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第四篇 ~蘇芳に染まらない情熱の空~
1項
しおりを挟む何処からともなく聞こえてくる鳥の囀り。
鬱蒼と生い茂る草花に木々。いつから作られているのかわからない獣道。
そんな緑豊かな森林の、少し外れた場所にその小川はあった。
まるで絵画のようなその風景の中に、小川を覗き込む一人の人物がいた。
彼は小川の傍らに屈みこむと両手で水を掬い取り、丁寧にそれを口へと運ぶ。
ようやくと喉を潤すことの出来た彼は、おもむろに水面を眺めた。
世界の広さも知らず懸命に泳ぎ続ける小魚たちを眺めた後、彼自身の顔へと視線を移す。
このとき、彼が一体どのような表情をしていたのか。それは彼しか知ることはない。
次の瞬間。彼は勢いよく自らの拳を水面へ振り落したからだ。
水飛沫と共に上がる大きな音によって、魚たちはどこかへと逃げてしまう。水面には波紋が広がっていく。
しかし、大きく広がっていた波紋もやがては緩やかに消え去っていき、元の静寂とした川の流れを取り戻す。
そうして再び、彼の顔が水面へと映し出される。
水中に埋めたままの拳を強く握り締めながら、彼は低い声で呟いた。
「―――醜い…」
見渡す限りの晴天。
その彼方―――アドレーヌ王国最南端には王国随一の高山・エダム山が聳えている。
そんなエダム山の麓に森林が広がっており、本来ならば静寂とした場であるはずなのだが。
今日は異様な悲鳴が響いていた。
空に轟くような叫び声は鳥たちを驚かせ、獣たちを怯えさせていた。が、そんなことを知ってか知らずか、悲鳴の主である少女は叫び続けながら林道を走り続けていた。
「なんで…こんな、ことに…なんのさ!! 信じらんないっ!!」
息も絶え絶えで吐かれる精一杯の愚痴。
流れる汗もそのままに、少女は必死に走り続ける。
そんな彼女へと迫る影が二つ。彼女はその者たちに追われているせいで、この森林を喚き走っていたのだ。
と、不意に少女は足下のバランスを崩してしまう。
眼下には崖が広がる。
「うっそ…!?」
再度轟く少女の喚き声。
しかし、崖と言っても斜面は緩やかで、高さも大人の背丈程度。
少女は転がり落ちて尻餅をつく程度で済んだ。
柔らかく肥えた腐葉土のおかげか大した怪我はなかったものの、安堵している暇もない。
立ち上がるなり彼女は、痛むお尻を押さえつつまた走り出した。
とは言えど、既に満身創痍である少女は思ったように足も上がらず。喉はカラカラだった。
すると少女はふと足を止めた。
「洞、くつ…」
前方に突如現れた洞穴。
少女は以前、今は亡き祖母から聞いたことがあった。
この周辺の山々は大昔、エナ石を発掘していた場所だったらしく。山のあちらこちらにはこうした坑道がそのまま残されているのだと。
「そっか……やっと…山の方まで、逃げれたんだ……」
坑道の存在、それは同時に少女の目的地―――故郷の村が近いという道標でもあった。
本来の道筋からは大いに外れてこそいるが、山に入ったのならばもうこちらのもの。そう確信した少女は、迷うことなくその洞穴へと飛び込んだ。
(アイツらなんかを村に連れてくわけにはいかない! ここで上手く巻いてやる…!)
自分だけが被害に遭うならともかく。村人や知人友人を巻き込むことだけは絶対にしたくない。
そんな決意を胸に、少女は披露しきった身体で洞穴内を走り出した。
その洞穴はどうやら一本道のトンネル状になっていたようで。薄暗く湿っぽい空気が漂ってこそいたが、前方からは僅かながら光が射し込んでいた。
(流石にアイツらも…此処を通ってるなんて思わないだろうし…)
胸に抱く希望を表すかのようなその輝きへと。少女は一気に駆けていく。
―――が、しかし。
トンネルの出口へ辿り着く前に、少女の顔色は絶望へと変わった。
「待ってたぜ、嬢ちゃん…」
それは少女を此処まで執拗に追い続けているという追手―――彼女の言うアイツらであった。
二人組の男たちは待ちわびていたとばかりに二の腕を組んで立っていた。
全身から口許に至るまで黒装束に包まれた男たち。そのいかにも怪しいといった出で立ちは、この少女でなくとも思わず警戒し逃げ出してしまうことだろう。
彼らは布地越しでも丸わかりなほど、口許に笑みを浮かべる。
そんな愉快そうな二人組とは対照的に、少女は不愉快とばかりに眉を顰めた。
「さあ、大人しく『鍵』を渡して貰おうか…」
ジリジリと砂利を鳴らしながら近付いてくる男たち。
少女は静かに息を吞み、ゆっくりと後退りしていく。
「てか出会ったときも言ってたけどさ……か、鍵って一体何のこと!? あたしそんなの持ってないって言ってんじゃん!!?」
実は先刻のこと。この男たちは少女と出会って早々、開口一番に「鍵を渡せ」と言って迫ってきたのだ。
当然、不信感と恐怖心から彼女は即座に逃げ出したわけなのだが。そうして追い駆けられ、そして追い詰められ今に至るわけだった。
「はあ? しらばっくれんじゃねえ!!」
「てめぇが『鍵』を持ってんのは解ってんですぜぃ!!」
苛立ちつつも真正面かから身に覚えがないことを訴える少女であったが、男たちは全く耳を貸さず。
それどころか嘘だとばかりにより一層と眼光を鋭くさせる始末。
「ホントにホントだってば! しつこいな!!」
事実、少女は『鍵』と呼べる形状のものは全く持っていなかった。
―――のだが、しかし。
少女自体は心当たりがあった。
(……やっぱ…コレの、ことなのかな…?)
男たちにじわじわと追い詰められながらも、少女は冷静に脳裏へ過らせる。
ことの発端であろう、その経緯を―――。
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