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第四篇 ~蘇芳に染まらない情熱の空~

34項

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 ソラとカムフが書庫の掃除に悪戦苦闘をし続けている、その最中。
 シマの村の外れ。その店で一人黙々と作業をする男の姿があった。
 作業。と言っても近所の女性に頼まれた包丁を丁寧に砥いでいるだけなのだが。
 これが彼の今の職であり、誇りであった。

「―――ふうん。かつての姿は見る影もなく…と言った感じね」

 男は手を止め、声のした方を一瞥する。
 と、彼はその姿を見るなり驚きに目を見開いた。

「久し振りね…ダスク」

 黒尽くめの衣装に化粧を施した顔。といった奇抜な出で立ちに驚いたわけなのだが。男が驚いた理由はそれだけではなかった。
 彼はゆっくりと表情を戻すと、口元を緩ませ落ち着いた声で言った。

「ああ……随分と懐かしい姿だな」

 男―――もといダスクは席を立つと杖を付きながらその客人を残し、店舗の奥へと消えていく。
 それから間もなくして戻って来た彼の手には茶筒が握られていた。

「すまんな。本来ならば茶を淹れてもてなしてやりたいところなんだが…生憎とこんな身体でな。手伝ってくれんか」

 その言葉に客人は思わず笑みを零しつつ頷いた。

「喜んで」





「今は…ロゼ、だったな」
「ええ」
「この村にはもう来ていただろうに…訪ねるのが遅かったな。いつ来るのかと待っていたんだぞ…?」

 そう会話が弾み出したのは、ヤカンの湯が沸いた頃くらいだった。

「まあ、ね…物事には順序があるのよ」
「てっきり…俺のところには来たくないのだと思っていたがな…」

 ダスクはそう言って笑みを浮かべつつ茶葉が入ったポットに湯を注ぐ。
 室内が仄かに甘い茶の香りで満たされていく。
 だが、その落ち着く香とは裏腹にロゼの顔は不機嫌そうに顰められている。
 そんな彼の顔を見つけたダスクは苦笑した。
 
「…冗談だ。そういえば、娘を助けてくれていたそうだな」
「よく言うわね…誰のせいだと思っているの?」
「そう怒るな。感謝しているんだ…まあ、血気盛んな性格故に色々と迷惑も掛けているだろうがな」
「そうね。誰にも似ていなくて驚いたわ。けど…そのお蔭で扱い易いところもあるから助かるけれど」

 ポット内で茶葉が蒸らされる最中、ロゼはおもむろに口を開く。

「……単刀直入に言うわ。『鍵』を持っているのは貴方なんでしょう…?」

 鋭い眼光でダスクを睨むロゼ。
 しかし返答することはなく、ダスクはティーカップの準備をする。

「私は…目的のためならどこまでも醜くなる覚悟があるの。だから…いざとなれば、あの子たちに危害を加えることだってするわ―――」
「二つばかり。俺が言えることはお前さんに『鍵』は渡さないということと……お前さんには絶対そんな手段は出来んということだ」
「そんなことはない……貴方に私の何が解る…!」

 いつになく声を荒げるロゼ。
 勢いの余り身を乗り出しそうな彼に、ダスクは至って平静に淹れたての紅茶を差し出した。
 
「まあ聞け。時の流れというのはあっという間だ……息子や娘たちは親の身を案ずるほどでかくなったし、片や俺はというと声は嗄れ古傷以外でも身体が痛むようになってきた…」

 そう語り出したダスクは自分のティーカップを手に持ち、ゆっくりとそれを口へ運ぶ。

「お前さんとてそれだけの年月が経ってしまっている。そりゃあ外見もその心に渦巻く感情も変わるだろうし……互いのことが解らなくなるのも当然だろう」

 ロゼは差し出された紅茶を黙って見つめる。その茶に映る彼の表情は硬い。
 一方で紅茶を一口二口と啜るダスクは話を続ける。

「だがな…そうだとしても昔のお前さんのことならよく解っているつもりだ……だからこそ、お前さんの目的に賛成はしないし『鍵』は渡せん。が、反対するつもりもないもないんだ」

 静寂とした店内で、時計の音がやけにゆっくりと、そして異様に大きく響く。
 鋭い眼差しを向け続けるロゼに対し、ダスクは落ち着いた口振りで言った。 

「…とにかく、俺が出来ることと言えば『今は休め』と助言すること…それだけだ」
「…そんな貴方たちの思惑のせいで、自分の娘に危険が迫ることになったとしても…?」
「ああ」

 力強く頷き、再度紅茶を啜るダスク。
 一貫して悠然とした態度でいるそんな彼を見つめ、ロゼは深い吐息を洩らした。

「…わかったわ。今は大人しくしといてあげる……本当、そういう頑固なところはやっぱり親子ね。ムカつくくらいよく似ているわ」
「誉め言葉として受け取っておこう」

 ロゼの顔に自然と笑みが零れる。
 ダスクも微笑みを返し、また一口紅茶を啜る。
 仕方なく、ロゼも続くようにティーカップを手に取り、紅茶を飲んだ。

「―――意外ね。貴方がこんなに美味しい紅茶を淹れられるなんて…初めて知ったわ」
「妻の味が忘れられなくてな…試行錯誤した成果だ」

 そう言ってダスクは椅子の背凭れに寄りかかると「だがまだ彼女の味には追いつけん」と呟いた。
 その何処か懐かしむような寂しげな彼の表情を見つめつつ、ロゼは静かに紅茶を飲んだ。



 二人はそれから、他愛のない会話をした後―――互いのティーカップが空になったところで、ロゼは帰路に立つ。
 帰り際、ダスクは突如ロゼを呼び止めた。

「ロゼ」

 彼はそう言って戸棚からあるものを取り出した。テーブルに置かれたそれは淡いロゼ色のワインであった。

「知り合いに貰ったものだが酒は得意ではなくてな…持っていけ。それと、今度は目的のためじゃなくちゃんと遊びに来い。そのときはまた思い出話に華でも咲かせよう」
「…そうね」

 嬉しそうに語るダスクにつられて、ロゼもまた笑みを浮かべる。
 ワインを受け取るとロゼは静かに手を振りつつ、店を後にした。




「本当に…アイツらが見たら何と言うだろうか…」

 ロゼの後ろ姿を見送った後、ダスクは小さく吐息を洩らし部屋の木棚を一瞥する。
 思い出の写真が飾られているその奥に、隠すようにそっと置かれている木の箱。
 手に取ればその中からはカタリ、と金属音が聞こえてくる。
 それは間違いなく、ソラが兄から受け取ったはずの木箱であった。

「…言われずとも『鍵』も、お前らも…守ってみせるさ……この名に賭けてな」 

 誰に言う訳でもなく、彼はポツリとそう呟いた。






    
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