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第一篇 ~銀弾でも貫かれない父娘の狼~
30話
しおりを挟む「良い歌でしょ? あのお姉さん一人で作ったんだって! すごいよね」
少年の心の中に、少女の言葉は全く以って入ってはいなかった。
衝撃にも近い彼女の歌によって、幼い少年の心は、その歌に飲み込まれていったのだ。
当の歌姫はと言うと、その空間とは不似合いな拍手を受け、恥じらいに頬を紅くさせながらステージを降りていた。
此処がもっとちゃんとした表舞台だったならば、彼女はもっと素晴らしい拍手を浴びていただろう。
だからこそ、少年は残念に思えてならなかった。
「見て、お姉ちゃん」
「どうしたの?」
歌い終わったばかりの彼女の傍へ、同じ年頃の少年が近づいた。
彼女の裾を掴む少年は、観客であった少年少女の方を指差す。
指された少年は彼女を「お姉ちゃん」と呼ぶ彼への不快感と羨ましさを抱き、無意識に顔を顰めさせてしまう。
と、歌姫たちが突如ゆっくりとカウンターへ歩み寄って来た。
少年少女の傍へとやって来た歌姫は穏やかな笑みを浮かべた。
「こんにちは。貴方達もこの酒場で働いてるの?」
「こっちはそうだけど、私はお母さんのお手伝いです。名前はリンダ。そしてこっちが―――」
「アーサガ…」
女性は二人を一瞥した後、その幼い頭を優しく撫でた。
「こんなところで…偉いのね」
このような行為をされたらば、いつもなら不服とばかりに牙を向けていた少年―――アーサガであったが、このときばかりは彼女の優しい声色と手のぬくもりに俯くことしか出来なかった。
アーサガは少年らしい澄んだ双眸で、静かに歌姫を見上げた。
「僕はフルト。よろしく、アーサガ!」
と、無邪気な顔をした少年が彼女の横からひょっこりと現れ、アーサガに向けて手を差し伸べた。
そこで我に返ったアーサガは、いつもと同じむっつり顔に戻り、思わず女性の手を跳ね除け目を逸らした。
しかし、少年の態度に怒りを見せるどころか、笑顔を浮かべ、彼女は自身の手を胸へと当てた。
「私も自己紹介しないとね。私は―――」
「何やってんだい、アドレーヌ!」
怒声にも近い、遠くから聞こえてきたその声によって、夢の様な時間は終わりを告げた。
歌姫の背後から現れた中年の女性の声に気付くと、歌姫は慌てたように振り返った。
「あ、お母さん!」
「おやリンダ。こんなとこにいたのかい?」
アドレーヌと呼ばれた彼女が急ぎ返事をしようとするよりも早く、リンダが大きな声を上げた。
彼女は席を立ち、母と呼んだその女性へ駆け寄った。
リンダの表情は歌を聴いていたとき以上の喜びに満ちており、幸せいっぱいという様子で母に抱きついた。
愛娘の愛くるしい抱擁に、中年女性もつられて笑みを零す。
が、目の前の歌姫―――アドレーヌへと向ける態度は先ほどと変わらず、冷淡そのものだった。
「ジャスミンさん…その、弟がどうしても同年代のこの子達とお話してみたいと言ったので…」
「いや別に大した用事じゃないんだよ。あんたの歌が期待以上だったからこれからも此処で歌って貰おうかって伝えたかっただけだからね」
「本当ですか…ありがとうございます」
アドレーヌははにかみながらそう言うと、静かに腰を折り曲げた。
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