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妖精猫は老女とお別れした
その4
しおりを挟む妖精猫とマリンの二人はアサガオの屋敷で一緒に暮らすこととなった。
暮らすことになり、最初こそ二人はその屋敷の大きさ広さに驚き続けていたが、そのうちだんだんとその広さもまた大変なのだということに気づく。
端っこの部屋から端っこの部屋に移動するだけでも、のんびり屋の妖精猫にとっては大移動となってしまっていた。
その苦労のせいか、いつの間にやら妖精猫は与えられた客室ではなく、アサガオの部屋の隅っこで寝るようになっていった。
「にゃあにゃあ、アサガオちゃんが迷惑じゃなけりゃあぼくはここで十分だよ。居心地だって日当たりだって良いし最高だよ」
そう言って隅っこで丸まって眠る妖精猫に、アサガオは「そこが良いなら」と受け入れたくれた。
が、しかし。季節が変わり、どんどん寒くなっていくにつれて妖精猫は身を寄せるように、寒さをしのぐようにどんどん小さく丸く丸くなっていく。
そんな彼を見兼ねたアサガオはあるとき。こっそりと自分のベッドの上で妖精猫を眠らせてあげた。
翌朝になって、妖精猫はアサガオのベッドで眠っていたことに飛び跳ねるくらい驚いていた。
「にゃにゃ! 寝相が悪すぎでアサガオちゃんのベッドに寝ちゃってた!」
「違う違う。寒そうにしていたから、あたしがベッドで寝かせてあげたのさ」
「ごめん。そこまで寒かったわけじゃないんだけど…でももし良ければ、お布団を一枚もらえればぼくはそれで良いから」
謙虚にそう笑って妖精猫は言う。
するとアサガオは妖精猫の小さな鼻先っちょをつんっと軽く押した。
「それじゃあダメだ、風邪でも引いたらどうすんだい」
「え、でも…」
「あたしも妖精猫さんがベッドの上で丸まってくれた方が温かいから。それで良いんだよ」
そう言って微笑むアサガオに妖精猫は大きな瞳を更に大きくさせて、らんらんと輝かせて喜ぶ。
「アサガオちゃん、ありがとう!」
「お礼を言うほどじゃないよ」
その場を飛び跳ねたり両手を叩いたりして大はしゃぎでいる妖精猫。
彼はアサガオと暮らすようになって、とてもとても幸せだと思った。この日々はこれまで過ごしたどんな時間よりも、楽しくて嬉しくて充実したものだった。
なによりも願い続けていたアサガオの笑顔を見れることが、隣に並んでいることが、妖精猫にとって一番の幸せだった。
楽しくて楽しくて。浮かれに浮かれてしまっていた妖精猫は気づいていなかった。
アサガオの顔色が、だんだんと青白く変わっていっているということに。
その日。
広間を掃除していた妖精猫はふとあることに気づく。
「―――そう言えば、アサガオちゃんの歌…しばらく聞いてないや」
ぽつりと言った一言に、同じく掃除をしていたアサガオの手が止まる。
妖精猫は少しだけ顔を俯くアサガオを見つめる。
「歌なんて…子供に歌った子守唄以来、からっきしさね。今歌ってもしゃがれたこの声じゃあまともな歌にもならないよ」
そう言って見せた笑顔はとても寂しそうだと妖精猫には見えた。
妖精猫はアサガオへと近づくとその顔をじっと見つめてからもう一度尋ねた。
「ぼくはアサガオちゃんの歌ならどんな声でも歌でも嬉しいよ。子守唄だって良いんだよ。だから…もう一回、歌ってくれないかな…?」
無邪気な子供のような、その眼差しに。アサガオは少しだけ困った顔をする。
しばらくと悩んでいた様子のアサガオであったが、ふと笑顔を作って見せると妖精猫に頷いて答えた。
「……わかったよ。じゃあ、一回だけだよ」
「にゃあにゃあ、やったあ!」
