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1日目~2

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 こうして僕は幼馴染のおかしな頼みを引き受け、エーデルヴァイス夫人の屋敷へとやってきた。
 夫人の屋敷は思っていたほど、外見は廃墟には見えなかった。
 まるで今も人が暮らしているかのように、おもむきのある屋敷の姿を見せている。

「ですが、誰も住んでいないのは事実です。夫人が亡くなってから20年…誰一人として」

 僕の背後でそう言って現れたのは一人の青年。
 名前はヨハンネスさん。
 このおかしな頼みごとの詳細について教えてくれた人物だ。
 この屋敷の近くまで、馬車で送ってくれた人でもある。



「改めて、頼みごとの趣旨をご説明します。よろしいですか、オットー様」

 年下の僕に対しても物腰が低く、こんな森の奥だというのに何故かスーツ姿でいる。
 もしかして、執事の人ってみんなこんな感じなのかな?

「オットー様にはこれからこの屋敷に入って頂きまして、エーデルヴァイス夫人の私物を見て来て頂きたいのです。肖像画、手紙、装飾品…そうした品物を参考に、エーデルヴァイス夫人の新たな肖像画を描いて頂きたいのです」

 ヨハンネスさんの説明は理解出来たけれど、解らないことはまだいくつかある。
 僕は挙手して尋ねた。

「新たな夫人の絵を描くことっていうのが…その『エーデルヴァイス夫人を笑顔にさせる』っていうことなんですか?」
「はい。つまりは笑顔の夫人の肖像画を描いて頂きたいのです」

 説明を終える度、丁寧ていねいに腰を折り曲げるヨハンネスさん。

「ちなみに、その私物は持って帰ってきてはいけません」
「え?」
「それらは屋敷のものです。故人の私物であっても窃盗罪せっとうざいに当たります」

 それはそうかもしれない、と反論は出来なくなるけれど。
 だとしたらそもそも僕は不法侵入者になるのでは?
 とは…流石に聞けなかった。

「オットー様にはその目で見て感じた夫人を、そのままに描いて頂きたいのです。その方がきっと自然な笑顔を描けると思いますから」

 そう言ってヨハンネスさんは眼鏡をくいと上げる。
 ヨハンネスさんの言葉の意味をくむと、つまり肖像画で見た顔をそのまま写生するんじゃなく。
 屋敷の中の色んな私物に触れて感じた夫人像を思うままに描いて欲しいということらしい。





「…わかりました」

 元より、既に画材一式をもらい受けている以上、ここで断ることなんて出来ない。
 素直に頷いて僕は早速、新しくもらったスケッチブックと炭を用意する。

「―――それと、最後に一つだけよろしいですか?」
「はい?」
「屋敷内での探索は陽が沈むまでに終えてください。夜は絶対に屋敷へ出入りをしてはいけません」

 念を押すかの如く、ヨハンネスさんは僕に顔を近づけて言う。
 その凄みには、思わずだまって頷くことしか出来ない。

「どうして…夜はだめなんですか?」
「……オットー様は聞いたことありませんか? この近くの湖の噂を…」

 僕は軽く首を傾げながらも答える。

「あまり良い噂は聞きませんけど…」

 『湖には人を引きずり込む魔物が棲んでいる』
 『魔女が毒を流しているから湖に近付いてはいけない』
 といった具合の噂を幼少の頃から聞いていた。
 だけど、それはきっと大人が『湖は危ないから近付いてはいけないということ』をわざと恐ろしい話にして子供に言いふらしているのだと思っていた。
 するとヨハンネスさんは大きく頭を振った。

「とんでもありません! それらは誤った話…ですが、真に恐ろしいのは屋敷の方なのです」

 そう言うとヨハンネスさんは屋敷の方を見る。
 手入れのされていない庭木に囲まれ、一見すると確かにお化け屋敷にも見えてしまうその建物。
 けど、まさかこの屋敷の方が恐ろしいなんて…信じたくはないんだけど。

「え、それはどうして…?」
「それに関して、私の口からは申し上げられません」
「え、えっ? じゃあ…ヨハンネスさんも一緒に屋敷へ入ってくれるってことは…」

 もう一度、ヨハンネスさんは頭を振る。

「申し訳ございません……私は幽霊が苦手なのでご同行は出来ません」






「―――それでは、昨夜説明しました通り6日目にお迎えに来ますので…それまでお気を付けて探索してください」

 ヨハンネスさんはそう言い残し、僕に有無も言わさない速さで茂みの奥へと消えていった。
 取り残された僕は、また一層と不安が募っていく。

「真に恐ろしいのは屋敷って…幽霊って…まさか…そういうこと…?」

 もう普通の気持ちでその屋敷を見ることが出来ない。
 背後に建つそれは、最早『趣のある屋敷』とは思えなくなっていた。
 不気味に鳴く鳥の声が恐怖をかき立てる、『恐ろしい屋敷』にしか、見えなくなってしまっていた。


 



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