天使喰らうケモノ共

緋島礼桜

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とある女性の告白2

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 死にたくはない。死にたくはない。

 この男のせいで。この男のせいで。

 嫌だ嫌だ。嫌だ嫌だ。

 夫だった男の亡骸の傍らで、私はそんなことを考えては自暴自棄になっていった。

 もうダメだ。もう終わりだ。

 この男のせいで。この男のせいで。

 そう呪っていた。

 そんなときだった。






「―――自由になりたくはありませんか…お嬢さん?」



 突如聞こえてきた声に驚き、私は急いでその方へと振り返った。
 なにせその声の主はいつの間にか窓から侵入し、その縁に座っていた。
 ここは二階であるというのに。

「だ…誰…!?」

 登場の仕方、不気味な雰囲気、恐怖心と、色々なものが相まって私はそう答えるのが精いっぱいだった。
 外見は痩せこけてみすぼらしい衣服の、片腕を包帯で隠している隻腕の中年男。
 窓の外から流れ込んでくる男の悪臭は室内に充満していた死の臭いと交わり、私は思わず顰めた顔をしてしまう。

「そこの人間を殺めてしまった。だから罰せられ命を奪われる。秩序のせいで、貴女の命が無駄に振り回されるだなんて…あまりにも不自由で不公平で不幸だと…思いませんか?」

 全てを見透かしたような口振り。その身なりとは違った紳士的な言動に、私は段々と恐怖よりも苛立ちが勝っていく。

「悪いことをしたら…罰せられるのは、当然だわ! それに…貴方に私の何がわかるっていうの…!」
「わかりますよ。貴女にだって守りたい大切なものがあった。だがそれを傷つけられ痛めつけられ…だから戦ったのでしょう。だから情状酌量の余地がある。だから正当防衛と言っても過言ではない。だから…貴女は悪くない」

 悪くない。
 そのたった一言が私の胸に突き刺さった。
 悪いことをしている自覚がある反面。その男が言ったそんな薄っぺらい言葉に、私は救われてしまった。
 そうだ、私は悪くない。本当に悪いのはそこで横たわっている男の方なんだ。

「なのに貴女はこのままだと断頭台まっしぐら…それを不自由だと不公平だと不幸だと言っているのですよ、お嬢さん…」
「だん、とうだい…?」
「知りません? 旧時代―――天使と人とが争う時代にあった処刑方法ですよ」

 私はそこでようやく気付いた。
 その男が外套に隠している手足の違和感に。

「ヒィッ……あ、足がっ!?」

 思わず上擦った声で私は叫んだ。
 男の両足が、人のそれではない鳥のような足をしていたのだ。
 と、その包帯に包まれた腕もこれ見よがしに解き、見せつけてきた。
 それはまさしく、鳥の羽毛が付いているのではなく、生えていた。
 
「な、なんで……」

 荒くなっていく呼吸。高鳴り続ける心臓。嫌な汗がずっと噴出している。
 なんで、と口走ったけれど。こんな特徴を持つ者なんて一つしかなかった。
 子供なら誰もが聞かされるおとぎ話。伝承の類。
 人を呪う存在、不幸と不吉の象徴―――。

「天使、が……!?」

 吐き出せた私の声は、想像以上に震えていた。
 声だけじゃない。全身が震え上がっていた。
 腰も抜けてしまっていて、夫を殴り殺したときよりも、竦み上がっていた。

「そんなに怯えないで下さい。私は貴女を助けたい…秩序に縛られた貴女に自由を与えたいだけなのです」
「ど、どうして…私、を…?」

 天使は人を呪い、人を見境なく襲う凶暴な存在と、おとぎ話で聞いていたのに。この男はまるで真逆だった。
 悠然と堂々としていて、怒鳴ることも殴りかかることもなく、私に優しく語り掛ける。
 それは恐ろしいものなはずなのに。恐ろしいものと聞かされてきたはずなのに。

「実は…私と下にいる仲間は軍に長いこと幽閉されており、酷いことをされ続けていました…なんとか命辛々逃げてきたものの、追われている身は変わらない……故に私たちを匿ってほしいのです」

 男は不敵にも不気味にも見える笑みを浮かべる。
 私は、この男を信じようとは思えなかった。男はもう、そう簡単に信じられそうにない。
 けれど、私にはこれが赤猫様が授けて下った幸運だと思った。都合よく思ってしまった。

「…わかったわ。私がこの男を殺していないと、証明出来た後…そうなったときに匿ってあげるわ」
「ありがとうございます。仲間も絶対に喜ぶことでしょう」




 こうして天使の男と私は協力関係になった。
 天使の男は宿の裏手にある石倉を見つけるなり、そこで夫を火事という名目で焼いてしまおうと提案した。
 そんな恐ろしいこと私に出来るのかと思ったものの、他に妙案も浮かばない。
 私は天使の男の言葉を全て聞き、一緒に夫を担ぎ運び『煙草の不始末という火災事故で亡くなった』という偽装工作をした。
 撲殺の証拠を隠ぺいするために程よく焼かれた夫は、私が思っていた以上に疑われず、派遣された軍は事故死として処理した。
 






 これでようやくあの男から解放される、良かったと安堵した。

 これも全てはあの天使の男のおかげだと、喜んだ。

 彼らの望み通り匿うべく宿の一室を―――というわけにはいかなかったので、全く使っていなかった酒の貯蔵庫を貸し与えた。




 だけど、私の安堵は一時だけのものだった。

 ようやく手に入れたものに満足してしまうと、誰だって次の満足感が欲しくなる。手に入れたくなる。

 自由を手に入れたはずの私は、また次の不安を、不自由を思い出してしまった。
 





「私もいつか死ぬ…それが怖い。死が怖いの…」

 大切だったネコの墓を、あの子が大好きだった木の傍にひっそりと埋めながら、私はそう思った。
 しかしそれこそどうにもならないこと。生きているものである以上、避けようも逆らいようもない秩序。

「いいえ。私たち天使は自由を与えられた存在。死すら超越し許された者たちなのですよ」

 憔悴しきっていたそんな私へ、天使の男はそう答えた。
 そして同時に、突然男は自身の手を見せつけた。
 以前はなかった―――隻腕だったはずの男。
 けれど、そこにはなかったはずの、男の腕が綺麗なくらいに存在していた。
 くっついたものなのか、生えたものなのか。私にはわからなかったけれど、男は笑みを浮かべて言った。

「お嬢さん、貴女には一宿一飯の恩義があります…なので、不死になれる……死からも自由になれる方法を教えてさしあげましょう…」

 そうして天使の男は、私に自由になるための呪いを囁いてきた。







  
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