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第四篇 ~蘇芳に染まらない情熱の空~

53項

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「うっ…ううっ…」

 レイラたちの足音が聞こえなくなってから、ソラはその場に蹲ってボロボロと涙を零し泣き始めた。
 
「どうしたのですか…ソラ…?」

 そう言って泣きじゃくる彼女へ慌てて近付いてきたのはソラの母だった。
 母はソラに寄り添い、その涙をエプロンで拭ってあげる。

「だってレイラが、悪い、ん、だもん…!」
「それだけではわかりませんよ? ちゃんと一から教えてくださいな…?」

 ソラの母は礼節を重んじるが故に家族に対しても敬語であった。
 ソラの父からは『生まれ持った口癖みたいなものだから気にしてやるな』と言われたが、ソラにしてみればそれはどこか他人行儀に聞こえてしまって。
 ほぼ初対面状態であることも合わさって、ソラは上手く母に甘えることが出来ないでいた。





「―――そうですか。レイラちゃんはきっと純粋にソラと一緒に旅行へ行きたかっただけなのではと思いますが…?」
「そんなことない! ただしたかっただけだよ! だからレイラが悪いの!」
「ではレイラちゃんからもう一度一緒に行こうと言われても…行きたくはないのですか?」
「うん、いいの!」

 どんなに慰められても、説得されても意固地になったソラは意見を曲げることはなかった。
 何度も涙と鼻水を拭いながらも、かぶりを左右に振ってばかりで母を困らせた。
 すると母は静かに吐息を洩らしてから言った。

「では……お母さんと一緒にお出かけをしませんか?」
「え?」

 意外な言葉にソラは目を丸くして母を見つめる。
 母はソラへ優しく微笑みながら言った。

「実を言うとお父さんの薬がもう直ぐ切れてしまいそうなので、ユキノメまでお出かけに行こうと思っているんです。それも嫌でしょうか…?」
「いつもののお薬…買いにいくの?」
「そうですよ」

 母と二人っきりで。
 甘えられるという喜びと、甘えることへの緊張感。そしてその戸惑いと恥じらいににソラはもじもじと言葉を詰まらせる。

「で、でも…」

 それにソラは行きたくとも、行きたいと直ぐに大声で言うことが出来なかった。出来なくなっていた。
 何故ならそれは―――。

「村にも村の外にも…ヘンな人いっぱいいるから…今はお外は怖いし…」

 瞼を赤く腫らし、鼻水も垂らしたままでソラはコッソリと窓の向こうを覗き込んだ。
 そこには景色に溶け込みつつ、林道の隅に隠れる人影がある。それも一つ二つではない。
 複数の人影が此方ソラたちを覗き、その手には映写機カメラを持っていた。

「本当に…困ったものですね」

 深いため息を吐く母。それはソラも同じ気持ちであった。



 この頃、ソラのを知る人たちが何処からか父の住処を聞き付け、あちらこちらから野次馬の如く押し寄せて来ていたのだ。
 有名人であったソラの父の姿を一目見ようと、その言葉を書に残そうと。写真に収めようと。数多の人たちが挙ってやって来ては草陰に隠れて機を窺っていた。
 だが隠れている程度ならばまだ良い方で、無配慮の人間となれば家族であるソラや母、更にはカムフにレイラ、村人たちにまで迷惑極まりない声を掛け続ける始末。
 平穏な暮らしを臨んでいる村人たちはこの騒ぎにウンザリしていたが、それでも時の人である父を追い出すことなど到底出来ず。村自体もこの騒ぎのお蔭で潤っている部分もあったため、野次馬の彼らをどうすることも出来ずにいた。
 本来人見知りはしないソラでさえも、その鬼気迫る状況に少なからず恐怖を抱いていた程だった。

「あの方たちも悪い方々ではないんです…ただ少しだけ、目の前の出来事に興奮して冷静さを欠いてしまっているんですよ…今のソラのように」
「むぅ…お母さんの言葉、わかんない…」

 そう言って膨れっ面を見せるソラに母は困った顔をしながら、それでも優しくソラの頭をいつまでも撫でてくれた。

「いつかわかるときが来ますよ」
「ほんとに?」
「はい、いつか…もう少し大人になったときに…ですね」

 甘えきれずにいたソラは優しい母の掌に甘えることなく、顔を俯かせることしか出来なかった。



 ―――そして、これが母から貰ったの温もりだったんだと。
 ソラは今更になって理解して、そして後悔した。






     
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