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第二篇 ~乙女には成れない野の花~
1連
しおりを挟む暗闇に包まれた屋敷内の一室。
灯りもつけず盤上遊戯を嗜む者がいる。
正方形のマス目に沿って動かす白と黒の駒。
本来は二人で行う対戦遊戯だ。
が、しかし。其処に居る人物の対面に相手はおらず。
独りで白と黒の駒を動かし戯れていた。
「―――チェックメイト」
そう言うとその者は冠が施された瓶ほどの大きさもある黒い駒を動かす。
それを使ってわざと、白い駒を盤上から払い落した。
ゴトと鈍い音を立てて落ちたそれは女神に象られた駒だった。
虚しく転がる駒を眺め、その者は喉の奥を鳴らしていびつに笑う。
「随分と浮かれているな」
突如、室内に入り込む風と低い声。
バルコニーの窓から侵入して来た男が、静かに盤上の傍らへと歩み寄る。
と、入って来た彼の肩が濡れていた。
外では雨が降っていることに、その者は今知った。
「長かったからね…十年前に目をつけてからこれまで―――けど、ようやく時がきたんだ」
そうほくそ笑むと、雨に濡れていた男へ近くに掛けられていた布きれを投げ渡す。
「大した時でもなかったと思うが」
「いや、あったよ…」
その者は椅子から立ち上がり、客人である男へ席を譲る。
と、そのままその者は歩き窓を眺め始める。
「雨は好きなんだ」と彼へ呟いた直後、その者は勢いよく窓を開け放った。
風の流れが変わると同時に、入り込む雨が足場を濡らしていく。
一層と激しくなった音と土の混じった匂いが、静寂だった室内を賑わせる。
直後、暗雲が広がる夜空の彼方で、雷の閃光が輝いた。
「貧弱な雲がこんな雷雲へと育つことと同じ………成長を待つことが如何に長い準備なのか」
そう言ってその人物は男の方へ一瞥する。
と、次の瞬間。
地面を震わす程の雷鳴が轟き、その凄まじさを見せ付けた。
男は思わず顔を顰めてしまい、激しい雷雨から目を逸らす。
片やその人物は、自慢の漆黒色の髪を雨に濡らしながら、高らかに笑っていた。
*
激しかった昨夜の雷雨から一夜明け、今は日が昇り、朝を迎えていた。
淡く輝く太陽は穏やかに建物を、白く染めるように照らしている。
そんな中、朝露結ぶ花壇の前に一人の少女がいた。
色鮮やかに咲き並ぶ花々を眺めながら歩いていた彼女は、とある一本の花へと目を向けた。
周囲の花たちとの競争に負け、日陰者となったのだろうその花は小さく萎れてしまっている。
もう間もなく命を終えようとしている花だった。
少女はその花をそっと両手で包んだ。
「どうか次に生まれ来るときは、幸せでありますように」
そう言って萎れていた花を労わるように摘み取る。
よく見ると彼女の手には既に似たような花が数本、丁寧に握られていた。
「エミレス様!」
少女は呼び声のした方へと顔を向ける。
しゃがんでいた身体をゆっくりと起こし、駆け寄ってくる侍女と思しき女性へと歩み寄る。
「どうしたの?」
少女の碧色の瞳が瞬く。
片や侍女はキョトンとした様子でいる少女へ、困ったような怒ったような顔を見せた。
「どうしたの、ではありません! 今日は週に一回のお茶会の日ですよ!」
侍女はそう言うと少女の腕を強引に掴み、急かす。
エミレス、と呼ばれていた少女は苦笑しつつ、侍女に引っ張られるまま、歩き出していく。
「わかってるわ。そのためのお花を摘んでいたところよ」
「またそのようなものを…私めが後で綺麗な花を摘み直して来ますので、そんな花は捨てて下さい」
エミレスからは後ろ姿しか見えないが、侍女が顔を渋めているだろうことは安易に想像できた。
と、エミレスは足を止める。
「でも…これは“そんな花”なんかじゃないわ…」
絞り出したような声でそう言うと彼女は俯き、表情を曇らせる。
萎れかけた花とはまた別に摘んでおいたという花の束。
侍女はそれを一瞥し、眉を顰める。
エミレスが大事な会に持って行こうとしているその花束は、豪華で優雅な大輪の花々―――と言うよりは素朴で慎ましい野花のような花ばかりであった。
「何故そんな花ばかりをお選びになるのですか…」
「この花たちにだって…良いところも綺麗なところもある…それを知って欲しいから…」
互いに譲ろうとしない沈黙の時間。
暫く立ち止まったままであった二人だが、先に折れたのは侍女の方だった。
ため息交じりに「わかりました」とだけ返す。
それが二人のいつもの顛末でもあった。
「いつも言っていますが、あまり王族らしからぬ行動はおやめ下さい……それに、中庭の手入れは庭師にさせていますのでエミレス様がお手を汚す必要もありません」
再度歩き出しながら、強めの口調でそう告げる侍女。
エミレスは少しだけ間を置いた後。
「わかったわ」
と、だけ言った。
中肉中背にそばかす。
お世辞にも美女とは呼ばれない外見。
丁寧に梳かされた金の髪こそ透き通った美しさを放っているが、赤葡萄色のツーピースに薄緑色のカーディガンが残念なくらいに素朴さを醸し出してしまっている。
そんな、どこにでも居る町娘といった風貌の彼女だが―――それは違う。
彼女は列記とした王家の血筋を受け継ぐ、第三王位継承権者エミレス・ノト・リンクス王女であった。
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