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3日目~4

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 その手紙はそこで終わっていた。
 僕は驚きのあまりその場に座り込んでしまった。
 その勢いで床板が抜けるんじゃないかというほどだった。

「なんて…書いてあったの…?」

 アンの位置からだと手紙の内容はよく読めなかったらしく、そう尋ねてきた。
 僕はその問いかけに安心と不安が同じにおそってくる。

「夫人が…本当は優しい人だって…書いてたよ」

 半分不正解で半分正解の言葉を僕は返す。
 アンはそれに対して「そうなんだ」と、返すだけだった。
 僕はそんなアンに動揺を隠すことで精いっぱいだった。
 手紙には、こう書かれていた。





『4.名前で呼ばないで。アンナじゃなくて、って呼んで。』

 



 アン―――それは今、僕のとなりにいる子と同じ名前だった。
 もしかして…なんて、考えたくなかった。
 だって、こうして今も僕と手をつないでいるし、濃霧だったけど明るいときに屋敷の外にだって出て話した。
 いたって普通の女の子だったはずだ。



 ほんとうに?



 なぜかこんな場所に1人でいたというのに?
 まるで湖の水面のようにいつまでも手が冷たいままなのに?





 確かめる方法は、ある。
 本当の名前だという、と呼んでみれば良い。
 でも―――手紙には呼ぶなと書かれていた。
 どうなるかはわからない。
 けれど、確かめずには…いられない。















「―――アン…」
「どうしたの?」

 だけども。
 僕はその名前を呼ぶことは出来なかった。
 突然名前を呼ばれたアンは首を傾げてこちらを覗く。
 こうして見る限りはいたって普通の女の子にしか見えない。

「……屋敷の外に出ようか」

 僕がそう言うとアンは素直に頷いて。
 恐ろしいらせん階段をゆっくりと下り始めていく。
 もちろん、僕の手をつないだままで。



 やっぱり信じたくはなかった。
 何を信じたくないのかも、わからなかった。
 アンが人間じゃないかもしれないこと?
 アンが悪霊かもしれないこと?
 アンが僕に危害を加えるかもしれないこと?
 色々と考えれば考えるほど、すごく頭が痛くなってくる。
 だって僕は賢い人間じゃない。
 ただの画家なんだから。





 そうこうと悩んでいるうちに気づけば僕とアンは屋敷の外に出ていた。
 外はもう夕暮れ近くで、周囲は薄暗くなり始めていた。

「今日も野宿にするの?」
「あ、うん…」

 簡単な夕食の準備を始めようとする僕にアンがそう尋ねる。
 ブロンドヘアが良く似合う、青白い肌の可愛らしい女の子。
 この子がもしかすると生きていない、だなんて、確かめるのも恐ろしい。

「じゃあ今日は私も野宿、しようかな」
「え?」

 困惑する僕を他所に、アンは僕のとなりにちょこんと座ってみせる。
 どうしたのかと思っていると、おもむろにアンは歌を口ずさみ始めた。

「寂しいときはね、楽しいことを考えると良いのよ?」

 それは先ほど、僕が言った言葉だった。
 どうやらアンは僕が落ち込んでいると思ったようで。
 彼女なりにはげましてくれているのだろうと思われた。





「ふ…ふはは…」
「ええ? 私変なこと言った?」
「いや、言ってないよ…?」

 こうやって僕を気遣きづかってくれる子に、何を怯えていたんだろう。
 さっきまで色々と考えていたことが、急にバカらしくなってしまった。

「アンといることが今は楽しいよ。一緒にいてくれて、ありがとう」
「ど、どうしたの急に…お礼言うほどじゃないよ?」

 そうして見せる照れ隠しのほほえみも、やっぱり普通の子にしか見えない。



 僕はあの手紙に書かれていたエーデルヴァイス夫人の気持ちが、少しだけわかるような気がした。
 もしも相手と分かり合えるんだとしたら、それが幽霊だとしても友だちになれるんだと思う。
 大事なことは恐れずに手をつなぐことだけなんだと、僕は思った。





「1つだけ、アンに頼みがあるんだ」
「何…?」
「アンを描いても、良い?」

 僕がそう言うとアンは顔を真っ赤にして頭を左右に振った。

「だめ、恥ずかしいよ」
「でも…どうしても描きたいんだ」

 こうして出会えた、友だちのことを。
 描いて残しておきたいんだ。
 そう強く訴え説得すると、しばらく悩んだ後、アンは小さく首を縦に振ってくれた。

「……わかった。ちゃんとそっくりに描いてね…?」
「こう見えても画家なんだから、そこは安心してよ」

 いつの間にか日が沈み、濃霧と相まって黒く暗くなっていく森の中。
 屋敷のかたわらで、僕はたき火の灯りが消えないよう気をつけながらアンを描いた。
 時おり僕の思い出話をしたり、世間話を交えながら。
 それはそれは楽しいひと時だった。
 そして僕はアンの似顔絵を完成させた。
 依頼とは関係のない絵ではあるけれど、まちがいない笑顔のそれに、僕は少しだけ誇らしくなった。
 
 
 




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