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第三篇 ~漆黒しか映らない復讐の瞳~
58案
しおりを挟む―――だがその直後。
振り返ったヤヲの目の前で、鮮血の花が咲いた。
真っ赤なその血は彼の衣服と眼鏡を染め上げる。
予想外の展開に、呆然とする思考が、より一層と彼の脳内を真っ白に染める。
(……何が、起きた…?)
困惑するヤヲは、顔に飛び散った血を眺めた後、前方を見つめた。
そこではヒルヴェルトが何者かに斬られていた。
彼女は口から血を拭き出し、その場に崩れ落ちる。
「なっ…!?」
無意識にヤヲは倒れる彼女へと駆け寄った。
青白く染まっていく彼女の顔。
呼吸は虫の息となり次第に弱々しくなっていく。
肩口から袈裟切りされた一撃は、もう助かる見込みのないほどの惨いものであった。
不意打ちとはいえ、ヒルヴェルトを絶命に追い込んだ一撃。
だがヤヲがそれ以上に驚いたのは、それを放った正体だった。
「―――ニコ…!」
そこにいたのはいつも見ていた、あの天真爛漫なショートボブの少女。
ヒルヴェルトの背後に立っていた彼女はいつものナイフではなく、兵士たちから奪ったのだろう剣が握られていた。そしてその刃からは、ボタボタと鮮血が滴り落ちている。
「なんでさあ…ヤヲにげようとしてるの? そのひところさないの? そうしないとさあ、ダメなのにさアッ! あまいよ! あまいあまいアマイアマイ……おかしよりあまくってあついよぉぉ!!」
その様子は明らかに異常であった。
酔っているかの如く、力無く身体を揺らし、一方でその双眸は瞳孔が開ききっているようだった。
「どうして…?」
が、しかし。戸惑っている暇さえなく。
ニコは次の瞬間、口角を吊り上げながらヤヲへ向かってきた。
「ニコ!?」
咄嗟に彼はヒルヴェルトを抱えながら飛び退く。
飛び退いた、というよりは彼女と共に転がった、と言った方が正しい。
だが避けていなければ、今頃ニコによって一突きにされていたところであった。
彼女の剣は間違いなくヤヲを狙っていたのだ。
転がった先で手を放してしまい、未だ倒れたままでいるヒルヴェルト。
そんな負傷する彼女から離れるように、ヤヲは一人起き上がる。ニコの狙いはヒルヴェルトからヤヲへと変わっていたからだ。
「ヤヲのせいであついんだよねえ! だからころすね、ころすからね!」
「一体どうしたんだ、ニコ…?」
気が狂ってしまったかのようなニコの言動にヤヲは顔を顰める。
彼女の言動には最早、理性の欠片すら感じられなかった。まさに、本能のままに暴れる獣も同じだった。
(本能のままに……まさか―――!?)
ヤヲは記憶を辿り、思い返す。
会食場襲撃の直前。
ニコはキャンディを食べていた。
いつものように食べていた甘いお菓子。
暗闇に紛れてよく見ていなかったが、あのキャンディの色は―――緑色だった。ヤヲが飲んだ劇薬と全く同じ色。
アレを飲んだヤヲは激痛すら快感と思ってしまう感覚と、本能を解放させ暴れたくなる感情に踊らされた。
それを何とか押さえ込めていられたのは、ヤヲがエナを常時服用して『エナ使い』となっていたからだろう。では、エナ使いではない一般人が劇薬を服用した場合はどうなるのか。
そう考えた途端、ヤヲは血の気が引いていった。
「ニコ―――!?」
暴れ狂い、剣を振り回すニコへと叫ぶ。だが、ヤヲの声は彼女に届かない。
既に目が通常のものではない。白目を向いたような瞳。
ヤヲは恐怖を覚えた。
エナとは此処まで人を狂わせてしまうのかと。
そんなエナを、自分は平然と飲み込み続けていたのかと。
だがそれ以前に、何故ニコはエナを―――エナが含まれたキャンディを食べたのか。食べてしまったのか。そんなものの答えは一つしかなかった。
脳裏に浮かんだあの男に、ヤヲはこれまでにない怒りを覚えた。
「なんで…なんでこんなことをするんだああぁぁぁ―――!!」
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