妖精猫は千年経った今でも歌姫を想う

緋島礼桜

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妖精猫は婦人に泣かされた

その5

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 酒場を飛び出た妖精猫ケットシーは、人波を通り抜け町並みを通り抜け、町の外へと駆け出していく。
 町の外、道の向こう、森の向こう、そのまた向こうと。
 そうして妖精猫ケットシーが無我夢中でたどり着いたのは、彼が秘密基地と呼んでいた場所だった。
 森を抜けた先にある、崖の上の小さな花畑。真っ青でキレイな海を臨める美しい場所だった。
 妖精猫ケットシーはここに小さな洞穴を作って暮らしていた。この秘密基地は彼の内緒の住処でもあり、憩いの場所でもあった。
 ちなみにこの場所に住んでいることを知る人は酒場の誰も、アサガオにさえも話していなかった。




「にゃあ…にゃあ…!」

 無我夢中でたどり着いた妖精猫ケットシーは走った勢い余ってすっ転んでしまい、二転三転と転がっていく。
 その拍子に花畑の花は潰されて散っていってしまう。
 ごろんごろんと転がった妖精猫ケットシーは仰向けに倒れ込んだ。
 見上げた先には海と同じ真っ青な空と、アサガオの髪のような色の雲が広がっていた。
 ゆっくりと、ふと妖精猫ケットシーはその小さな手を大空に向けて伸ばした。空も雲も、決して触れることは出来ない。届くことはない。
 妖精猫ケットシーの大きな目から、また涙がぽろぽろとこぼれ落ちていく。

「もうアサガオちゃんには会えないんだ、もうアサガオちゃんの歌も聞けないんだ…ぼくの……ぼくのせいで……」

 アサガオにもう二度と会えないという悲しみが。
 自分のせいでアサガオはいなくなってしまったんだという申し訳なさが。
 けれど、そういうことを少しでも良いから相談して欲しかったという悔しさが。
 どうして何も言ってくれなかったんだという怒りが。
 これまでにないくらいの色んな感情が、妖精猫ケットシーを襲った。
 それは妖精猫ケットシーにとって生まれて始めての激情だった。

「にゃあ…にゃあ…アサガオちゃんに会いたいよ……」

 まるで大切なものを失ったかのようにぐすぐすと泣きじゃくる妖精猫ケットシーは、ショックから立ち直れずにその後もずっと泣き崩れていた。
 雨が降っても、風が強いときでも。
 花畑の花が全て散っていっても、肌寒い日になっても、雪が降り積もっても。
 そしてその雪が溶けても。
 妖精猫ケットシーはぐすぐすと仰向けになりながら、ときには丸くなって眠りながら、空を見上げながら、花を見つめながら。
 そんな日々を何回も、何十回も、何百回も、繰り返しながら泣き続けていた。
 妖精猫ケットシーは自分の激情をどうすることも出来ず。いつまでもいつまでも泣き崩れることしか出来なかった。 






      





 ぐすぐすとべそべそと、ずっとずっとずっと泣き続けていた妖精猫ケットシー
 そんな消沈していた彼のもとへ。あるとき、誰かがやって来た。

「―――呆れたわね、今の今までずっとそうして泣きじゃくっていたの?」

 妖精猫ケットシーが驚いて振り返ったその先には、マリンの姿があった。
 マリンは二の腕を組みながらため息を吐いて妖精猫ケットシーを見つめていた。

「てっきり貴方はアサガオを探しに行って飛び出していったんだと思っていたから…まさかこんな町の外れにいつまでもいたなんて思いもしなかったわよ」

 そう言うとマリンはひざを抱えて座っている妖精猫ケットシーの隣に並んで座る。

「にゃうにゃう、だって…アサガオちゃんとはもう二度と会えないと思ったから……」
「そんなわけないでしょ? 亡くなったわけじゃないんだから」

 マリンはそう言って妖精猫ケットシーの頭を優しく撫でる。
 いつかのときにも、そうしてくれたように。

「けどね…その調子でこんなところでいつまでも泣き続けていたら…もう少しで手遅れになっていたところよ…?」
「手遅れ…?」
「貴方がここでこうしていて、どれだけの時間が経ったか…わかる?」

 マリンの問いかけに妖精猫ケットシーは、左右に頭を揺らして少し考えてから言った。

「……もしかして、十年、くらい…?」
「……三十年よ」

 マリンの言葉を聞いた妖精猫ケットシーは驚きの余りに目を丸くした。とてつもない力で心臓が握られたかのように、妖精猫ケットシーの胸はどくんと鳴って、締めつけられた。

「にゃにゃ、嘘だよ…!?」

 思わずそう叫んだ妖精猫ケットシーに、マリンは首を左右に振って答える。

「真実よ……残酷よね、私たちにしたらちょっとした長い時間は、人たちにしたらとても長い時間が経ったことになるんだものね…」

 驚きによって爪の先から尻尾の先まで震わしている妖精猫ケットシーへ、優しくそう話すマリン。
 彼女は花畑から一本の花を摘んでみせる。可愛らしい小さな花を咲かせた白い花。
 その匂いを嗅ぐようにマリンは鼻先に花を当てる。

