上 下
285 / 307
第四篇 ~蘇芳に染まらない情熱の空~

35項

しおりを挟む
    






 時は夕刻。
 旅館へと戻ったロゼは自室には戻らず真っ先に書庫へ向かった。
 あれからそれなりに時間も経った。ならば掃除も終わっている頃合いだろうというのが、ロゼの予想であった。
 そして事実。書庫は見違えるほど美しく綺麗になっていた。
 ―――が、しかし。

「ったく…こんなところで寝ていたら風邪引くじゃない…」

 そう呆れ返るロゼの視線の先では、ソラとカムフが壁に並んで寄りかかり眠っていた。
 随分と疲れ切っていたのだろう。ロゼが皮肉を言っているというのに目覚める気配はなく。互いに凭れ掛かりながら心地良い寝息を立てていた。

「……幸せそうで羨ましいわ」

 と、彼は二人が眠る壁を暫く眺めた後、僅かに眉を顰めて呟いた。

「……本当、醜いものね…」

 そんな独り言を洩らしたロゼは音を立てないよう静かに踵を返し、書庫から去っていった。

 






 翌日。
 昨日は書庫の大掃除によって丸一日潰れてしまったソラ。今日は一人で村の外れに来ていた。
 村の外れ。と言ってもそこまで外れているわけではない。旅館の直ぐ裏手だ。
 
「…よし、誰も居ない!」

 旅館の裏手は手入れもされていない雑木林が広がっているだけなのだが、近くには沢が流れており水場には困らない。
 人目を避けて をするには打ってつけの、彼女だけの秘密の場所だった。

「暫くしてなかったからなあ…」

 そんな独り言を零しつつ、ソラは背中に隠していた木刀を取り出す。
 木刀というよりは使い古されたボロボロの木の棒であるそれを両手で握り構える。
 と、ソラはそれを上下左右に振り回し始めた。

「ふんっ! えいっ!」

 架空の敵を想定し、空想の中で木刀を振り続けるソラ。
 兄が村にいた頃は毎日のようにチャンバラごっこをしたり、剣の稽古まがいなこともして貰ったりしていた。
 だが、兄がアマゾナイトへ入隊してしまってからは徐々に剣を振るう機会もなくなり、稽古も疎かになっていた。
 そんな稽古を今になってやろうと思い立った理由。それは―――。




「ダメだ…これじゃあまたアイツらに捕まっちゃう…!」

 そう叫びながら額に流れる汗を拭う。
 ソラにとって何よりも屈辱だったのは、剣技でちゃんと対抗出来なかったことだった。
 ロゼに助けられたということも充分屈辱ではあったが、それ以上に剣術稽古の成果兄から教わったものが何一つ活かされなかったことが悔しかったのだ。
 それに、このまま誰かに守られっぱなしというのも彼女の性には合わなかった。
 だからこそ、人目を避けてこっそり稽古を再開したというわけだ。

「ていっ! ていっ!」

 無心に木刀を振り回しながら、ソラはかつて教えてもらった兄の言葉を思い出そうとする。

「ただ振り回してるだけじゃダメ…もっと全身? で振るわないと…それから…えっと……」

 しかし記憶を辿ろうとする焦りが動きを鈍らせ、次の瞬間。

「あっ…!!」

 両手から木刀がすっぽ抜けてしまった。
 ガサッという音と共に木刀は木陰の奥へと飛んでいってしまう。
 よく見ると両手は既に真っ赤なタコができ始めていた。

「痛…っ」

 思わず漏れ出た声。とりあえず水で冷やそうかと、ソラは沢の方に向かおうとした。
 その時だった。

「―――醜いわね」

 聞き覚えのある声にソラの身体は一時停止してしまう。
 恐る恐る振り返ってみるとそこには彼女の想像通り、ロゼの姿があった。
 
「な、なんでこんなとこにいんのさ!?」
「窓から見えたのよ」

 そう言ってロゼは旅館の二階を指差す。確かにそこには廊下に面した窓があった。
 小さい頃から此処を秘密の稽古場所にしていたソラにとって、まさかそんなところに目があるとは全くもって盲点だった。
 ソラは思わず開いた口が塞がらなくなる。

「あうっ…だったら何さ? 人の稽古をバカにするためわざわざ此処まで来たの?」

 不機嫌そうに頬を膨らませるソラ。
 するとロゼは笑顔―――と言うよりはいつもの勝気な笑みを浮かべて言った。

「稽古…つけてあげましょうか?」
「は?」







   
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

側妃ですか!? ありがとうございます!!

