェイントで見回りの先生でした……なんてことになったら目も当てられないので、引き続き様子を見る。
しかし、ドアが開いたきり、誰かが入ってくるわけでもない。外の様子を見ようにも、ロッカーの中からでは無理だった。
呼吸が速くなってくる。心臓が、自分でも気持ち悪いほど激しく鼓動している。脇汗が脇腹を滑り落ちていった。これはもしかして、もしかするのか……。
しかし、虎太はもう一つの可能性に思い当たり、口元に笑みを浮かべた。やっぱり小林なんじゃないか。少しばかりキャラが違うように思えるが、彼女が虎太を驚かそうとしているのだろう。そうでなければ、週番の気配が去ったので行動を開始しようと声を掛けにきたか……彼女の性格からして、こちらのほうが可能性がありそうだ。
「おーい、脅かすなよ」
そう言って掃除ロッカーから出ようとした、そのときだ。
チャ……クチャクチャ……
「あー……あーんー」
クチャッ……
不快な音と、声とも唸りともつかない音が、開いたドアの向こうから聞こえてきた。当然、喉元まで出かかった言葉を飲み込み、ついでに呼吸も止める。これが小林だったら、明らかに気持ち悪すぎる。
クチャクチャあーうーがひとしきり続いたあと、突然、人間の頭部がドアから突き出された。もつれた髪が長い、女の頭だ。しかし小林ではない。続いて体が入ってくる。当然、BGMはクチャクチャあーうーだ。身につけているのは、学校の制服。スカート丈が、妙に長い。けれども、そんなことはどうでもよくて、問題は口からおびただしく流血していることだった。
アユムさん、に間違いないだろう。怖いよりも先に、気持ち悪い――否、キショい。けれども、彼女が無人の教室内をゆっくり見回し、それから掃除ロッカーに目を留めて動きを止めたとき、驚きと混同することのない純粋な恐怖が襲ってきた。
「クチャクチャ……チャ、んーんんあクチャ……あーあー」
何かを言おうとしているのかもしれない。けれども舌といわず歯茎といわず、隙間なく刺さった無数の針がそれを阻み、不明瞭な声しか出せないのだろう。虎太はアユムさんから目が離せない。気持ち悪いし見たくないはずなのに、なぜかそれができない。教室内はもう、かなり暗い。だから、掃除ロッカーの中が見えるはずがない。にもかかわらず、薄い鉄板一枚隔てたむこうにいる化け物と、目が合っている気がするのはなぜだ。向き合っていると、針同士が口の中でぶつかり合うシャリシャリという音まで聞こえてきた。
次の瞬間、アユムさんが掃除ロッカーの真ん前まで来た。思わず中で仰け反ったため、後頭部をロッカーの内側にぶつけたような気もしたが、定かではない。ロッカーのドアから三センチとない距離に、アユムさんの口がある。口の中が赤い。真っ赤な口の中。クチャクチャ言うたびに、ドアに空いたスリットから血のしぶきが飛んでくる。
「あーああー……クチャ、んーんんあああぁクチャクチャ……」
アユムさんは完全に、虎太の存在に気づいている。だが、いったいどうすればいい。なにができるというのだ。虎太はどこか遠くで吐き気を感じた。意識が遠ざかるのと、視界が狭まるのとが同時に起こる。これが女子のいう貧血というやつか――そう思いながら、どうすることもできずに掃除ロッカーの中へへたり込もうとした。
「コタくーん、もうそろそろいいんじゃないかな、どうかな?」
「こ……小林」
スリットから、教室内をのぞき込むおかっぱ頭が見えた。そう思ったときにはすでに、アユムさんは消えていた。気力と最後の力を振り絞り、虎太はロッカーのドアを押し開ける。
「あああああああクチャクチャクチャクチャクチャクチャ!」
あのあと虎太は小林と、どこに隠れて週番の見回りをやり過ごすか相談したのだが、トイレも教壇の下もカーテンの中もバレるだろうということになり、不衛生なこの場所で妥協したのだ。
結局、最良の選択だったと認めざるを得ない。掃除ロッカーの扉には換気のためのスリットがあったため、完全に閉じた状態でも教室内の様子をうかがうことができたからだ。
