そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

文字の大きさ
上 下
35 / 323
第一篇 ~銀弾でも貫かれない父娘の狼~

33話

しおりを挟む







「大変、アドレーヌが…!」

 そう聞いたのはあの約束の日から三年ほど経った朝だった。
 体の芯まで冷えそうなくらい寒く、そして暗い雲が立ち込めていた日だったことを彼は今でも覚えている。
 このとき、アーサガ8歳、リンダは14歳になった。
 シェラでマスターと共にグラス磨きをしていたアーサガは、リンダのその叫び声にひどく動揺した。
 動揺していないように見ようと思っていても、指先から震え始めていた。
 冷静なふりを見せて、アーサガは尋ねた。

「どうしたんだ…?」
「アドレーヌがいないの! 今日は一緒に闇市に行くって言ってたのに…しかもフルトも一緒に」

 アーサガは更に、全身から血の気が引いていくのを感じた。
 そして、居ても立ってもいられなくなった。
 今手にしているグラスを投げ捨てて、探しに飛んで行きたいほどだった。
 だが、いつも冷静に見せようとする自分のプライドがそうさせてはくれない。
 ましてや、人前ではアドレーヌに素っ気無い態度を見せていたこともあり、中々行動に出ることも出来なかった。
 そんな複雑な思いを募らせている中、都合よくジャスミンが姿を見せた。
 彼女は慌てふためく娘を見つけ、急いで追いかけてきたといった風だった。

「何してんだい、そんなに混乱して…家に弾丸でも乱れ撃たれたのかい?」
「違うのよ! アドレーヌが…!」

 アドレーヌ。
 その言葉を聞くや否や、ジャスミンは眉を顰めた。
 娘から事情を聞かずとも知っているという風で、腕を組んだままどこか遠くを見つめている。
 小さく囁くジャスミンの声が耳に届く事はなかったが、彼女の唇は「あのバカ…」と、動いていた。

「ママ…なんか知ってるの!?」
「ああ、おそらく城に行ったんだよ」
「城!?」

 「捕まったの!?」心配そうにリンダが尋ねる。
 ジャスミンはひどく落ち着いた風でかぶりを振って答えた。

「駆け落ちってもんになるのかね…」
「え…それって」
「どういうことだ?」

 ジャスミンはカウンターに寄りかかると煙草を取り出し咥えた。
 火をつけようとすると、マスターが既にマッチを擦っており、彼女は彼の方へ煙草を持っていく。
 火の灯った煙草は静かに煙を上げていき、彼女は再び口へ触れさせた。
 一息吸った後、勢いよく口から吐かれた煙と共に、言葉も出される。

「この国の王様がこの場所に忍び込んでたみたいでねぇ。でもってアドレーヌに一目惚れしてプロポーズもしたんだとさ。あたしは反対したんだけどアドレーヌは何も言わず弟まで連れて飛び出してったんだ…駆け落ちと言っても良いだろ?」

 彼女はもう一度煙を吐くと、煙草を手にしたまま静かに歩き出しへ元居た部屋へ戻ろうとする。
 と、その前に娘の頭を軽く撫で、そして――。

「言っとくが、連れ戻そうなんて考えはしない方が良い。なんせ向こうは光の場所。あたしたち闇の住人が踏み入れて良いところじゃないんだからね…」

 そう言ってジャスミンは去って行った。
 最後に見せた彼女の背中は、少しもの悲しそうにアーサガは見えた。
 それは、この闇の世界に淡い光をもたらした天使が消えたことを嘆いてなのか。
 はたまた、アドレーヌを娘として想っていた気持ちを裏切られたことによる悲愴か。
 だが、そんなことにアーサガが気づくわけもなかった。
 彼はショックによる動揺で頭の中が真っ白となり、遂に手にしていたグラスを落としてしまったほどであった。
 丁度、ジャスミンが消えた後だったため彼女の鉄拳を喰らわずに済んだのだが。

「嘘だろ…なんで…」
「アーサガ…?」

 同じくショックを受けていたリンダであったが、彼女以上に動揺を見せているアーサガに気付き、顔を覗き込む。
 心配する彼女を後目に、彼は抑えきれなくなった感情を爆発させ、近くにもう一つあったグラスをステージへ投げつけた。

「キャアッ!」
「何をすんだアーサガ!」

 リンダの悲鳴にマスターの怒声。
 しかし、それさえも今のアーサガの耳には届かず。
 彼は顔を顰め、ステージを見つめる。
 大きな音と共に砕け散ったグラスはステージのスポットライトを反射させ、散り散りに輝きを放っていた。
 だが、それでもそのステージは寂しく映って仕方がなかった。

「アーサガ…」

 リンダはアーサガの名を呼んだ。
 が、彼女の声は一向に届かない。
 アーサガは後片付けもせず、シェラを飛び出していった。







しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

婚約破棄され聖女も辞めさせられたので、好きにさせていただきます。

松石 愛弓
恋愛
国を守る聖女で王太子殿下の婚約者であるエミル・ファーナは、ある日突然、婚約破棄と国外追放を言い渡される。 全身全霊をかけて国の平和を祈り続けてきましたが、そういうことなら仕方ないですね。休日も無く、責任重すぎて大変でしたし、王太子殿下は思いやりの無い方ですし、王宮には何の未練もございません。これからは自由にさせていただきます♪

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない

一本橋
恋愛
女子の体操着を盗んだという身に覚えのない罪を着せられ、僕は皆の信頼を失った。 クラスメイトからは日常的に罵倒を浴びせられ、向けられるのは蔑みの目。 さらに、信じていた初恋だった女友達でさえ僕を見限った。 両親からは拒絶され、姉からもいないものと扱われる日々。 ……だが、転機は訪れる。冤罪だった事が明かになったのだ。 それを機に、今まで僕を蔑ろに扱った人達から次々と謝罪の声が。 皆は僕と関係を戻したいみたいだけど、今更仲直りなんてできない。 ※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

もしかして寝てる間にざまぁしました?

ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。 内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。 しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。 私、寝てる間に何かしました?

誰も残らなかった物語

悠十
恋愛
 アリシアはこの国の王太子の婚約者である。  しかし、彼との間には愛は無く、将来この国を共に治める同士であった。  そんなある日、王太子は愛する人を見付けた。  アリシアはそれを支援するために奔走するが、上手くいかず、とうとう冤罪を掛けられた。 「嗚呼、可哀そうに……」  彼女の最後の呟きは、誰に向けてのものだったのか。  その呟きは、誰に聞かれる事も無く、断頭台の露へと消えた。

処理中です...