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妖精猫は婦人に泣かされた

その3

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 次の日。
 アサガオの誕生日プレゼントについて、考えに考えていた妖精猫ケットシーだったが、結局何にするか決まらず。
 今年は十年目だからと、直接本人に欲しいものを聞いてみることにした。

「にゃあにゃあ、アサガオちゃん何が欲しいって言うかな。それとも…前みたいになんにもいらないっていうかな…そう言われたらどうしよう…」

 そんな不安も抱きつつ、妖精猫ケットシーはステージの奥、カーテンの奥。その通路の奥にあるアサガオの部屋へと向かった。
 時刻は朝。この時間ならばまだ歌のショーも始まらない。そのためアサガオの邪魔にはならないだろうと妖精猫ケットシーは思ったのだ。
 ちなみに、彼女の部屋を訪ねるのはこれが二度目。彼女が少女だった時に訪ねて以来となる。



 コンコン。
 おそるおそる扉を叩く妖精猫ケットシー。すると扉の向こうから短い返答が聞こえてきたので、妖精猫ケットシーはゆっくりと扉を開けた。

「アサガオちゃん…いるかな…?」

 小さな顔をひょっこりと出して、妖精猫ケットシーは部屋を覗き込む。

「…珍しいね、妖精猫さんがここにやって来るなんて…」

 怒られる様子はなく、嫌そうな顔もしていない。
 一安心した妖精猫ケットシーは静かに部屋の中へと入っていく。
 久しぶりのアサガオの部屋。以前訪ねたときはベッド以外何もない部屋だったが、今はそんなことはなく。棚が置かれ、テーブルが置かれ。その上には砂時計や花瓶や本が置かれている。壁にはキレイなステージ衣装や帽子、スカーフなんかもかけられていた。

「ちょっと…聞きたいことがあって…隣に並んでもいいかな?」
「ああ…構わないよ」

 そう言って頭を押さえているアサガオ。怠そうな顔をしている彼女の傍ら―――ベッドの下には、空になった酒瓶が転がっていた。
 
「アサガオちゃん、お酒飲んでたの?」
「ああ、これがないと眠れないからね……」

 そうは言っているものの、いかにも眠たそうな顔つきでいるアサガオの隣、ベッドの上にちょこんと座ると妖精猫ケットシーは爪を立てないよう優しく、アサガオの背中を撫でた。アサガオは一瞬だけ驚いた顔をするものの、嫌がる様子はなかった。

「ぼくはお酒を舐めても舐めなくてもぐっすり眠れるけど…アサガオちゃんはお酒がないと眠れないの?」

 妖精猫ケットシーはそう言うと、じっとアサガオの顔を見つめる。
 歌っているステージのときとは違うアサガオの顔。なんだか具合の悪そうな顔色に、妖精猫ケットシーは少しばかり心配になる。
 しかし、そんな妖精猫ケットシーの心配そうな様子を察したアサガオは、無理に笑顔を作ってみせた。

「まあね……ほらこの通り、もうすぐ三十歳越えようとしている大人になっちゃったからかね」

 アサガオの笑顔を見られた妖精猫ケットシーは、嬉しそうににんまりと笑顔を返す。
 
「にゃあにゃあ。そうなんだよね、それでぼく、アサガオちゃんに聞きに来たんだ。今度の誕生日プレゼント、何が欲しいかなって」

 そう言って妖精猫ケットシーはらんらんとした瞳でアサガオを見つめる。
 何でも言ってと、子供のような純粋な瞳でアサガオを見つめ続ける。
 しばらくとだまっていたアサガオだったが、静かな声でぽつりと言った。

「若さ。って言ったら、どうする…?」
「若さ?」

 思ってもいなかった回答に妖精猫ケットシーは目をぱちくりさせて、首を傾げる。

「大人になって良かったことはもちろん沢山あるさ。お酒が飲めるようになったこととか。周囲の人たちがあたしを対等に見てくれることとか。背伸びをしなくても欲しいものに手が届くようになったこととか」

 アサガオはそう話しながら妖精猫ケットシーの頭を優しく撫で返す。
 今思い返せば、こうして彼女が頭を撫でてくれたのはこれが初めてのことだった。
 嬉しさと彼女の温もりに、妖精猫ケットシーはゴロゴロと気持ち良さそうに喉を鳴らしながら目を閉じる。

「けどさ…アンタを見てると、たまに思っちゃうんだよ。もっと子供の頃に……十年前の誕生日の頃に、アンタが十年もいなくなっちゃうその前に、もっと素直になっていたらさ、もっと違った大人になってたのかなって……」

 アサガオの顔は変わらず笑顔でいる。しかし、その笑顔はどこか苦しそうで哀しそうであったのだが。
 撫でられて幸せな気分でいる妖精猫ケットシーには、そのことに気づくわけもなく。
 彼は嬉しそうににんまりとした笑顔を見せながら答える。

「にゃあにゃあ、ぼくにはアサガオちゃんの言葉はちょっと難しいけれど…けどね、ぼくは今のアサガオちゃんも出会った頃のアサガオちゃんも、どんなアサガオちゃんになってもずっとずっと、いつまでもかわいいくてキレイで美しくてステキな女の子だよ」

 素直に、純粋な気持ちでそう話す妖精猫ケットシー
 そんな彼を見て、更に複雑な表情するアサガオは、ゆっくりと妖精猫ケットシーを抱きしめた。
 生まれて始めて抱きしめられたことに驚き、妖精猫ケットシーは思わず目を丸くし、動揺どうようしてしまう。

「にゃにゃ! どうしたの、アサガオちゃん…もしかして、具合悪くなっちゃった…?」
「はははっ…そんなんじゃないよ……ホント、もっと早くこうしてあげれば良かったなぁ」

 優しい優しいその抱擁ほうように、妖精猫ケットシーは困惑しながらも少しだけ心地よさそうに喉を鳴らす。尻尾をふりふりと揺らして、喜びを表現する。
 アサガオはしばらくの間、そうして妖精猫ケットシーを抱きしめ続け、それに応えるように妖精猫ケットシーもアサガオの背中を、爪を立てないよう優しく優しく、撫で続けていた。




「―――そう言えば、誕生日プレゼントに何が欲しいかだったね。そうさね…最初の頃みたいにお花が欲しいね。あの花瓶に飾るような色とりどりの沢山の花を摘んできてよ」

 そう言うとアサガオは棚の上に飾られている花瓶を、前に妖精猫ケットシーがプレゼントしたそれを指差した。
 それを聞いた妖精猫ケットシーは嬉しそうに、自信たっぷりに自分の胸をどんと叩いて言った。

「にゃあにゃあ、わかったよ! 誕生日にはアサガオちゃんの大好きな沢山のお花を用意するよ!」

 妖精猫ケットシーはぴょいっとベッドから飛び降りると早速、プレゼントを用意するかのような勢いで飛び出て行く。アサガオの誕生日まではまだ一か月もあるというのに。

「期待してて待っててね! それじゃあまたね!」

 妖精猫ケットシーはそう言ってから目いっぱい手を振って、それから扉を閉めた。
 陽気でいる彼へと手を振って返し、アサガオもまた笑顔で答えた。

「ああ…バイバイ」

 扉は勢いよく。しかし音を立てないよう、最後はゆっくり静かに、閉められた。


 



   
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