ほうきをかき分けるように立ったまま待っていると、週番の生徒が一度入ってきて窓の施錠を確かめ、それから十分後くらいに宿直の教師がやってきて教室のドアから顔をのぞかせた。それからさらに十分が経過したが、もう人の来る気配はない。虎太は、行動開始と判断した。
ロッカーのドアに内側から手をかけたとき、なんの前触れもなく、教室後部のドアがスライドした。
(お、小林か)
すぐに出ていこうとしたが、実はフェイントで見回りの先生でした……なんてことになったら目も当てられないので、引き続き様子を見る。
しかし、ドアが開いたきり、誰かが入ってくるわけでもない。外の様子を見ようにも、ロッカーの中からでは無理だった。
呼吸が速くなってくる。心臓が、自分でも気持ち悪いほど激しく鼓動している。脇汗が脇腹を滑り落ちていった。これはもしかして、もしかするのか……。
しかし、虎太はもう一つの可能性に思い当たり、口元に笑みを浮かべた。やっぱり小林なんじゃないか。少しばかりキャラが違うように思えるが、彼女が虎太を驚かそうとしているのだろう。そうでなければ、週番の気配が去ったので行動を開始しようと声を掛けにきたか……彼女の性格からして、こちらのほうが可能性がありそうだ。
「おーい、脅かすなよ」
そう言って掃除ロッカーから出ようとした、そのときだ。
チャ……クチャクチャ……
「あー……あーんー」
クチャッ……
不快な音と、声とも唸りともつかない音が、開いたドアの向こうから聞こえてきた。当然、喉元まで出かかった言葉を飲み込み、ついでに呼吸も止める。これが小林だったら、明らかに気持ち悪すぎる。
クチャクチャあーうーがひとしきり続いたあと、突然、人間の頭部がドアから突き出された。もつれた髪が長い、女の頭だ。しかし小林ではない。続いて体が入ってくる。当然、BGMはクチャクチャあーうーだ。身につけているのは、学校の制服。スカート丈が、妙に長い。けれども、そんなことはどうでもよくて、問題は口からおびただしく流血していることだった。
アユムさん、に間違いないだろう。怖いよりも先に、気持ち悪い――否、キショい。けれども、彼女が無人の教室内をゆっくり見回し、それから掃除ロッカーに目を留めて動きを止めたとき、驚きと混同することのない純粋な恐怖が襲ってきた。
「クチャクチャ……チャ、んーんんあクチャ……あーあー」
何かを言おうとしているのかもしれない。けれども舌といわず歯茎といわず、隙間なく刺さった無数の針がそれを阻み、不明瞭な声しか出せないのだろう。虎太はアユムさんから目が離せない。気持ち悪いし見たくないはずなのに、なぜかそれができない。教室内はもう、かなり暗い。だから、掃除ロッカーの中が見えるはずがない。にもかかわらず、薄い鉄板一枚隔てたむこうにいる化け物と、目が合っている気がするのはなぜだ。向き合っていると、針同士が口の中でぶつかり合うシャリシャリという音まで聞こえてきた。
次の瞬間、アユムさんが掃除ロッカーの真ん前まで来た。思わず中で仰け反ったため、後頭部をロッカーの内側にぶつけたような気もしたが、定かではない。ロッカーのドアから三センチとない距離に、アユムさんの口がある。口の中が赤い。真っ赤な口の中。クチャクチャ言うたびに、ドアに空いたスリットから血のしぶきが飛んでくる。
「あーああー……クチャ、んーんんあああぁクチャクチャ……」
アユムさんは完全に、虎太の存在に気づいている。だが、いったいどうすればいい。なにができるというのだ。虎太はどこか遠くで吐き気を感じた。意識が遠ざかるのと、視界が狭まるのとが同時に起こる。これが女子のいう貧血というやつか――そう思いながら、どうすることもできずに掃除ロッカーの中へへたり込もうとした。
「コタくーん、もうそろそろいいんじゃないかな、どうかな?」
「こ……小林」
スリットから、教室内をのぞき込むおかっぱ頭が見えた。そう思ったときにはすでに、アユムさんは消えていた。気力と最後の力を振り絞り、虎太はロッカーのドアを押し開ける。
「あああああああクチャクチャクチャクチャクチャクチャ!」
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