そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

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第二篇 ~乙女には成れない野の花~

26連

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 そうこうとしているうちに彼女はその場所へと辿りついた。
 たった一人の大事な友人と会える場所。
 街の憩いの場、大きくも小さくもない緑豊かな公園。
 しかし、いつもなら待っているはずの笑顔がそこにはない。
 エミレスはゆっくりとその芝生へ近付き、座りこむ。
 冷たい感触が、肌に突き刺さるように当たっていく。
 顔中に流れ落ちていく雫。

「雨…」

 そこでエミレスはようやく嵐となった天候に気付いた。
 時折光る閃光が、程なくして地鳴りのような轟音を呼ぶ。
 揺れる木々からは葉や枝が落ち、歩いている人など誰一人いない。
 嵐の公園内にはエミレスただ独りしか、いなかった。



 きっと今、屋敷へ帰れば全てが丸く収まることだろう。
 リャン=ノウが涙を浮かべながら謝罪し、即座に従者たちがタオルとホットミルクを持ってくる。
 その傍らではリョウ=ノウが苦笑を浮かべていることだろう。

(いつもの光景…)

 だが、エミレスは一向に動こうとしなかった。
 走り続けたことへの疲労感もあったが、それ以上に“もしかしたら”という淡い期待が彼女をそうさせていた。
 笑顔で「風邪引きますよ」と来てくれるかもしれない。
 温かい手を差し伸べてくれるかもしれない。
 そんな思いが、願いがエミレスをその場に留めていた。
 しかし。

(冷たい…寒い…) 

 びしょ濡れの身体は凍え始め、自然と全身が震え始める。
 何度も指先に温かい息を吹きかけるが、その吐息さえ冷たく。
 と、直後に稲光が、撃たれたかのような雷鳴が曇天に轟く。

(こんなの初めて……とても…恐い……)

 孤独故に襲い来る恐怖心。
 けれど、もう少しだけ待ってみたい。
 もう少しだけ。
 もう少し。
 希望を捨てず、エミレスは待ち続ける。
 
(きっと…きっと……)

 だが次第に意識は朦朧となり、何処ともなく遠くを眺め続けていた。
 指先の感覚さえ忘れそうになる。
 と、そんなときだった。


 



「もしかして…アンタが例のお姫様か…?」

 エミレスは閉じかけていた瞼を急ぎ開けた。
 思わずうたた寝しそうになっていたことも忘れ、彼女はその声の方へ見上げた。

(…来てくれた…?)

 そこに居た男性は黒い衣服を纏い、真っ黒な髪を靡かせていた。
 待ち人とは程遠い色だった。

「……あ…」

 エミレスは思わず声が洩れ出た。
 嬉しさからではなく、恐怖から出た声だった。
 震えが一層と強まり、夢の世界から引き離していく。
 意識が鮮明になったところで、その恐怖は更に確実なものへと変えた。
 雷が鳴る。
 辺りが閃光に包まれる中、黒髪の男は鋭い眼光を見せ言った。

「あー…っと、それじゃあ風邪引くだろ…」

 求めていた言葉であったが、これではなかった。
 が、それよりもエミレスは恐怖で竦み上がり、声は全く出なくなる。
 呼吸までもが止まりそうになり、雨雫と共に涙が頬を伝う。
 そうして、エミレスの恐怖心が頂点に達しようとした瞬間。
 男は自身の黒衣のマントを脱いだ。

「ほら…何かあったら困るからな」

 彼はそう言うとそのマントをエミレスの肩に掛けた。
 その温もりが、彼女の恐怖心を少しばかり和らげる。

「色々説明せにゃならんことはあるんだが…面倒だ。とりあえず来い」

 そう言って男は強引にエミレスの腕を掴んだ。
 和らいだ恐怖心が、再度襲い来る。
 何処かへ連れて行こうとしていることしか解らず、抵抗しようにも体は凍り付いたように動かない。

「良いから付いて来いって」

 男にとっても微動だにしないでいるエミレスに、焦りの色が出始めてくる。

「くそっ…!」

 乱暴な言葉と共に聞こえてきた舌打ち。
 それだけでエミレスは肩を震わし、怯える。
 これまでにない程の動揺と恐怖。
 止まらない心臓と呼吸の乱れに、エミレスは意識を失いかける。

(―――でも、こんな思い…前にもしたことがあったような……)

 ふと、冷静にそんなことを思うエミレスだったが、次の瞬間、それらの思想は全て消し飛んだ。

「時間がないんだ。ちょっと乱暴だが文句言うなよ…!」

 そう言った直後、男は座り込んでいたエミレスの身体を強引に抱きかかえた。
 知らない他人の肌が当たる感触。
 間近で聞こえてくる他人の吐息。
 生まれて初めて抱きかかえられた興奮よりも、そうした恐怖の方が勝ってしまい、エミレスは更に思考さえ止めてしまった。
 と、そこで限界が来てしまった。
 
「どうした…おい!」

 エミレスは次々と襲い来る初めての経験に耐え切れず、恐怖心を暴走させる手前で気絶してしまった。
 意識を失った彼女はぐったりとしたまま動かなくなり、男はその事に気付くとため息をつく。

「ったく…面倒くさいお姫様だ…!」








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