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第二篇 ~乙女には成れない野の花~
68連
しおりを挟む大食堂を飛び出したベイルは無我夢中でいつもの場所へと駆けていた。
それは自室でなければ王城の屋上庭園でもない。
城の裏庭だった。
木々の葉が吹き荒ぶ風に揺れ、なんとも不穏な音を奏でている。
間もなく訪れるだろう嵐を予見させる中、ベイルはその城壁に拳を打ち付けた。
八つ当たるべく、怒りを発散するべく、悲しみを忘れるべく。
彼女はその透き通った素肌が赤黒く変色してしまうことも構わず、城壁を叩き続ける。
此処にこうして来るのはもう何度めのことだろうか。
しかし、ベイルのこの癖はエミレスが城に戻って来てからのものではない。
もっと昔―――この城へ第一王位継承者の婚約者として来たときから、彼女は此処に通っていた。
「―――結局、君も…僕も、同じ穴の狢なんだね」
背後から突如聞こえてきた声。
だがベイルはもう驚く素振りもない。
既に慣れた声となっていた。
「リョウ=ノウ…何?」
酷く低い声で返すベイル。
その荒れた様子にリョウ=ノウは笑みを浮かべる。
「まあまあ、そう怒らないでよ…実は、君に知らせたいことがあってね」
その言葉にベイルはおもむろに振り返る。
彼女の目の前では、黒い笑みを浮かべた青年がいつもにも増して、悪魔のように笑っていた。
「決まったんだよ…作戦決行の日が」
「……いつ?」
「今日だよ」
ベイルは眉を顰める。
「随分と急な展開ね」
「君の失態のせいで彼女の警護が堅くなっても困るからね。それとあの眼つきの悪い付き添いが居ない今のうちに事を運びたいんだよ」
漆黒の髪を無邪気に揺らしながら、そう語るリョウ=ノウ。
軽快にベイルの周囲を歩くその様子はまるで、これからパーティに行く子供のようにも見えた。
「私は失態なんかしていないわ。あんたに言われた通りのことをやったじゃない」
「そう思うんだったら最後の頼みもちゃんと聞いてくれるよね?」
むきになって反論したベイルであったが、そのせいで更なる難題を突き付けられることになる。
「出来るだけ多くの兵士たちを、なるべく遠くに行かせて欲しいんだ。何なら僕の名前を使っても良いからさ」
「は!? そんなの無理よ!」
ベイルは顔を渋らせる。
それも無理はない。
王妃とは言えど、彼女に兵士たちの指揮等は当然管轄外であったからだ。
方々へ根回し等をすれば無理やり動かすことも不可能ではない。
が、今直ぐにと言うのはどう考えても無謀な話であった。
「せ、せめて後2、3日後は…?」
「それこそ無理な話だよ。天候も味方してて僕の駒を隠すには絶好の日和でね…もう早朝には配置済みなんだ」
その手際の良さにベイルの顔が青ざめる。
血の気の引いていく感覚が眩暈を誘う。
今更になって、彼女はこの青年に手を貸してしまったことに後悔する。
「そもそもこれは僕たちの目的のために必要なこと…絶対に失敗は許されないんだからさ…」
失態なんかしないんでしょ。
そう付け足し、リョウ=ノウは不気味に笑う。
不穏な風が吹き荒び、ベイルの汗が流れ落ちる。
「ああ、それともう一つだけ」
「何?」
「そんな嫌な顔しないでよ。大した事じゃないよ…ただ、兵士の服を一つ貰いたいだけだから」
そう言ってもう一度、リョウ=ノウは笑顔を向けた。
*
今日は久しぶりに兄と朝食を取ったわ。
何年振りのことか、とても嬉しくてとても楽しかった。
本当はお義姉様とも一緒に食事をしたかったけど…。
そうすればきっと、昨晩の出来事も水に流せるような気がしたから。
だけど、そう呼びかける勇気は今の私にはなかったの。
でも…それで諦めてしまいたくもない。
お義姉様に言われた酷い言葉は、未だに私の中で突き刺さったままだとしても…。
それでも私にとっては大切な義姉には違いないのだから。
それに、知ってしまったから。
諦めないで頑張ることが、貴方と言う幸福に巡り合わせてくれるということを。
貴方と出会えて本当に良かった。
貴方のお陰で私は何度も救われた。
貴方の言葉は、私の中の突き刺さっている傷をいつも癒してくれるの。
だから、私はずっと貴方の言葉を信じるわ。
信じて待ち続ける。
私も だから。
―――フェイケスへ
貴方を想うエミレスより―――
*
空は相変わらずの暗雲であったが、エミレスの気持ちは晴れやかだった。
食事を終え、いつものように宛先のない手紙を書いた彼女はベッドへと寝転がった。
いつもとは違い、飛び込むように倒れ込む。
ベッドから聞こえてくる軋む音。
身体は僅かに揺れ動き、ドキドキと心臓が高鳴る。
「フェイケス…」
彼女は先ほどの―――兄と久々に昔のように過ごせた喜びを、今一度噛み締めていた。
そして、その感動は全て“彼へ”の感謝へと繋がっていく。
「フェイケス…ありがとう…」
と、エミレスの頬が紅く火照っていく。
思い出す度に溢れ出る感情と熱情に彼女の口元が緩む。
恋は盲目と言う言葉があるが、今の彼女はまさにそれに近い状態であった。
嵐が近付く音にも気付かず、エミレスは自身の唇に触れる。
そして、昨晩の甘美な口付けを思い出し、人知れずそれに酔いしれていた。
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