34 / 324
第一篇 ~銀弾でも貫かれない父娘の狼~
32話
しおりを挟む不思議な力。
唐突な単語に意味が分からないと、アーサガは素直に首を傾げる。
すると百聞は一見にしかずと、アドレーヌは近くにあった果物を持ってみせた。
何の変哲もない紅く熟れた至って普通のリンゴ。
と、次の瞬間。
突如、彼女の掌にあったリンゴが腐っていった。
腐った、というよりは焼け焦げて散ったと言った方が良い。
彼女の手には火もなく熱もない。
そのはずなのに、そのリンゴは一瞬にして炭のように黒く焦げてしまったのだ。
「あ…」
初めて目の当たりにした光景にアーサガは驚きよりも、恐怖に似た感情を抱いてしまった。
しかし。そうだとしても何か声に出さねばと口を開きかけた次の瞬間。
アドレーヌがもう片手で持っていた真鍮製のティーカップが、突然音を立てて割れてしまった。
ティーカップからは焼け焦げた臭いが漂い、まるで炎の中に投入した後のように黒ずんでいる。
入っていたはずの紅茶はいつの間にか無くなっており、ほんの少しの蒸気が上がっていた。
「ごめんね、怪我は―――」
アドレーヌは壊れた食器に目もくれず、慌ててハンカチを取り出しアーサガへ差し出そうとする。
だが、当の少年は飛んだ破片によって頬に怪我を負っていることすら気付いておらず。
見たこともない現象に顔を青ざめさせ、狼狽えてしまっていた。
そんな彼の様子を見つめ、哀しげな笑みをアドレーヌは浮かべる。
「ごめんなさい。恐い思い、させちゃったわね…」
「! …そ、そんなことない!」
アーサガは慌てて首を左右に振ると、奪うようにアドレーヌのハンカチを取った。
彼女は苦笑してみせ、アーサガから遠い椅子へと移動し腰をかけた。
空いてしまった向かいの席と、そして壊れた食器をアーサガは唇を噛みしめながら眺めた。
「嘘よ。だって私も恐ろしいもの…この力はね、まだジャスミンさんと貴方にしか話してない。怖いからフルトにも言ってないのよ」
アドレーヌはそう言って、おもむろに自分の掌を眺めていた。
彼女の真っ白く綺麗な掌を、アーサガも一緒になって見つめた。
「私が触った物はこうやって焼け焦げたり、溶けたりしてしまう……」
それは例えるならば、見えない炎で焼いているかのようで。
しかし、炎のように燃えるわけではない。
ジャスミンからは『収れん発火…太陽光の力だ』と言われたとアドレーヌは話す。
「今でこそ制御が出来るけど、ちょっと前まではどうしようもなくてフルトの手すら握られなかった。この力を見た人は目の色を変えて利用しようとしてきた…だから恐いの。大好きで大切な人たちをこれのせいで傷つけてしまったり、拒絶されたりしないか」
姉のようで母のようで、アーサガにとって光のような存在であるアドレーヌが見せた闇。
こんなとき、どんな言葉を投げかければ良いのか、幼いアーサガには解らなかった。
だが、自分がいつもアドレーヌにされたことをしてあげようと不意に思った。
アーサガは彼女へ近づき、微かに震えている彼女の手にそっと触れた。
その手はやはり温かく、繊細で優しいいつもの手だった。
「大丈夫だ、もう恐くねえ。だから、いつもみたいに触ってよ」
そう言うとアーサガは自分の頬へ、アドレーヌの掌を当てた。
と、アドレーヌの指先が傷口に当たり、そこでアーサガはようやく頬に怪我を負っていた事に気付いた。
二人の恐怖や震えは次第に消え去っていき、互いに視線を交えさせ笑っていた。
「…ありがとう、アーサガ」
アドレーヌが微笑みながらそう言った言葉には、いつも以上の意味があるもののようにアーサガは思えた。
彼女の瞳から静かに零れ落ちていく涙を、アーサガは今でも忘れていない。
「―――私ね、怖いけどこの力をいつか人のために使ってみたいと思ってるのよ」
「人のために…」
「そう」
アーサガはおもむろにそう語るアドレーヌを見つめた。
すっかり置きっぱなしにされていたティーカップの残骸を片付けていたときだった。
「私がもっと上手く力を使えたら、きっとこの世界から兵器や争いをなくせるんじゃないかって…そう思うの」
彼女の目はこれまでになくキラキラと輝き、はるか遠くを見つめている。
アーサガはそんな彼女へ静かに頷き返した。
「うん…俺もそう思う」
「ホント? じゃあ、いつか一緒に世界を変えるために三国を巡りましょうか」
「リンダも?」
「リンダもフルトも一緒に、兵器や争いをなくすため頑張ろうね」
そう言うとアドレーヌはスカートの裾で手の汚れをふき取り、自身の小指を出した。
その行動の意図が読めず、初めてのことにどうしたら良いのかわからなかったアーサガ。
と、アーサガの手を取るとアドレーヌは小指を出して、互いのそれを結んだ。
心臓が高鳴り、アーサガは上下に揺れる小指だけを眺める。
「絶対に約束よ」
それはいつも見せている、母親のような慈愛の笑みではなかった。
無邪気な子供が見せるような純粋な笑顔。
アーサガはその笑顔を純粋に信じたいと思った。
これが例え今だけの口約束であったとしても、アーサガはその約束を守り果たしたいと心に誓ったのだ。
それからのアーサガは、これまで以上にアドレーヌを慕った。
全てはアドレーヌの笑顔と約束のために―――。
だがしかし。
彼のそんなささやかな幸せは、一時だけのものだった。
三年後、アドレーヌは『シェラ』から姿を消した。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説


婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています

『伯爵令嬢 爆死する』
三木谷夜宵
ファンタジー
王立学園の中庭で、ひとりの伯爵令嬢が死んだ。彼女は婚約者である侯爵令息から婚約解消を求められた。しかし、令嬢はそれに反発した。そんな彼女を、令息は魔術で爆死させてしまったのである。
その後、大陸一のゴシップ誌が伯爵令嬢が日頃から受けていた仕打ちを暴露するのであった。
カクヨムでも公開しています。

女神様、もっと早く祝福が欲しかった。
しゃーりん
ファンタジー
アルーサル王国には、女神様からの祝福を授かる者がいる。…ごくたまに。
今回、授かったのは6歳の王女であり、血縁の判定ができる魔力だった。
女神様は国に役立つ魔力を授けてくれる。ということは、血縁が乱れてるってことか?
一人の倫理観が異常な男によって、国中の貴族が混乱するお話です。ご注意下さい。

過程をすっ飛ばすことにしました
こうやさい
ファンタジー
ある日、前世の乙女ゲームの中に悪役令嬢として転生したことに気づいたけど、ここどう考えても生活しづらい。
どうせざまぁされて追放されるわけだし、過程すっ飛ばしてもよくね?
そのいろいろが重要なんだろうと思いつつそれもすっ飛ばしました(爆)。
深く考えないでください。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
覚悟は良いですか、お父様? ―虐げられた娘はお家乗っ取りを企んだ婿の父とその愛人の娘である異母妹をまとめて追い出す―
Erin
恋愛
【完結済・全3話】伯爵令嬢のカメリアは母が死んだ直後に、父が屋敷に連れ込んだ愛人とその子に虐げられていた。その挙句、カメリアが十六歳の成人後に継ぐ予定の伯爵家から追い出し、伯爵家の血を一滴も引かない異母妹に継がせると言い出す。後を継がないカメリアには嗜虐趣味のある男に嫁がられることになった。絶対に父たちの言いなりになりたくないカメリアは家を出て復讐することにした。7/6に最終話投稿予定。
婚約破棄からの断罪カウンター
F.conoe
ファンタジー
冤罪押しつけられたから、それなら、と実現してあげた悪役令嬢。
理論ではなく力押しのカウンター攻撃
効果は抜群か…?
(すでに違う婚約破棄ものも投稿していますが、はじめてなんとか書き上げた婚約破棄ものです)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる