そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

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第二篇 ~乙女には成れない野の花~

84連

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 *




 誰かが叫んでいる…。

 何かを喋っている。

 訴えている。
 
 とても温かい…。

 其処に居るのは…誰?




 *




 エミレスは口を僅かに開けた。
 哀しげで、消え入りそうなあの部屋に籠っていた頃と同じ声だった。

「私は皆に嫌われていた…私がとても醜いから……こんな恐ろしい力を持っていたから……私には誰もいない…みんな逃げていった…もういやだ……もう、独りぼっちはいや……」

 ラライは慌てて顔を放しエミレスを見つめる。
 しかし間近にある彼女の表情は先ほどと変わることはない。
 あくまでも唇が微かに動いているだけだ。

「お前は独りじゃないだろ。確かにこんなもんのせいで誰かを傷つけたこともあった。だがそれはお前のせいじゃない」

 まるで氷のように冷たいままのエミレスの身体。
 彼女の双眸に輝きはなく、瞬きさえしていないようであった。

「でも私のせいで皆辛い思いをしていた…嫌いになって離れていく…リャンだって……ずっと会いに来てくれない」
「それは…」

 痛いところをつかれたとラライは内心舌打ちする。
 リャン=ノウは既にこの世にはいない。
 その事実をエミレスが知らなかったことを、彼は今知ったのだ。
 しかしだからといって今此処で事実を告げれば、彼女の暴走がより悪化することは目に見えてわかる。
 彼は静かに口を閉ざした。

「ごめんなさい…違うの、全部私のせいなの…だから、私はこのまま消えたい……その方が皆幸せだから……皆笑顔でいられるなら…ごめんなさい…独りで、消えさせて……?」

 ラライは顔を顰めた。
 絶望による、全てを投げ出したような言葉。
 孤独と苦しみの彼女の訴えに、ラライはより一層と彼女を抱き締めた。




「何がごめんなさいだ…何が皆幸せだ……他人の戯言なんかで自分を犠牲にするな! お前自身が何に苦しいのか、本当に辛いのかちゃんと言えよ! ……全部オレが聞いてやるから、それで全部解決してやるから!」

 そう叫びながらラライは締め付けるように強く。
 けれど苦しまないよう優しくエミレスを抱き締め続ける。
 彼女の凍った身体を溶かすように、抱き締める。

「―――どうして…どうしてそこまで、してくれるの…?」

 やっと、少しだけ彼女が反応したような気がした。
 彼は続けて心の奥にあった本心を語る。

「言っただろ、一緒に変わるって…こう見えてオレは結構変わった。前より手が出なくなったし、喧嘩腰も減った。オレでさえお前のおかげでこんなに変わった…だからお前も―――」
「私は…もう、無理……変わろうとした結果がこれだったもの……だからもう、変わりたくない…もう疲れた…もう嫌なの……」

 悲しく、震えた声。
 拒むような声に、それでもラライは訴え続ける。

「だったら変わらなくて良い」
「え…?」
「変わりたくないと思うってことは、それは少なからず今の自分が好きっだって解ったってことだろう?」
「ち、違っ…私は自分が嫌い……こんな力も、醜い容姿も…全部嫌い」

 ようやく見え出した、彼女の別の感情。
 その何処か慌てたようなエミレスの口振りに、思わずラライは苦笑する。

「ようやっと自分の気持ちを言ったな。だったらまずは自分を好きになってみようぜ。そうすればきっとお前を好いてくれる奴が集まって来る。そうしたらもう、それは変わったも一緒だ」
「む、無理…だって私は……醜いもの……」

 未だに消極的な言葉。
 まだ一押しが足りないのだ。
 決定的な言葉をラライは探す。
 心の奥にしまっていた言葉を、探す。



 と、ラライは舌打ちを洩らすと直後、エミレスの顎を持ち上げた。

「…無理じゃない。オレは一度だって醜いと思ったことは無い、エミレス」

 強引に上げた目線によって、二人の双眸がようやく重なる。

「―――初めて会ったあの嵐の日。雨宿りも傘もせずずぶ濡れになって何かを待ってるお前を見て、正直とんでもない能天気なお姫様がいたもんだと思った。だがな、同時に…懸命に待つその姿を……美しいと、思ったんだよ」

 ラライ自身、そのようなことまで口に出すつもりはなかった。
 それは自分でも不思議なほど自然と出てしまった言葉―――彼の本音だった。

「う、嘘…信じない」
「オレは自分に嘘はつかん。知ってるだろ?」

 乾いていた唇も、ようやく水を得たように動く。

「嘘じゃ…ない…?」
「ああ」

 エミレスの瞳に、輝きが戻っていく。
 いつになく真っ直ぐなその眼差しに、ラライは思わず視線を逸らしてしまう。

「エミレスが変わろうが変わるまいが、オレはずっと傍にいる。約束する。寂しいときも誰かに後ろ指刺されたときもいる…だからもう独りぼっちとか…面倒くさいこと言うな」




 真っ赤にさせた顔を背け続けるラライ。
 それは、エミレスも良く知っている顔だった。
 ついこの先日までの、自分と同じ顔だった。
 だからこそそれがラライの本心であると、エミレスは思った。
 本当の想い。
 本当の気持ち。
 エミレスは目を大きく見開き、ゆっくりと瞬かせる。

「…うん………」

 その言葉と共に、エミレスにはまた別の感情が溢れ出る。



 エミレスは思い出した。
 ―――ラライ。
 彼だけはいつも本当の気持ちを、感情をぶつけてくれていたことを。
 頬を打ったり、孤独になった自分を支えてくれたり、一緒に変わろうと言ってくれたのも、ラライだったことを。



 どうして、彼のことを忘れていたのだろう。
 こんなにも、こんなにも想ってくれている人がいたのに。
 ずっと独りじゃなかったのに…。



 ラライはぎこちなく、しかし今までにないほど自然な微笑みを返していた。
 それを見つめるエミレスの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちていった。

「……ありがとう…」








   
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