そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

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第一篇 ~銀弾でも貫かれない父娘の狼~

32話

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 不思議な力。
 唐突な単語に意味が分からないと、アーサガは素直に首を傾げる。
 すると百聞は一見にしかずと、アドレーヌは近くにあった果物を持ってみせた。
 何の変哲もない紅く熟れた至って普通のリンゴ。
 と、次の瞬間。
 突如、彼女の掌にあったリンゴが腐っていった。
 腐った、というよりは焼け焦げて散ったと言った方が良い。
 彼女の手には火もなく熱もない。
 そのはずなのに、そのリンゴは一瞬にして炭のように黒く焦げてしまったのだ。

「あ…」

 初めて目の当たりにした光景にアーサガは驚きよりも、恐怖に似た感情を抱いてしまった。
 しかし。そうだとしても何か声に出さねばと口を開きかけた次の瞬間。
 アドレーヌがもう片手で持っていた真鍮製のティーカップが、突然音を立てて割れてしまった。
 ティーカップからは焼け焦げた臭いが漂い、まるで炎の中に投入した後のように黒ずんでいる。
 入っていたはずの紅茶はいつの間にか無くなっており、ほんの少しの蒸気が上がっていた。

「ごめんね、怪我は―――」

 アドレーヌは壊れた食器に目もくれず、慌ててハンカチを取り出しアーサガへ差し出そうとする。
 だが、当の少年は飛んだ破片によって頬に怪我を負っていることすら気付いておらず。
 見たこともない現象に顔を青ざめさせ、狼狽えてしまっていた。
 そんな彼の様子を見つめ、哀しげな笑みをアドレーヌは浮かべる。

「ごめんなさい。恐い思い、させちゃったわね…」
「! …そ、そんなことない!」

 アーサガは慌てて首を左右に振ると、奪うようにアドレーヌのハンカチを取った。
 彼女は苦笑してみせ、アーサガから遠い椅子へと移動し腰をかけた。
 空いてしまった向かいの席と、そして壊れた食器をアーサガは唇を噛みしめながら眺めた。

「嘘よ。だって私も恐ろしいもの…この力はね、まだジャスミンさんと貴方にしか話してない。怖いからフルトにも言ってないのよ」

 アドレーヌはそう言って、おもむろに自分の掌を眺めていた。
 彼女の真っ白く綺麗な掌を、アーサガも一緒になって見つめた。

「私が触った物はこうやって焼け焦げたり、溶けたりしてしまう……」

 それは例えるならば、見えない炎で焼いているかのようで。
 しかし、炎のように燃えるわけではない。
 ジャスミンからは『収れん発火…太陽光の力だ』と言われたとアドレーヌは話す。

「今でこそ制御が出来るけど、ちょっと前まではどうしようもなくてフルトの手すら握られなかった。この力を見た人は目の色を変えて利用しようとしてきた…だから恐いの。大好きで大切な人たちをこれのせいで傷つけてしまったり、拒絶されたりしないか」

 姉のようで母のようで、アーサガにとって光のような存在であるアドレーヌが見せた闇。
 こんなとき、どんな言葉を投げかければ良いのか、幼いアーサガには解らなかった。
 だが、自分がいつもアドレーヌにされたことをしてあげようと不意に思った。
 アーサガは彼女へ近づき、微かに震えている彼女の手にそっと触れた。
 その手はやはり温かく、繊細で優しいいつもの手だった。

「大丈夫だ、もう恐くねえ。だから、いつもみたいに触ってよ」

 そう言うとアーサガは自分の頬へ、アドレーヌの掌を当てた。
 と、アドレーヌの指先が傷口に当たり、そこでアーサガはようやく頬に怪我を負っていた事に気付いた。
 二人の恐怖や震えは次第に消え去っていき、互いに視線を交えさせ笑っていた。

「…ありがとう、アーサガ」

 アドレーヌが微笑みながらそう言った言葉には、いつも以上の意味があるもののようにアーサガは思えた。
 彼女の瞳から静かに零れ落ちていく涙を、アーサガは今でも忘れていない。




「―――私ね、怖いけどこの力をいつか人のために使ってみたいと思ってるのよ」
「人のために…」
「そう」

 アーサガはおもむろにそう語るアドレーヌを見つめた。
 すっかり置きっぱなしにされていたティーカップの残骸を片付けていたときだった。

「私がもっと上手く力を使えたら、きっとこの世界から兵器や争いをなくせるんじゃないかって…そう思うの」  

 彼女の目はこれまでになくキラキラと輝き、はるか遠くを見つめている。
 アーサガはそんな彼女へ静かに頷き返した。

「うん…俺もそう思う」
「ホント? じゃあ、いつか一緒に世界を変えるために三国を巡りましょうか」
「リンダも?」
「リンダもフルトも一緒に、兵器や争いをなくすため頑張ろうね」

 そう言うとアドレーヌはスカートの裾で手の汚れをふき取り、自身の小指を出した。
 その行動の意図が読めず、初めてのことにどうしたら良いのかわからなかったアーサガ。
 と、アーサガの手を取るとアドレーヌは小指を出して、互いのそれを結んだ。
 心臓が高鳴り、アーサガは上下に揺れる小指だけを眺める。

「絶対に約束よ」

 それはいつも見せている、母親のような慈愛の笑みではなかった。
 無邪気な子供が見せるような純粋な笑顔。
 アーサガはその笑顔を純粋に信じたいと思った。
 これが例え今だけの口約束であったとしても、アーサガはその約束を守り果たしたいと心に誓ったのだ。



 それからのアーサガは、これまで以上にアドレーヌを慕った。
 全てはアドレーヌの笑顔と約束のために―――。
 だがしかし。
 彼のそんなささやかな幸せは、一時だけのものだった。
 三年後、アドレーヌは『シェラ』から姿を消した。 







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