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第三篇 ~漆黒しか映らない復讐の瞳~
10案
しおりを挟むキ・シエの一瞬の惑いを、包帯女は逃さなかった。
利き足をロープで縛られようとも構わず、キ・シエの懐へ飛び込む最中。
彼女は隠し持っていた最後の暗器針を取り出した。そしてキ・シエのことが見えているかの如く、包帯女は的確にキ・シエの喉元を狙った。
が、しかし。彼女は寸でのところ―――その喉元に触れるかどうかのところで、針を止めた。
女の胸部にはギラリと刃が輝く。それはキ・シエの仕込みナイフだった。
互いに、あと数秒遅ければその切っ先が急所に食い込んでいるところであった。
「…引き分けってところでいいかしら…?」
そう言って暗器針を収める女。
穏やかというよりは、冷静に努めている口振り。
そんな彼女の声を聴いたキ・シエは、思わず瞳を大きくさせ彼女を見つめてしまう。
口元しか見えない包帯女。その発した声が、キ・シエの聞き覚えていた声とよく似ていたのだ。
懐かしい、愛していた恋人の声と。
「―――そこまでだ、お前ら」
来客者の一人がそう言った。
低く、至って冷静沈着―――と言うよりも悠長な口振りの男声。
彼は自らフードを捲り、その素顔を晒す。
キ・シエと同じか年上と思われる男。その短髪は黒く、双眸も同色だ。
そんな彼は笑みを浮かべキ・シエを見つめる。チェン=タンとは違う高圧的な笑みで。
「久しぶりに来てみりゃ…なかなか面白い素材じゃねーか、ジジイ」
そう言うと男は笑みを浮かべたままキ・シエへと近付いてくる。
思わずナイフを構えようとするキ・シエに対し、男は軽く両手を上げ敵対心がないことを示す。
「そう殺気立ってちゃ、殺りたい相手も殺れねぇってもんだぜ?」
男の言葉にキ・シエは顔を顰める。
「…貴方の気迫には負けますけどね」
キ・シエがそう言うと男は喉の奥をくつくつと鳴らしながら、袖の下に隠していたナイフを床に落として見せた。
カチャンという金属音を立てて落ちたナイフは全部で10本近くあった。
と、そこでようやくチェン=タンが駆け寄ってくる。
彼は慌てた表情で叫んだ。
「ビックリだよ君! 何やっちゃってるの!」
声を荒げるチェン=タンはキ・シエを睨む。
当然と言えば当然の言動。
しかしキ・シエは悪びれる様子もなく。
「僕の力量が通用するのか、試してみたかっただけです。僕にやられる程度ではないと思いましたし」
そう言って顔を背けたままでいる。
すると床に落としたナイフを拾い上げ、男は高慢な笑みを浮かべて言う。
「その通りだ。怒鳴る程じゃねえよチェン=タン。俺らがコイツに負けるわけねぇだろ」
「その自信過剰さだけは尊敬しますよ」
顔を顰めたままでいるキ・シエは、眼鏡の蔓を押し上げつつ呟く。
その独り言を聞き逃さなかった男もまた、キ・シエを見ながら笑って見せた。
「お前もそんなカリカリしなさんなって…此処にいるってことは復讐者なんだろ?」
男は目の前で左手を差し出した。
「なーに、警戒しなくとも同志との握手に仕込みなんざ野暮はしねえって」
警戒は解かないままであったが、キ・シエは静かに右手を出した。
そうしてガッシリと交わされる握手。
だがそこに温かみは感じられなかった。
「俺の名はロド。よろしく頼むぜ、同志さんよ」
「キ・シエです。よろしくお願いします」
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