そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

文字の大きさ
上 下
126 / 325
第二篇 ~乙女には成れない野の花~

54連

しおりを挟む
 









 エミレスはゆっくりとであったが、着実に変わっていった。
 まるで、今までの抑えていた気持ちが爆発したかのように。
 自分の思いをやっと曝け出せるようになったかのように。
 そのおかげか自然と、エミレスに対する噂も消えていった。
 そして、そのことを何より喜んでいたのは国王スティンバルだった。
 彼もまた、エミレスの良くない噂を小耳に挟んでは心を痛めていたのだ。

「―――そうか、エミレスがそんなにも…」
「はい、最近は本当に素晴らしい笑顔を見せるようになりました。それと…今度、国王様、王妃様と是非お食事を取りたいと仰っていました…」
「そうか…」

 謁見の間にて、スティンバルはクレアからエミレスの最近の様子を聞いていたところであった。
 彼は妻からではなく、クレアからエミレスの現状を聞くようになっていた。
 
「それでは、私めはこれで…」
「ああ、引き続き頼む―――それと、護衛に『あまり暴れてくれるな』と言っておいてくれ」
「かしこまりました」

 クレアは微笑みを浮かべながら丁寧に腰を曲げ、それから静かに謁見の間を後にした。
 事の始終を聞いたスティンバルは嬉しそうに口元を緩ませ、そして安堵した吐息を洩らす。

「…食事、か……確かに久々だな。そうか…楽しみだ……」

 言葉からも滲み出ている喜び。
 しかし、そんな彼とは相反するかのように、隣にいたベイルは眉を顰めていた。

「でもあなた…今日も明日も会議があるって―――」
「会議など早く切り上げることも出来る。先延ばしでも構わないだろ」
「でも…でも……」

 そう言って彷徨う視線。
 真っ直ぐに見つめる夫から目を背け、ベイルは重い口を開く。

「貴方はあの子を目の前にして、平気なのですか…?」
「…それはどういう意味だ……」

 彼女も義妹に対し、外見がどうのと気にしているのだろうか。
 と、スティンバルは僅かに眉を顰める。
 だがベイルが気に掛けていたものは、そんな生易しいことではなかった。

「―――だって、その傷は…痛まないの…?」

 彼女の言葉を聞いた途端、スティンバルは顔色を変えた。
 その片眼を大きく開かせ、そして即座に妻を睨みつける。

「以前言ったはずだ、そのことは二度と口にするなと…まだ気にするのか、そんなことを…」

 いつもの冷静さを欠いた、怒りを含ませた国王の声。
 周囲にいた兵士たちも何事かと動揺を隠せずにいる。
 兵士以外にも、この場には何人かの従者もいた。
 彼らは皆、スティンバルの傷の事情を知らない。
 だからこそスティンバルは言葉を選んでおきたかった。

「そんなこと…アレは“そんなこと”で済まされることじゃあないのよ!」

 しかし、感情的になっていくベイルはそうではなかった。
 顔を真っ赤にさせ、甲高い声で夫を睨み返している。
 彼女の荒々しい声が、言ってはいけない言葉を言おうとしているのが、スティンバルには解った。

「私だって傷ついているのに…恐ろしかったのに…あの子が『あの日』どんなことをしたか―――」

 直後。
 皮膚と皮膚が叩く音が室内中に響いた。
 今度はベイルが目を丸くさせ、スティンバルを見つめる。
 ベイルの頬は僅かに紅く腫れ始め、彼女は自身の掌を其処に当てた。
 呆然として、何が起こったか理解出来ないと言った様子でいた。

「すまない」

 スティンバルはしてしまってから、それを後悔した。
 自分の手を見つめながら眉を顰め続ける。

「…だが、口を慎め。そのことについては―――もう忘れろ」

 平静を保ちながらそう言い、彼は玉座から離れる。
 そして「しばし休む」とだけ告げ、スティンバルはその場から一人立ち去った。



 国王が謁見の間から姿を消して間もなく。
 その場で静観していた兵士たちが一斉にどよめき始めた。
 彼らも驚きを隠せなかった。
 何せ、王が王妃に手を挙げたことなど、今まで一度も見たことがなかったからだ。
 珍しい事態に動揺する兵士や従者たちの視線は、自然と王妃へと向けられる。
 それをひしひしと感じたベイルは居ても立っても居られず。
 無言のまま、夫を追うかの如く謁見の間を飛び出て行った。  
 冷静に。平常心を保ちながら。感情を表さないように。
 ベイルは速足で誰も居ない場所を目指した。







  
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

婚約破棄からの断罪カウンター

F.conoe
ファンタジー
冤罪押しつけられたから、それなら、と実現してあげた悪役令嬢。 理論ではなく力押しのカウンター攻撃 効果は抜群か…? (すでに違う婚約破棄ものも投稿していますが、はじめてなんとか書き上げた婚約破棄ものです)

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

私の手からこぼれ落ちるもの

アズやっこ
恋愛
5歳の時、お父様が亡くなった。 優しくて私やお母様を愛してくれたお父様。私達は仲の良い家族だった。 でもそれは偽りだった。 お父様の書斎にあった手記を見た時、お父様の優しさも愛も、それはただの罪滅ぼしだった。 お父様が亡くなり侯爵家は叔父様に奪われた。侯爵家を追い出されたお母様は心を病んだ。 心を病んだお母様を助けたのは私ではなかった。 私の手からこぼれていくもの、そして最後は私もこぼれていく。 こぼれた私を救ってくれる人はいるのかしら… ❈ 作者独自の世界観です。 ❈ 作者独自の設定です。 ❈ ざまぁはありません。

処理中です...