上 下
29 / 104

第三幕~青年は日常を楽しむ2

しおりを挟む







 時刻は進み、昼過ぎ。
 最もピークとされた時間を終え、三人は遅い昼食をキッチンで取っていた。
 今日も繁盛した店のパンは、全てが売り切れ御免となった。

「あたしも手伝えたらな…」
「無理しなくて良いよ、それに他の手伝いしてもらってるわけだし」
「そうそう、昼ごはんの準備をしてるだけ充分手伝えてるって」

 今日の食事はポトフとサラダ―――作ったのはミラ―スだ。
 材料はエスタが予め買っておくこともあるが、ミラースに頼まれて買ってくることもある。
 とはいえ、彼女が作れるものは今のところそれだけであったりするのだが。
 つまり、毎昼同じ食事が食卓に並んでいる状況だった。

「せめて他の料理が出来ればいいのに…」
「しょうがないって、まだエスタに教えてもらい始めたばかりなんだろ? むしろたった1日でポトフをマスターできた方がすごいって」

 そうフォローするルイス。
 と、エスタは笑みを洩らしながら「確かにルイスは昔から料理得意じゃなかったっけ」と話す。
 ルイスは眼を僅かに細めた。

「……悪かったな」

 三人は声を上げて笑った。



 ルイスが来てから毎日、最近は特に笑うようになった。
 久しぶり…いや、もしかしたらこんなに楽しいと思える日々は初めてかもしれない。
 今は凄く幸せだ。
 エスタはそう思った。
 だが同時に、焦りのようなものも彼は感じていた。
 この幸せな時間は、そう長くは続かない。
 いつどうやって崩れてしまうのか、それを考えるのがとても恐く、悲しかった。
 だから、出来ることならこの毎日が永遠に続いて欲しい。
 此処最近、エスタが日記に書く内容といえば、そればかりであった。





 夕暮れが近づく頃、今日の営業は終了となった。
 午後に追加で焼いた品も売り切れとなったからだ。
 もっと人を雇って営業時間を長くしても良いんじゃないか。
 そう告げる客も多いが、本当に考えた方が良いかもしれない、と、エスタは最近考える。
 と、店内の掃除をするルイスがふと口を開いた。

「そういや…最近物騒な事件が起きてるんだ」
「え?」

 突然の物騒な言葉。
 だがその話は客の幾人かもがしていたものだった。

「…もしかして、連続無差別襲撃事件…?」
「そう、それだ」




 連続無差別襲撃事件。
 このドガルタの町では稀に見る重罪事件だった。
 客たちやルイスの話しでは、此処最近、毎夜のこと何人かの人間が無差別に襲われているのだ。
 狙われるのは夜道を歩く者。
 一人歩く者が狙われることもあれば、数人でつるんでいた工業員が襲われたという事例もある。
 被害者は始めて報告を受けてから現在まで61人となっている。

「とにかく老若男女関係ないらしい。目に付いた人間は誰彼構わず襲われている感じだ…」

 だが、この事件の変わったところは襲われた人たちに外傷がないということだ。
 死傷どころか、掠り傷一つ負っていないのだ。
 ただ、襲撃にあった人間は共通してとある症状が起こる。
 それは、襲われた人たちは気を失ったまま―――つまり、意識を失ったまま回復しないのだ。




「目を…覚まさないの…?」

 静かに頷くルイス。
 夜道で襲われたが最後、その人たちは未だに目を覚まさないまま眠り続けているという。
 襲われたが最後、なのだ。
 エスタは掃除する手も止め、息を呑んだ。

「…症状を診た医師の話では、ただ単に眠っているっていうわけでもないらしい」
「ど、どういうこと…?」

 医師からの話、というのは客たちも知らない情報。
 思わず身を乗り出し、エスタは尋ねた。
 ルイスはエスタに視線を向け、そして口を開く。

「…極端な衰弱…意識を戻さないってのはつまり、昏睡状態に近いらしいんだ。医師の言葉じゃないけど、まるで魂が抜かれたみたいだって―――」

 と、ルイスはエスタの表情の変化に気付き、言葉を止めた。

「どうした? 顔が青いぞ…?」
「い、いや…それで…軍は…?」
「捕まえるため躍起になってる。このまま被害が出るようなら軍都から増援を呼ぶって言ってたな」

 幸福を砕く足音は、直ぐ其処まで、もう近くまで来ているんじゃないか。
 このとき、エスタはそんなことを思っていた。






しおりを挟む

処理中です...