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第四篇 ~蘇芳に染まらない情熱の空~

14項

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 今現在、この旅館には他に客人はいない。二人の不正を目撃する者はいない。
 が、堂々と廊下を歩くソラとは裏腹にカムフの足取りは重く。どことなく顔色もかんばしくない。

「ここの部屋?」
「…ああ。そうだよ」

 奇人男が宛がわれた部屋は旅館の最上階である三階、その突き当りであった。この部屋はバルコニーも存在し、眺めも良い。といっても、山々の緑一色だけの光景なのだが。それでも心が洗われる光景と言えた。

「じゃあ開けるよ―――カムフ、開けて」
「結局おれ!?」

 ソラに返されたマスターキーを手に取ったカムフはいよいよかと覚悟を決め、客室の前に立つ。
 罪悪感からか、緊張感からなのか。その手は僅かに震えている。しかしそれはソラも同じであった。

「あ、あのさ……やっぱりこれって、流石に、はんざ―――」
「違う違う! ほらあれ、ベッドメイキング! それで入ったってことにしようよ!」

 確かにそれならば旅館の関係者が客室に入っていたとしても何ら可笑しくはない。
 が、しかし。同時に二人は気付いた。ベッドメイキングならノニ爺が既にやり終えているということに。彼の仕事と起床と就寝はとても早いのだ。
 つまり、今このドアを開けた先にはとっくに整理整頓し終えたベッドがあるだけ。つまり、ベッドメイキングは全くの言い訳にならないだろう。

「そんなんで、大丈夫か…?」

 より一層と不安に襲われ、眉を顰めるカムフ。
 しかし、いつまでもここで佇んでいるわけにもいかない。

「大丈夫だって! 早くしないと戻ってきた方が色々困るし…!」

 と、二人がもたついていた。そのときだ。

「―――何しているの、貴方たち…?」

 背後から聞こえてきた声。
 ソラとカムフの鼓動が高鳴る。というよりも、その瞬間だけ二人の心臓は止まったかもしれない。 
 ともかく。二人は驚きのあまり目を丸くし、その場に硬直した。
 振り返る勇気なんてない。が、意を決し二人は同時に背後へと振り返った。
 するとやはりそこには例の奇人男が、昨日と何ら変わらない格好で立っていた。

「あ、あはははっ…」

 カムフの愛想笑いが廊下に虚しく響く。
 片や奇人男の方は眉を顰め、二人を睨む。

「えっと、その…お茶、お茶を、用意しましょうかと思いまして…あ、でもまだお帰りじゃなかったんで、引き返そうかと……」

 場を取り繕うべく咄嗟に浮かんだ言い訳を並べて笑うカムフ。怪しまれないよう、持っていたマスターキーは即座に後ろ手に隠した。

「お茶…そうね。それじゃあ貰おうかしら」

 すると男は意外にも顎下に指先を添えながらそう言った。
 どうやら、こんなにも挙動不審な二人を怪しんではいないようだった。
 とりあえずやり過ごせたことに安堵するソラとカムフ。
 カムフは一礼した後に「では直ぐに持って来ます」と言い、お茶を取りに駆け出していく。

「あ、待って!」

 その急ぎ足に置いてかれてしまったソラ。
 後を追い駆けるタイミングを逃してしまい、図らずも奇人男と二人きりになってしまう。

(どうしようどうしようどうしようどうしよう…何か言った方が良いのか、何を聞く? あれ、何聞くんだっけ?)

 二人きりという動揺によって彼女の脳内はちょっとしたパニック状態になっていた。
 と、不意に見上げたソラの視線が、男の視線と重なり合う。
 その色濃い口紅が目を引くせいで気付かなかったが、その眉目秀麗な顔立ちは思わず息を吞むほどで。長い睫毛の奥に映える大きな碧い瞳はつい吸い込まれそうになる。
 身なりが身なりであれば兄セイランに負けず劣らずの美男子だったろうとソラは思った。

(って……違う違う違う! そうじゃなくって―――!!)

 思わず抱いてしまった雑念を振り払うかのように、ソラは固く目を瞑りながら頭を左右に振る。
 
(お礼、は…唐突過ぎるし……謝罪、は何か負けた気がするからしたくないし…)

 内心頭を抱えて悩んでいるソラ。そんな彼女を見つつ、男は口を開いた。

「ちょっと」
「は、はひっ!?」

 驚きのあまりに身体は飛び跳ね、変に上擦った声が出てしまう。
 最悪に恥ずかしい言動であったが、今のソラにはそんな羞恥心を抱く余裕すらない。
 と、男はため息交じりにソラを指さした。

「邪魔よ。退いてくれないかしら?」
「あ…」

 正しくはソラの背後を、だった。
 そこで彼女はようやく自分がドアを塞いでいることに気付く。
 思い出したかのように全身から熱が迸り、羞恥心に耳まで真っ赤になるソラ。
 彼女は静かに左へ移動した。
 小さく吐息を洩らし、男は何も言わずドアを開け中へと入っていった。

「ふ、ふう…」

 ソラは人知れず深く息を吐き出す。

(動揺し過ぎて何してたか覚えてないけど…今のうちに逃げよう…!)

 ソラはゆっくりと踵を返し、さっさとその場から立ち去ろうとする。
 が、しかし。何故かドアは閉まりきる直前で止まった。

「何しているの? 入っていきなさいよ」

 ドアの隙間から顔を覗かせる男。彼はソラを見つめながらそう言う。
 意外な言葉にソラは目を丸くさせ、改めて動揺し始める。

「え、あ…の…?」
「部屋の中、見たかったんでしょう?」

 そう言って微笑む男。
 全てはお見通しだったようで、ソラは慌てふためき、声さえ出せなくなってしまう。
 男はため息を吐きつつ、そんなしどろもどろな彼女を室内へと促した。

「ほら、入りなさいよ」

 昨日とは違う、幾分か穏やかな表情と優しい声。
 その声のおかげかせいか。ソラは幾分か落ち着きを取り戻し、彼に言われるまま室内へ入ることにした。

「い、言っておくけど、まだ信用したわけじゃないから!」

 と、ソラは思い出したようにそう叫びながら部屋へと入っていく。
 男にしてみれば全く以って可笑しな言葉を吐いているとも気付かずに。






    
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