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妖精猫は少女と出会った

その2

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「本当に感動したよ! ステキだったキレイだったかわいかった美しかったよ!」
「わかったわかった。だからあんまり興奮するんじゃねえよ」

 冷めやらぬその感情を何度も言葉で表しながら、妖精猫ケットシーは近づいてくるハリボテとアサガオを拍手で出迎える。感激のあまりに椅子の上にまで立ってしまっているくらいだった。
 と、妖精猫ケットシーは椅子から飛び降りるとアサガオの前へと近付く。突然駆け寄って来た二足歩行の猫に、彼女は素直に驚き怯えてしまった。

「にゃあにゃあ、そんなに怯えなくても大丈夫だよ。ぼくは妖精猫ケットシーという猫の妖精なんだ」
「ようせい…ねこ、さん…?」

 咄嗟とっさにハリボテの後ろへ隠れてしまったアサガオは、こっそりと顔を覗かせつつ、妖精猫ケットシーを見つめる。怯えた顔を向ける彼女へ、妖精猫ケットシーはにんまりと最高の笑顔で答えた。

「人のようにおしゃべりができる猫。って思ってくれれば十分さ。それでそれで、ぼくの名前はね―――」
「こいつの名前なんざ覚える必要もねえ、妖精猫ケットシーの坊主っておぼえときゃあ問題ねえよ」

 ハリボテの言葉に妖精猫ケットシーは不満そうに目を細め、耳を反らせる。
 しかしハリボテの言っていることは間違っているわけではなく、名前なんてあってないようなもので。みんなは彼のことを妖精猫ケットシーとだけ呼んでいた。

「…ところで、こいつの歌をえらく感動してくれたようで何よりだ。お前はどの妖精猫ケットシーよりも純粋無垢で正直だからな。つまりはこいつの歌がピカ一だって証明出来たってこった」
「ピカ一なんてもんじゃないよ。まるで雷が頭上に落っこちてきたような衝撃だったよ。歌声もすごかった。本当に」

 そう言いながら妖精猫ケットシーは少しばかり後悔する。
 彼は妖精猫ケットシーとしてはまだまだ未熟で子供のような部類なのだが、それでも生まれてこの方300年近くは経つ。
 なのに彼は無邪気に気まぐれにずっとずっと生きてきたせいか、自分に全くもって『学』がないことに今気付いたのだ。要はキレイなほめ言葉が何にも出てこなくて、がっかりしたのだ。
 
「だがな…実を言うとあれはまだまだ本調子じゃねえんだな、これが」
「え? そうなのかい?」
「何せこの通り人見知りなもんだからな。さっきも声は震えていたし、声量もまだまだ物足りねえぜ」

 そう言うとハリボテは自分の背後で―――と言ってもホビットの彼とはほとんど同じ身長なのだが―――身を隠したままでいるアサガオの頭をポンポンと叩く。
 
「それでな、ちょっとした相談なんだがな…坊主、お前さえ良けりゃあこいつの緊張を取るために一役買ってくれねえか?」
「一役って?」
「なあに、簡単なもんだ。こいつが歌の練習をするそのとき、傍に居続けてくれりゃあ良い。要は友達になってやってくれってことだ」

 こんだけはしゃいでくれた相手の前で歌い続けりゃあ、そのうち緊張もほぐれて人前に慣れてくるだろう。そうハリボテは付け足す。

「そんなで良いのかい? それだったらずっとずっと付き合ってあげるよ。君が緊張しないで歌えるようになるまで! ぼくは友達になるよ!」

 妖精猫ケットシーはそう言ってアサガオの顔を更に覗き込む。
 だが、恥ずかしそうに彼女はその顔を背けてしまい、ハリボテの背中に隠れてしまう。
 差し出した手のひらそのままにされ、握手を交わされることはなく。それまでピンと伸びていた妖精猫ケットシーの尻尾はだらんと下がってしまっていた。

「…とにかく、ぼくはやるよ。アサガオちゃんのためになるなら! ちゃんと握手してくれるなら! 友達になるからね!」

 そう一生懸命訴える妖精猫ケットシー。その姿に少しばかり心が動かされたのか、アサガオはちょっとだけ顔を出してから、小さな声で言った。

「ホントに? 友達に…なってくれるの…?」
「うん! ぼくはのんびり屋で気まぐれだけどさ、こう見えても約束はちゃんと守るんだ」

 もう一度。今度はアサガオの眼前へ、妖精猫ケットシーは自分の手のひらを出してみせる。
 アサガオは少しだけ戸惑っていたものの、しばらくしておそるおそる自分の手を出し返した。
 出してくれたその小さくて愛らしい手に感激しながら、妖精猫ケットシーは彼女の手を強く、爪を立てないように優しく、握り締めた。

「これからよろしくね、アサガオちゃん!」
「うん…これから、よろしくね。妖精猫さん…」

 ちょっとだけ俯きながら、それでもはにかみながら。アサガオも優しく妖精猫ケットシーの手を握り返す。
 大喜びだった妖精猫ケットシーはにんまりと笑って、繋がった両手をぶんぶんと上下に振った。その力強さにアサガオは思わず驚いてしまうほどだ。

「わっ…」
「にゃあにゃあ、ごめんごめん…」
「ったく、坊主…お前は少しばかり他人に合わせるってことを学んだ方が良いぜ」
「他人に合わせる…ってどういうこと?」

 呆れ顔を見せぼやくハリボテの声を耳にした妖精猫ケットシーは、耳をぴくぴくと動かしながらさ、彼へと尋ねる。
 意外な質問をされたハリボテは少しだけ驚いた顔を見せたが、またすぐいつものむすっとした顔に戻り、あごひげを触りながら言った。

「そいつについてはなあ…まあ、こいつと一緒にいりゃあわかるようになるだろうさ」

 それだけ言うとハリボテは酒場の奥へと消えていってしまう。
 残された妖精猫ケットシーは首を傾げながら、その言葉がどういう意味なのかしばらく考えてみる。
 だがしかし、同じく取り残されていたアサガオに気付き、彼はその考えを直ぐに忘れてしまった。

「アサガオちゃんを置いて行っちゃうなんて、ひどいなあ」
「…妖精猫さんが、この手を放してくれたら…追いかけられる……」
「にゃにゃ、それはごめんごめん」

 妖精猫ケットシーが両手を放した途端、アサガオは逃げるようにハリボテを追いかけて酒場の奥へと去って行ってしまった。
 一人残されてしまった妖精猫ケットシーはそれでも去って行く彼女の背に向けて、最後の最後まで叫んでいた。

「それじゃあまた明日も来るから! 君の歌を聞きに来るからね!」

 妖精猫ケットシーの声は届いたのか、届かなかったのか。酒場の奥から返事がやってくることは、なかった。
 





   
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