Ryo-k
ファンタジー
『側妃制度』 それは陛下のためにある制度では決してなかった。 ではだれのためにあるのか…… 「――ありがとうございます!!」

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

異世界に召喚されたけど、聖女じゃないから用はない? それじゃあ、好き勝手させてもらいます!

明衣令央
ファンタジー
 糸井織絵は、ある日、オブルリヒト王国が行った聖女召喚の儀に巻き込まれ、異世界ルリアルークへと飛ばされてしまう。  一緒に召喚された、若く美しい女が聖女――織絵は召喚の儀に巻き込まれた年増の豚女として不遇な扱いを受けたが、元スマホケースのハリネズミのぬいぐるみであるサーチートと共に、オブルリヒト王女ユリアナに保護され、聖女の力を開花させる。  だが、オブルリヒト王国の王子ジュニアスは、追い出した織絵にも聖女の可能性があるとして、織絵を連れ戻しに来た。  そして、異世界転移状態から正式に異世界転生した織絵は、若く美しい姿へと生まれ変わる。  この物語は、聖女召喚の儀に巻き込まれ、異世界転移後、新たに転生した一人の元おばさんの聖女が、相棒の元スマホケースのハリネズミと楽しく無双していく、恋と冒険の物語。 2022.9.7 話が少し進みましたので、内容紹介を変更しました。その都度変更していきます。

冷たかった夫が別人のように豹変した

京佳
恋愛
常に無表情で表情を崩さない事で有名な公爵子息ジョゼフと政略結婚で結ばれた妻ケイティ。義務的に初夜を終わらせたジョゼフはその後ケイティに触れる事は無くなった。自分に無関心なジョゼフとの結婚生活に寂しさと不満を感じながらも簡単に離縁出来ないしがらみにケイティは全てを諦めていた。そんなある時、公爵家の裏庭に弱った雄猫が迷い込みケイティはその猫を保護して飼うことにした。 ざまぁ。ゆるゆる設定

婚約破棄され聖女も辞めさせられたので、好きにさせていただきます。

松石 愛弓
恋愛
国を守る聖女で王太子殿下の婚約者であるエミル・ファーナは、ある日突然、婚約破棄と国外追放を言い渡される。 全身全霊をかけて国の平和を祈り続けてきましたが、そういうことなら仕方ないですね。休日も無く、責任重すぎて大変でしたし、王太子殿下は思いやりの無い方ですし、王宮には何の未練もございません。これからは自由にさせていただきます♪

取り巻き令嬢Aは覚醒いたしましたので

モンドール
恋愛
揶揄うような微笑みで少女を見つめる貴公子。それに向き合うのは、可憐さの中に少々気の強さを秘めた美少女。 貴公子の周りに集う取り巻きの令嬢たち。 ──まるでロマンス小説のワンシーンのようだわ。 ……え、もしかして、わたくしはかませ犬にもなれない取り巻き!? 公爵令嬢アリシアは、初恋の人の取り巻きA卒業を決意した。 (『小説家になろう』にも同一名義で投稿しています。)

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

美幼女に転生したら地獄のような逆ハーレム状態になりました

市森 唯
恋愛
極々普通の学生だった私は……目が覚めたら美幼女になっていました。 私は侯爵令嬢らしく多分異世界転生してるし、そして何故か婚約者が2人?! しかも婚約者達との関係も最悪で…… まぁ転生しちゃったのでなんとか上手く生きていけるよう頑張ります!

処理中です...