「……酒場を出ていったまま、ずっと音沙汰のなかったアサガオから、最近になって手紙が届いたのよ」

 その手紙にはあの日、酒場のみんなに何も言わず突然嫁いで出ていってしまったことへの謝罪が書かれていたのだという。
 そしてそこには、妖精猫ケットシーについての謝罪も書かれてあった。

「勝手に出ていってごめんなさい、誕生日お祝いしてもらうって、許してあげるって言っておいていなくなってごめんなさい。嘘ついてごめんなさいって。書かれていたわ」

 妖精猫ケットシーは手紙の内容を聞いて、首を左右に振りながら言った。

「にゃあにゃあ…嘘つかれたことは確かにとても悲しかったし辛かったけど、ぼくも一度やっちゃったからこれでおあいこだよ。ぼくは怒ってないし、アサガオちゃんが謝ることじゃないんだよ」

 一生懸命マリンにそう話す妖精猫ケットシーを見て、マリンは思わずくすりと苦笑してしまう。

「それは私にじゃなくて、アサガオに直接言わないと…」
「そ、そうだけど……でもアサガオちゃんが今どこにいるのか…ぼくは知らないから…」

 遠くに行ってしまったとしかマスターか聞いていなかった妖精猫ケットシーは、しょぼんと尻尾を下げて項垂れる。
 するとそんな妖精猫ケットシーへ、マリンはポケットから手紙を取り出して見せた。それは間違いなくアサガオの文字で書かれた、アサガオからの手紙だった。

「これにね、アサガオが今暮らしている町の名前も書かれてあったのよ。だからまだアサガオを探して回ってるんだろう貴方に教えてあげようと、私は貴方を探そうと思って酒場から暇をもらったのよ」

 そうしてマリンが旅立った矢先、町の人々から『たまに猫のような小さな泣き声が聞こえてくる岬がある』という噂を聞いて、ここを見つけてやって来たのだという。
 マリンの話を聞いた妖精猫ケットシーは頭を深く深く下げて謝る。

「ご迷惑おかけしてごめんなさい…」
「探す手間が省けたわけだし、私たちも勝手に思い込んで貴方をもっと早く見つけてあげなかったわけだから…これでおあいこよ」

 頭を下げている妖精猫ケットシーに微笑むマリン。

「だけど…ぼくが会いに行ってもいいのかな? だってぼくのせいでアサガオちゃんは酒場にいられなくなったんでしょ?」
「それについてはマスターも『言い過ぎた』って反省してた。貴方は何も悪くないのよ。悪かったのは、二人とももっとちゃんと理解し合えてなかったってことだけよ」

 毛並みにそって優しく撫でられ妖精猫ケットシーは嬉しそうに微笑み返す。しかし、その心地良さはアサガオに撫でてもらったときとはどこかが違っていた。アサガオに撫でられたときには、もっと心の奥にドキドキとした気持ちがあった。

「今だってそうよ。妖精猫ケットシーさんがそれだけの時間をかけたって、泣き続けていたって、何も変わらない…何もすっきり出来ていないでしょ?」

 その気持ちを誰かにもっと早く打ち明けてくれれば、もっと早く違う解決方法が見つかったかもしれない。マリンはそう付け足して話す。

「だからね、貴方はアサガオに会いに行った方が良いわ。それが貴方とアサガオの苦しいままの気持ちを解決出来る、たった一つの方法だと思うから」
「ぼくはアサガオちゃんに会いに行っても良いの…?」

 不安そうな顔で妖精猫ケットシーはマリンを見つめる。
 また怒られるかもしれない、嫌がられるかもしれないと不安に震えている妖精猫ケットシーを真っ直ぐに見つめて、マリンは尋ねた。

「だって、アサガオのことが大好きなんでしょ? 貴方は、アサガオに会いたくないの?」

 その眼差しに、妖精猫ケットシーは真っ直ぐに見つめ返しながら答えた。

「会いたい……ぼくはアサガオちゃんに会いたいよ! 会って謝って許してもらって許してあげて、笑顔を見るんだ」

 その嘘偽りない素直な気持ちを聞いて、マリンは微笑む。

「それなら迷うことなんてないわ。私も一緒について行ってあげるから、会って話し合ってみましょう。彼女の素直な気持ちを聞いてあげましょう?」

 そう言ってその場から立ち上がるマリン。妖精猫ケットシーもまた嬉しそうにぴょんと飛び上がる。

「マリンちゃんもついてきてくれるのかい?」
「当たり前でしょ? たどり着くまでに一年以上なんてかけられても困るもの」

 にゃあにゃあと笑って返す妖精猫ケットシー。するとマリンはそんな彼へもう一つだけ忠告をする。

「それと、旅立つ前に……まずはお風呂に入ること。いいわね?」

 そう言われた妖精猫ケットシーはちょっとだけ嫌そうに眉間にしわを寄せてから、渋々と尻尾をだらんと下げながらうなづいた。
 ちなみに妖精猫ケットシーはお風呂が大の苦手であった。



 


    
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