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真夏の太陽が、無慈悲に地上を照らしていた。クロエは血のような赤い瞳で、まぶしい光を睨みつけた。大きな麦わら帽子の下から覗く表情には、昨夜の不眠が刻まれている。屋敷の門前に佇む彼女の周りを、緊張が渦巻いていた。
「心配は無用よ。殿下がご一緒なのですから」
母の声が、朝の静けさを破る。その楽観的な微笑みに、クロエは形式的な頷きを返すだけだった。王子の到着を待つ屋敷中の緊張感が、彼女の頭痛を加速させる。父親からの承諾の手紙は、最後の希望を打ち砕くように届いていた。
「ロザリー」クロエは小声で侍女を呼んだ。
「はい、お嬢様」
「今、何時?」
「8時45分です」
「約束の時間が9時なら、10分前には到着しているべきよね。だから8時50分までに殿下が来られなければ……」
「お嬢様、馬車が参りました」
現実逃避の言葉を遮るように、馬車の車輪が地面を転がる音が響いてきた。艶やかな毛並みの4頭の馬が、威厳に満ちた足取りで門をくぐる。大きな荷馬車に続いて、小ぶりな馬車。その後ろには騎士と従者の姿。
風に揺れる白いワンピースを押さえながら、クロエは運命の時を迎えた。儀式のように進む出迎えの中、2台目の馬車から降り立ったラインハルト王太子の姿に、彼女の心臓が高鳴る。
「おはようございます、皆さん」
紳士的な微笑みとともに投げかけられた言葉に、クロエは固まった。続く会話は遠い世界の出来事のように聞こえる。そして最悪の現実である王子との二人きりの馬車の旅が避けられないものとなった時、彼女の最後の望みも消えていった。
「では、行こうか」
差し出された王子の手に、クロエはおずおずと自らの手を重ねた。その瞬間、その白さに不釣り合いなほどひんやりとした感覚が伝わる。
「では母上、行ってまいります」
ラインハルトは優雅に一礼すると、クロエを伴って馬車に乗り込んだ。御者が静かに鞭を鳴らし、車輪が回り始める。まるで拷問台への階段を上るような心地で、クロエは窓の外の景色を眺めていた。
「クロエ様」
突然の声に、彼女は小さく肩を震わせた。
「は、はい」
「緊張している必要はありませんよ。ただの帰省の道中です」
ラインハルトは穏やかな微笑みを浮かべながら、クロエを見つめた。その優しい眼差しが、かえって彼女の緊張を高めた。
「申し訳ございません」
「謝る必要もありません」ラインハルトは軽く笑った。
「実は私も少し緊張しているんです」
その意外な告白に、クロエは思わず目を見開いた。
「殿下が、ですか?」
「ええ。初めて貴女の故郷を訪れるわけですから」
馬車が小さな轍を越えた。揺れに合わせて、イザベラの麦わら帽子が僅かに傾く。
「……故郷は、何も特別なところではございません」
「それこそが特別なことではないでしょうか」
クロエは困惑した表情でラインハルトを見た。
「普段の貴女を形作ってきた場所。それを知ることができるのは、私にとって大きな喜びです」
その言葉に、クロエの頬が薔薇色に染まった。
「で、でも……」言葉を探すように、彼女は指先で帽子の縁を弄ぶ。
「退屈になるのではないかと……」
「クロエ様の見る景色を、同じように見られること。それだけで十分です」
真摯な口調に、クロエは言葉を失った。代わりに、心臓の鼓動が大きく響く。沈黙が再び訪れたが、先ほどまでの重苦しさは薄れていた。代わりに、どこか心地よい緊張感が漂い始めている。
馬車は森の中を進み、木々の間から零れる光が、二人の間で静かに踊っていた。クロエは密かに、この瞬間が永遠に続けばいいのにと思った。そして同時に、その考えに気付いた自分に慌てふためいた。
「あの……」
「はい?」
「お茶をお持ちしましたが……お召し上がりになりますか?」
取り繕うように差し出された水筒に、ラインハルトは優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、まだ大丈夫です」
