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第五幕~青年は事実を知る9

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―――マーディル暦2012年、08、23。 



 いつもと同じ灰色に染まった空、灰色の染まった建物、灰色の光景。
 ドガルタの町は今日もいつもと変わらない灰の町としての朝を迎えている。
 排気を帯びた湿った空気は決して体に良いとは言えない。
 それでも町に住む者たちは毎日汗水流し、時に怒りあい、時に笑いあい働いている。
 この灰の町は仲間と働くことが好きな町だった。
 暮らす人々は必ず皆、そう告げる。
 酒を飲み交わしながら、そう告げる。
 その言葉に間違いはない。
 今日も笑い合う夜を待ち望み、工場で騒音と煙と格闘しながら、町の者たちは働く。
 いつもと同じ灰色に染まった空、灰色の染まった建物、灰色の光景。
 それが灰の町ドガルタ。








 灰の町商業区にあるこの町唯一のパン屋、ロスデ。
 一応店に名前はあるものの、町の者たちはパン屋と呼ぶ。
 其処の若い店主が焼くパンは、この町のどんなご馳走にも負けないという。
 店主はちょっと人見知りではあるけれど、本当はとても明るく優しい人間だ。
 それは彼が焼くパンからも伝わってくるようで。
 町の者は皆、パン屋の店主ごと彼のパンを愛していた。



 ―――しかし、そんなパン屋の店主が、今日は非常に曇った顔を浮かべていた。
 悲しむような、睨むような、そんな顔をしていた。
 それは彼の店が、沢山の軍人によって囲まれていたからだ。
  店主は静かに顔を顰めた。

「悪いなぁ…君にとっておきの情報を教えに来たってのに、大所帯でよ」

 そう言って笑みを浮かべる男は、昨日パン屋を尋ねた記者と名乗っていた男だ。
 しかし、今日は昨日のような旅人の出で立ちではなく。
 店主を囲う軍人と同じ衣装を纏っていた。
 否、同じではない。
 彼の胸章は他の軍人のそれよりもはるかに豪華であった。
 と、男の視線が動き、それを合図に軍人たちは一斉に店の奥へと入っていく。
 店主は慌てて制止しようとする。
 が、その直後、男の抜いた剣先が店主の首筋に当たった。
 触れるか触れないか、ギリギリの感覚に店主は足を止める。

「おっと、動かない方が良いぞ? 今痛い思いなんかしたくはないだろ?」

 全てを知っていると告げるような男の笑みに、店主は憤りすら抱いた。
 店内を調べられるわけにはいかなかった。
 家の奥、二階の寝室には彼女が―――天使の翼を持つ少女が眠っているのだから。

「―――少女を確保しました!」

 彼の願いは空しく、軍人は一人の少女を店の中から連れ出してきた。
 抵抗したのかしてないのかは判らないが、彼女の頬には青い痣が出来ていた。
 誰かに殴られたのだろう。

「酷い…酷いよ! 何でたった一人の少女にこんなことを……寄って集って!」
「まあ落ち着けって旦那。俺だって幼気な少女相手に可哀想な真似はしたくないぜ? でもなあ、こうでもしないと……」

 そう告げる男はその無精髭に指先を当てて、苦悩し、悲しむ素振りを見せる。
 が、その双眸には何ら感情もなく。
 男が嘘を言っていることは明白だった。
 店主の怒りが頂点に達した。
 男の気が緩んだ一瞬をつき、店主は首筋に当たっていた剣先を素手で払い落とした。
 強引に払われた剣先は勢い余って地面に刺さる。
 同時に、店主の掌からは鮮血が流れる。
 しかし痛みも構わずに彼は店内に置いてあった箒を取り、身構えた。

「ミラ―ス! 今のうちに早く逃げて!」
「だけど…!」

 無我夢中でホウキを振りまわし、暴れる店主。
 乱雑で動き回る彼に、軍人たちは即座に剣を抜いてこそいたが、手を出せずにいた。

「隊長、力に目覚めては厄介です…!」
「しょうがねえな…ったく」

 部下たちにより後退させられていた男は、ため息交じりに頭を掻く。
 と、口角を吊り上げながら彼は後方を一瞥した。

「精神安定剤―――いや、精神崩壊剤でも打っとくか」

 何処か無邪気な口振りで、男は呟いた。







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