嬉しそうに飛び跳ねながら、妖精猫は雑巾もバケツもその場に置きっぱなしにして。アサガオの真ん前へと座り込む。それはまるで、あのときのステージのように。一番真ん前に。
ぱちぱちと、たった一人の拍手が屋敷内に響く。
アサガオは深く深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出しながら。歌い出した。
*
夜がきた、夜がきた
暗いこわい真っ黒闇で
魔女のステージが始まった
森たちは笛を吹き
風はまるでコーラスさ
そのうちに月や星も顔を出す
彼らも優しく音を奏でるよ
ホウキで指揮をとる魔女は笑う
怖いことなんてなんにもない
これはあったかいステージなのさと
だからほら、安心して
いい夢を見なさいな
笑顔で眠りなさいな
*
昔、子供を寝かしつける際に歌ったという短い子守唄。それが歌い終わると妖精猫は大喜びでその場から立ち上がって、頭の上で両手をぱちぱちと先ほど以上の拍手を贈った。その大きな瞳からは涙をぼたぼたとこぼしていた。
「すごいよやっぱりキレイだよ、可愛いよ美しいよステキだよ最高だよ!」
思いつく限りのほめ言葉を叫んで、妖精猫はアサガオのそばへと駆け寄ろうとした。と、そのときだった。
「げほっ、がはっ…!」
突然アサガオが咳き込み始めたのだ。彼女はそのままその場にうずくまってしまう。
「アサガオちゃん…大丈夫…?」
大慌てで近づいた妖精猫は心配そうにアサガオの顔を覗き込む。
「心配するほどのことじゃないさね…」
そう言って笑顔を作ってくれるアサガオ。
だが、口元を押さえる彼女の手のひらには、真っ赤な血液が付いていた。
「え、え…?」
初めて見たアサガオの真っ青な顔と真っ赤な血反吐に、妖精猫は驚きの余りに言葉を失った。動揺を隠せず、思わずアサガオの両手に触れた。
「どうしたの? どっか痛くしたの?」
心配そうにアサガオを見つめる妖精猫。その茶トラっ毛の顔色がまるで青白くなってしまったようで。そんなおろおろとする妖精猫の顔へと、アサガオは血が付かないよう指先だけで、そっと触れてあげる。
「…ごめんよ…」
まだ何か、しゃべりたそうにしていたアサガオだったが。その直後、再びむせ始めてしまい彼女の言葉は遮られてしまう。
止まないアサガオの咳き込みに、妖精猫どうすれば良いのかわからず。しまいには半べそをかき始める。
「にゃにゃ…どうしたらいいの? どうすれば止まるの?」
ぐすぐすと妖精猫が涙目でいると、そこへようやくマリンが買出しから帰ってきた。
扉を開けるなりうずくまって咳き込み続けるアサガオと半べそをかく妖精猫。その光景を見て、マリンは顔を青ざめながらも二人の傍へ急いで駆け寄った。
「アサガオ、大丈夫? 一体どんな無理をしたの?」
マリンはアサガオの背中を優しく撫でながら、ポケットから何かを取り出した。それは薬らしく、彼女はそれをアサガオに飲ませた。
するとアサガオの咳き込みは、みるみるうちに落ち着いていった。
「マリンちゃん…アサガオちゃんは…何があったの?」
呼吸が穏やかになっていくアサガオに一安心した妖精猫は、涙を拭いながらマリンへと尋ねる。
マリンはアサガオの今の症状について、何か知っているようだったからだ。と、いうよりも知らなかったのは妖精猫だけだと思われたからだ。
「―――アサガオはね、もう…そう長くはないのよ…」
マリンは悩んだ末、妖精猫にそう告げた。
その言葉を聞いて、妖精猫は驚きを通り越して、何も出来なくなっていた。声を出すことも、尻尾を揺らすことも、飛び跳ねることも、出来なかった。
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