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第二篇 ~乙女には成れない野の花~
88連
しおりを挟むエミレスには、スティンバルの口から事態の全てを語った。
語らずとも、嘘も真も入り交じる巷の噂をいつかは耳にしてしまうと思ったからだ。
ノーテルの屋敷で起きた襲撃でリャン=ノウが命を落としたこと。
今回の襲撃の黒幕がリョウ=ノウだと推測されていること。
その衝撃は計り知れないものだったろうが、彼女は懸命に感情を押し殺していた。
また暴走しかねなかった感情を、必死に堪えていたのだ。
そんな妹の悲痛な心情を察し、尚更にスティンバルは眉を顰める。
「しかし…会えば余計傷つく事態もあり得る……それに、まだリョウ=ノウと手を組んでノーテルに居るという確証も…」
「―――いや、奇跡的な可能性を考えてるとこ悪いが、ベイル王妃は黒確定だぜ」
そう口を開くラライ。
彼はいつの間にかエミレスの後方に居り、その肩口には一羽の伝書鳩を乗せていた。
「じいさんの鳩がさっき着いた。文にはベイル王妃が随分な根回しをして部隊を動かしたってことが書かれている」
ラライはそう言うと大臣に指先程度に丸められた文を手渡した。
広げられたその文面には、『ノーテル別荘襲撃事件の重要参考人を南方で発見したため、早急に派兵せよとベイル王妃から国王に代わり命を受けた。捕えた者にはそれ相応の報酬を与えると囁かれた』という大隊長の証言が書かれていた。
「……ベイル…それほどまでに義妹が憎いというのか…それとも、憎悪に憑りつかれ元の君を失ってしまったのか…」
大臣から文の内容を聞き、スティンバルは人知れず呟く。
その蒼白した顔を案じ、大臣が声を掛ける。
「スティンバル様……お気を確かに」
するとエミレスはゆっくりとスティンバルへ歩み寄っていく。
彼女は兄の傍に寄り添い、その手を恐る恐る彼の手と重ねた。
突然の行動に一瞬驚いてしまうスティンバル。
だがそれ以上に驚いてしまったのは、妹の震えて冷たい掌に、だった。
「私は、本当は…とても怖いです。まだ信じたくないことが沢山ある…でも、行ってベイルお義姉様とリョウに―――彼らに会わないとずっと私は変われないまま…自分を好きにさえなれないと思ったんです」
だから、一緒に彼らと向き合ってくれませんか?
そう話すエミレスの瞼は、よく見ると紅く腫れ上がっていた。
随分と泣き腫らした顔で、それでも前に出ようと思う妹の逞しさに、スティンバルは思わず苦笑を浮かべる。
「悲しませてばかりで申し訳ないな…だが、もう絶対にお前を泣かせはしないと誓おう」
実妹の運命は兄には想像もつかないほどに、過酷なものだったと思う。
知りもしない強大な力を宿し、そのせいで父を殺めた過去。
知りもしない間に周囲から腫れもののように扱われてきた過去。
そして、知らなかった感情に誑かされ、危うく更なる過ちを犯すところだった。
だが、それでも彼女は前を向いている。
総てを知り、精神をずたずたに切り裂かれたはずだろうに。
それでも彼女は、今も自分の運命と向き合っている。
「誰がひ弱な乙女だと思ったのだろうか……お前は私の自慢の無邪気でいて、気高き野花だ」
懐かしいその呼び名に、エミレスも自然と笑みを零した。
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