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学園でクロエ・コーネリアの名を知らぬ者はいない。コーネリア家は王家に次ぐ権力を持つ公爵家。代々、宰相や大臣として王家を支え、今なお貴族社会の頂点に立つ名門だ。その一人娘である彼女は、まさに貴族の鑑だった。


腰まで届く金髪は溶けた黄金のよう。先祖から受け継いだ稀有な青い瞳は、見る者の心を射抜く。青白い肌に整った顔立ち。その姿は絵物語から抜け出してきた貴婦人のようだと噂された。


学業もマナーも完璧なクロエは、学園随一の模範生として「ノーブル・リリィ」の称号を与えられていた。

そんな彼女のサロンで、この日も令嬢たちが集っていた。


「はぁ……」


令嬢たちの中心にいるクロエは、憂鬱そうに溜息を吐く。彼女の憂鬱の理由、それは自身の評判にあった。


「そういえば聞きましたわ」


「なんの話ですか?」


令嬢の言葉に、別の令嬢が問いかける。


「クロエ様が婚約破棄を望んでいるという噂ですわよ!」


「あの『氷姫』が?」


氷のように冷たい眼差しで睨むだけで、相手の心まで凍てつかせてしまうと噂される冷徹な少女が婚約破棄を望んでいる。その噂は瞬く間に広がり、クロエは学園中の噂の的となった。


「婚約破棄なんてとんでもない」


「クロエ様と婚約できるなんて羨ましいですわ」


令嬢たちの話題はすぐに移り変わる。


「しかし、あの王子が婚約破棄とはな……」


「あら、お好きではないの?」


「まさか! 私はむしろ好ましく思っているぞ!」


王子との婚約に乗り気でなかった令嬢たちは、この話題に花を咲かせた。


「そろそろお開きのお時間ですわ。続きは学校明けに」


クロエがそう口にすると、令嬢たちはそそくさと帰り支度を始めた。


「クロエ様は長期休暇はどこに滞在なさるのですか?」


「私は実家の領地へ帰ります」


「今回もですか? たまには王都に遊びにいらして」


「ありがとう。皆さんも良い休暇を過ごしてください」


令嬢たちは口々に別れの言葉を口にし、サロンから退室した。





寮の廊下をしとやかに歩く清楚な少女、その後ろを専属の侍女が付き従う。


学園の寮の中でも一等豪華な、女子寮の最上階の部屋。そこは、クロエのために用意されていた。城のように広大な学園の敷地内で、その部屋からは学び舎まで馬車で10分もかかる。


王立グラントニア学園は広大な敷地に1年生から3年生までの校舎、女子寮と男子寮が点在し、精鋭の警備兵たちが24時間体制で良家の子女たちを守っている。


クロエは現在2年生。王族のラインハルトを除けば、学園随一の権力を持つ公爵家の一人娘だ。元宰相の孫であり、現外務大臣の娘。そして第1王子の婚約者、つまりは次期王妃となる存在だ。


学園では「身分に左右されない平等な権利」を掲げているものの、皆が社交界の厳しい現実を知っている。だからこそ、多くの生徒たちは慎重にイザベラと距離を取っていた。


「ロザリー」


クロエの声に応じて、侍女は静かに部屋の扉を開けた。大きな窓からは手入れの行き届いた庭園が見える。優美な猫足の家具と甘いピンクのカーテン、上品な壁紙が調和した空間だ。


侍女は素早く鍵をかけ、クローゼットへ向かう。扉を開けた瞬間、柔らかな物体が溢れ出した。


「ああ……! 会いたかったわ!」


途端にイザベラの表情が変わった。いつもの気品ある佇まいは消え、無邪気な少女の顔になる。抱きしめているのは……ぬいぐるみの犬たちだった。


「助けて……もう限界よ……」


侍女が手際よく部屋を犬グッズで飾り付ける中、クロエはぬいぐるみを抱きしめながら夢見心地で語り続けた。


「お腹に顔を埋めてモフモフしたい……お外で駆け回って泥だらけになった姿に癒されたい……一緒に遊びたい……モフモフしたい……」


気品ある公爵令嬢の仮面の下に隠された、彼女の最も大切な秘密。それは大の犬好きであった。
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