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第三篇 ~漆黒しか映らない復讐の瞳~

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 ―――だが、キ・シエだけはそれでもだめだと、思っていた。
 彼は老人へ歩み寄り、深く頭を下げた。

「…頼みがありますヲーニイーア。僕を、外に出してください」
「なっ!?」
 
 驚いたのは長である老人だけではない。
 周りに居た女子供はもちろん、キ・ネカも驚きに目を見開かされる。
 キ・ネカは老人から腕を放し青年と向き合った。

「だめよ! 近くに奴らが来ているかもしれない…そんな所へ出てしまったらあなたは…!」

 飛び付き、キ・シエの腕にしがみ付くキ・ネカ。
 暗闇の中であったが、涙を流していることは容易に想像出来た。
 彼女が涙もろいことはよく知っていた。
 キ・シエは心を痛め、眉を顰める。
 しかし、だからといって彼女の涙に負けて此処に残るわけにはいかない。

「この洞穴も完全に安全であるとは言えない。奴らが見たこともない力を使ってくるやもしれない…」

 キ・シエの発言はロムの力を疑っているものともとれた。
 本来ならそれはイニムの教えに反する発言であったが、今重要なのはそこではなく。
 長は彼の失言を聞き流し、そのまま静観を続ける。

「だから、出来るだけ此処から奴らを遠ざけてこの洞穴を…避難している仲間を守りたいんだ」
「そんなことしなくたって良い!」
 
 彼は自らの命を犠牲にしてでも、仲間を―――彼女を守ろうとしていた。
 そしてそれが解っているからこそ、キ・ネカは何が何でも彼を止めようとしている。
 服袖を力強く引っ張り続け、涙ながらに彼女は訴える。

「お願い…私と一緒にいて…」

 泣き崩れ、その声は洞穴内に響き渡る。
 キ・シエはそんなキ・ネカを優しく抱き寄せた。
 互いの鼓動が聞こえるように、力強く。


 



「愛しているよ…キ・ネカ」

 そっと、囁くように呟いた。
 彼女の引く力が、徐々に弱まっていく。

「僕は君に生き残ってもらいたいんだ…これから生まれる我が子のためにも」

 彼の言葉にキ・ネカは目を丸くする。

「気付いてたの…?」

 驚きながら彼女はキ・シエと視線を交える。
 その暗闇の中でも映える、大輪の花のような真っ赤な双眸を見つめながらキ・シエは微笑む。

「なんとなくだけどね…」

 と、彼はキ・ネカの腹部へ優しく手を添える。
 まだ大きくは無いそのお腹には、二人の愛の結晶が宿っている。彼らにとってそれは何よりも尊くて守りたいものであった。

「…だからこそ行かせてくれ…大丈夫、必ず生きて帰ってくると約束するから」

 静かに、そして優しくそう語るキ・シエ。
 だがその言葉とは裏腹に、彼の双眸には強い覚悟が覗いていた。この命に代えても愛しい者たちを守ろうとする、最期の覚悟であった。
 彼女はしばらくの沈黙の後、根負けしたように小さく頷いた。

「……わかったわ…でも、必ず生きて帰って来るって約束して! 大地を監視せし父神ヘーニヤ・ネロー二に!」
「うん、約束する。大地を監視せし父神ヘーニヤ・ネローニに…」

 キ・シエはもう一度笑顔を見せた後、長の方へと視線を移した。
 老人も渋々と言った様子であったが、了承してくれたらしく静かに頷いた。

「お前の賢さは我が集落でも随一…だからこそ、無謀なことだけは考えぬように」
「わかっています」

 そう言うと老人は岩肌に両手を当て、何かを念じ始めた。
 先ほどから行われていたそれは『ロムへの祈り』と一族では呼ばれており、ロムの力を借り、意のままに操ることが出来るという御業だ。
 だが、その祈りは『ロム使い』と呼ばれる選ばれた者にしか許されておらず、この集落で『ロム使い』は長だけであった。

「絶対に生きて帰って来て!」

 低く轟く音と共に洞穴の岩戸が開き、そこから光が射し込み始める。
 朱く黄色く白くも見えるその明かりの彼方へと、キ・シエは歩き出していく。

「この子のためにも…私のためにも……お願いだから…」

 振り絞るようなキ・ネカの、か細い声が耳に届いてしまった。
 そんな彼女の方をキ・シエは振り返ることが出来なかった。
 この選択に悔いがないと言えば嘘になるからだ。
 だからこそ、キ・シエは愛する妻の顔も見ることなく、開かれた岩戸の向こうへ急ぎ飛び出て行った。
 後悔のないように。
 これが正しい選択だったと思えるように。
 そうしてキ・シエが出たことで再度、岩戸が閉じられていく中。
 その遠く洞穴の奥から、最後にキ・ネカの声が聞こえてきた。

「愛してるわ、キ・シエ!」

 






    
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