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小話4. 門出の日

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 アナスタシアはラーマーヤ魔法学校を卒業すると同時にアランと結婚する予定だった。ドーロン伯爵家には二人の娘のみで息子がいない。そのため、長女であるアナスタシアの婿を跡取りにする予定だった。この二つの予定は、キャシーが両親にいろいろとお願いを行い、アランがキャシーに惚れ込んだことで崩れ去った。
 こうした経験からか、アナスタシアには、予定とはひどく億劫で面倒なものという印象が生じている。なぜなら、どのようなものでも消える可能性があるにもかかわらず、それに向けて一応の準備や気配りをしなければならないからだ。
 この煩わしさからは解放できた日、つまりは、婚約という予定が破棄された日は、アナスタシアが学校を卒業したその当日のことだ。アナスタシアがなけなしの義理で家に帰ると、ドーロン伯爵夫妻とキャシー、アラン、アランの両親が彼女を待ち構えていた。
「お姉様、ご卒業おめでとうございます」
 キャシーはアランの隣に立っていた。そして、仲睦まじそうに腕を組んでいる。
「早速だが、本題に入らせてもらおう」
 ドーロン伯爵が意地悪気に口角を上げた。
「お前とアランの婚約は解消だ」
「アランさんはキャシーと結婚することになりました。いいですね?」
 ドーロン伯爵夫人はアナスタシアに有無を言わせないかのように畳み掛けた。
「お姉様、アラン様は私の方が好きなのよ」
「じ、実はそうなんだ……」
 アナスタシアはベタベタ寄り添っている二人を心底どうでもよさそうに一瞥した。彼女は婚約破棄をしてもべつにいいやと考えていた。もっと正しく言うならば、妹の性格を考慮すると、この結末になる予感さえしていた。
「お姉様なんだから、つべこべ言わずに譲りなさい」
 ドーロン伯爵夫人はツンと冷たく、黙ったままの娘に言い放った。アナスタシアは両親の前であれやこれや言うことはとっくの昔に諦めていた。
「あの、このような形になってごめんなさい、アナスタシアさん。あなたが悪いわけではなくて、その……」
 実の娘に対するドーロン伯爵夫妻の冷たい対応に驚きながらも、アランの母親が申し訳なさそうにアナスタシアの様子を伺った。
「別にいいのです。以前から、薄々予感はしていましたので」
 アナスタシアはアランの両親の方を優しく顔を向けた。
「え……?」
 この発言にアランの両親は驚いた。なぜなら、結婚に現実味が湧き、そこで、はじめてアランとキャシーの間に恋愛の類の情が生じたという話だったのだ。ドーロン伯爵夫人やアラン、キャシーに、二人は恋人同士のような付き合いはなかった、アナスタシアに不義理な真似はしていないと力説されていた。それもあって、息子の想いを尊重したのだ。少なくとも、学校の寮で過ごしていたアナスタシアがアランと妹の関係に気付くほどのものはないとアランの母親は捉えていた。
 では、なぜ、アナスタシアは薄々予感がしたのか、ふつふつと疑問が芽生えた。アランが勝手にキャシーに惚れてしまったのか、それとも、もしやキャシーが姉の婚約者を誘惑したのかと嫌な考えが巡った。
「ですから、働くことを考えています」
「お前を雇ってやれるとこなんぞない。世間を甘く見るな!」
 ドーロン伯爵は娘を鼻で笑い、見下した。彼には、少々若い娘の自立傾向を嘲笑するきらいがあった。
「魔術研究所にお誘いをいただいておりますので、来月からそこに勤めます。忙しくなりますから、家にはもう帰りません」
 アナスタシアは何食わぬ顔で報告した。アランの母にはアナスタシアが婚約破棄を予感、もとい予期して行動していると感じた。
「そんな馬鹿気たことがあるか!!」
「あなた、落ち着いてください。アナスタシア、何をするかは知りませんが、お給料はもちろんここに渡しなさい。いいですね?それくらいはしなさいよ」
 ドーロン伯爵夫人は激昂している夫を諌め、アナスタシアにお金をせびった。
「お話は以上ですね。では、失礼いたします」
 アナスタシアは妹のキャシーや元婚約者となったアランに声をかけることなく、部屋を出た。
 アランの両親は尋常ではないドーロン伯爵一家の態度に度肝を抜いていた。そして、母親の方が我慢ならずアナスタシアを追いかけた。
「アナスタシアさん!」
「なんでしょう」
「……本当にいいのですか?」
「申し訳ありませんが、私は元婚約者を慕ってはいませんでした。……愛し合っている二人が結ばれるのはよいことです。あなたもそう思われたのではないのですか?」
「え、ええ……」
 そういえば、息子はキャシーと私は愛し合っている!アナスタシアは私のことを愛していないと断言していた。これは本当のようだとアランの母は思った。
「いつもあんな感じなの?」
「はい?」
「ご家族はあなたに対してあんなに冷たいの?」
「どうでしたかね……」
 アナスタシアは立ち入らせない雰囲気を醸し出した。それでも聞きたいことがあるとアランの母は詰め寄った。彼女は少々好奇心旺盛でお節介な性格なのだ。
「薄々予感していたのはなぜ?」
「え?」
「その、あなたが学校に入って以来、その、あまり息子とは会っていなかったでしょう」
「ああ、あなたの息子さんというよりも、妹のことを知っていればわかりますよ」
 つまり、妹が姉の婚約者を奪うことが目に見える性格だということだろうか。アランの母は義理の娘となるキャシーの人柄に不安を抱いた。
「……あなた方がドーロン伯爵家をどう捉えているかは存じませんが、もしかしたらあれは泥舟かもしれません」
「え?」
「私の身内があなた方に迷惑をかけるのは気が引けます。足を引っ張られたくなければ、息子さんを戻すなど、縁を切った方がよい時が来るかもしれません」
 アナスタシアは心底申し訳なさそうに言った。
「どういう意味?」
「……いいえ、少し嫌な予感がしているだけです。お心に留めていただければ幸いです」
 アナスタシアは自嘲気味に笑った。
「……ええ、わかりました。アナスタシアさんも何か困ったことがあれば、頼ってくださいね」
 アナスタシアはハッと驚いたように目を見開いた。心底言われると思わなかった言葉を告げられたように、ありえないとでも言いたげな顔だった。
「えっと、ごめんなさい。出過ぎてしまったかしら。よくお節介がすぎると言われるのよ」
「……いいえ。ありがとうございます」
 アナスタシアは噛み締めるようにそう言うと、深々と頭を下げた。
「では、さようなら」
 アナスタシアはゆっくりと歩き、ドーロン伯爵家を出た。
「アナスタシアさんと何を話したんだ?」
 アナスタシアの背を見送っていたアランの母にアランの父が声をかけた。
「ドーロン伯爵家は厄介かもしれないと忠告してくれました」
「そうか」
 彼もドーロン伯爵夫妻の実の娘に対する態度でこの一家に多大なる不安を感じていた。
「アナスタシアさん、幸せになってほしいですね」
「……そうだな」
「いいえ、きっとなります。そんな予感がします……」
 アランの母はドーロン伯爵邸から晴れ晴れとした顔で出て行ったアナスタシアを思い返した。希望に満ち溢れている若者には幸せをつかんでほしいと感じることは彼女のお節介さ故だろうか。

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