再び静寂が訪れる。しかし今度は、二人の間に流れる空気が、少しずつ、ほんの少しずつ、和らいでいくのを感じていた。
「心配は無用よ。殿下がご一緒なのですから」
母の声が、朝の静けさを破る。その楽観的な微笑みに、クロエは形式的な頷きを返すだけだった。王子の到着を待つ屋敷中の緊張感が、彼女の頭痛を加速させる。父親からの承諾の手紙は、最後の希望を打ち砕くように届いていた。
「ロザリー」クロエは小声で侍女を呼んだ。
「はい、お嬢様」
「今、何時?」
「8時45分です」
「約束の時間が9時なら、10分前には到着しているべきよね。だから8時50分までに殿下が来られなければ……」
「お嬢様、馬車が参りました」
現実逃避の言葉を遮るように、馬車の車輪が地面を転がる音が響いてきた。艶やかな毛並みの4頭の馬が、威厳に満ちた足取りで門をくぐる。大きな荷馬車に続いて、小ぶりな馬車。その後ろには騎士と従者の姿。
風に揺れる白いワンピースを押さえながら、クロエは運命の時を迎えた。儀式のように進む出迎えの中、2台目の馬車から降り立ったラインハルト王太子の姿に、彼女の心臓が高鳴る。
「おはようございます、皆さん」
紳士的な微笑みとともに投げかけられた言葉に、クロエは固まった。続く会話は遠い世界の出来事のように聞こえる。そして最悪の現実である王子との二人きりの馬車の旅が避けられないものとなった時、彼女の最後の望みも消えていった。
「では、行こうか」
差し出された王子の手に、クロエはおずおずと自らの手を重ねた。その瞬間、その白さに不釣り合いなほどひんやりとした感覚が伝わる。
「では母上、行ってまいります」
ラインハルトは優雅に一礼すると、クロエを伴って馬車に乗り込んだ。御者が静かに鞭を鳴らし、車輪が回り始める。まるで拷問台への階段を上るような心地で、クロエは窓の外の景色を眺めていた。
「クロエ様」
突然の声に、彼女は小さく肩を震わせた。
「は、はい」
「緊張している必要はありませんよ。ただの帰省の道中です」
ラインハルトは穏やかな微笑みを浮かべながら、クロエを見つめた。その優しい眼差しが、かえって彼女の緊張を高めた。
「申し訳ございません」
「謝る必要もありません」ラインハルトは軽く笑った。
「実は私も少し緊張しているんです」
その意外な告白に、クロエは思わず目を見開いた。
「殿下が、ですか?」
「ええ。初めて貴女の故郷を訪れるわけですから」
馬車が小さな轍を越えた。揺れに合わせて、イザベラの麦わら帽子が僅かに傾く。
「……故郷は、何も特別なところではございません」
「それこそが特別なことではないでしょうか」
クロエは困惑した表情でラインハルトを見た。
「普段の貴女を形作ってきた場所。それを知ることができるのは、私にとって大きな喜びです」
その言葉に、クロエの頬が薔薇色に染まった。
「で、でも……」言葉を探すように、彼女は指先で帽子の縁を弄ぶ。
「退屈になるのではないかと……」
「クロエ様の見る景色を、同じように見られること。それだけで十分です」
真摯な口調に、クロエは言葉を失った。代わりに、心臓の鼓動が大きく響く。沈黙が再び訪れたが、先ほどまでの重苦しさは薄れていた。代わりに、どこか心地よい緊張感が漂い始めている。
馬車は森の中を進み、木々の間から零れる光が、二人の間で静かに踊っていた。クロエは密かに、この瞬間が永遠に続けばいいのにと思った。そして同時に、その考えに気付いた自分に慌てふためいた。
「あの……」
「はい?」
「お茶をお持ちしましたが……お召し上がりになりますか?」
取り繕うように差し出された水筒に、ラインハルトは優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、まだ大丈夫です」
再び静寂が訪れる。しかし今度は、二人の間に流れる空気が、少しずつ、ほんの少しずつ、和らいでいくのを感じていた。
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