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本編 魔族のギーディは裏切らない
六話
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ギーディが自宅の新聞で読んだ魔王復活の報せから、一年が過ぎ、討伐隊はようやく、魔王がいるという廃城を特定し辿り着いた。
霊山の事件が魔道士ケイを突き動かしたらしく、彼は半年かけて瘴気を払う魔道具を発明した。それを全員に持たせ絶対に手放すなと強く言った。
魔王のいる廃城周辺は瘴気が濃い。それを人体に影響ない程度まで薄める、膜のようなものを発生させるペンダント型の道具だ。若き魔道士の才能がとどまるところを知らない。
ギーディは感心しながら受け取ったのだが、ケイはなぜかギーディに対して一番よく言い聞かせた。
わかったと頷いても必要性をその口できちんと説明しろとまで言われたのは解せない。小さな子どもにするような態度だったが、ケイの目がちょっと怯える程度に真剣だったのでギーディはおとなしく年下の魔道士に従い、神妙な態度で彼の望む言葉を復唱した。
廃城へ侵入する前日、一行は野営の準備を終え、火を囲んで食事をとった。
侵入すれば次はいつまともに食事をとれるかわからない。全員、それをよく理解していた。あたたかいシチューを食べながら、ギーディもシチューのありがたさをしっかり噛み締めた。
今夜に限りメンバー間であまり会話はないが、ギーディは彼らの顔がどこか落ち着き、和やかであることに気付いていた。旅の当初は夕飯時も無駄に騒がしく、なにか問題があれば厳しく不安そうな顔をしていた若者たちは、すっかり大人びている。
だが、果たしてそれは良いことなのだろうか。
翌朝から我が身がどうなるか、誰にもわからない。二度と互いが会うこともない可能性だって十分にある。
だからギーディも含め、この討伐が終わったら全員望む褒美がもらえる。
褒美など。──それにいったい、どれほどの価値があるだろう?
あたたかいシチューを食べることも、ギーディが待ち遠しい我が家のベッドも、彼らのやりたいあらゆる願いも、命あってはじめて叶う。生きて帰りたい。誰だって、できるなら命に危機になんてはなからあいたくない。
「…おい」
ナナルに声をかけられ、ギーディは顔を上げた。
「明日は、…」
「……」
爽やかな勇者と謳われた彼は、この一年でさらに男らしさと腕に磨きをかけた。女性受けするだけの男というより、老若男女すべてを魅力するような美しさと鋭さ、なによりも強さを得た。
ギーディはナナルの精悍な顔を眺めた。
ギーディよりも若い彼は、戦いの最中に限って言えば最高の相棒だった。闘技場での試合以来、それはさらに増した。誰よりもうまく連携が取れ、次にどん動きをするか、どんな意図があるか、なにを望むか、言葉がなくてもすぐに理解できた。ギーディは戦闘中、ナナルを最も信頼した。
とは言え日常生活では前と大差ない。
会話を諦めた無言のギーディに、苛立ちながらもナナルはいろいろと言ってくるばかりだ。
宿屋でギーディがやらかした「治療」があってからは、もっと飯を食えだの、身だしなみに気をつけろだの、ちゃんと寝てから戦えだの、言うことがやや保護者じみているが。気を使われている。くすぐったい気持ちで、ギーディはそれらの指示にいやがらず従った。ナナルの言うことは、どれもこれももっともな、まっとうなことだったのだ。
そんな彼が、どこか居心地悪そうに口ごもっている。ギーディはそれを座ったまま黙し、待った。
ナナルの青い目がそわそわとうろつく。
あの「治療」の翌朝でも落ち着いていた彼が、だ。
「そ、……その」
「……」
唐突に美しい空が見たいと、ギーディは思った。
今いる場所のように、瘴気の濃い場所では厚い雲が空を覆い常に薄暗い。ここ数日、抜けるような青空を見ていない。
よく晴れた草原に寝転んで、気の済むまで昼寝をしたい。
自国の王にベッドを頼むよりも、これはよほど良いように思える。草の匂いをかぎながら、あたたかい日差しを浴びてうたた寝をして、そのままとろけるように眠りたい。
──なんて素晴らしいアイデアだろう。
「俺がさせないからな」
「え?」
想像に思考をとられていたギーディは、ナナルの言葉にハッとした。
もう一度しっかり見たナナルは、はっきりとギーディへ目を向けていた。
「何があってもおまえを魔王にはやらない」
なんと答えればいい?
今までほとんどを無言で対応してきたギーディは、うろたえた。
させない、やらないと言われたが、ナナルに庇われずとも戦える。ギーディは決して弱くない。ナナルはそれを知っているはずだ。もしやまだ土壇場で裏切ると思われているのか。考え、ギーディは否定する。さすがに思われてはいないだろう。………たぶん。そうだといい。
魔王に寝返るような出来事も、今まで特に無かった。
これまでを思い返すがギーディに思い当たることはない。何度か魔王の手先の、それも魔族に「ともにお前の国を滅ぼさないか」「そいつらと一緒でいいのか」「満足しているのか」「魔王様なら望みを叶えてくれる」などなど言われたが、ギーディはいつも返事はしなかった。無言のまま彼らの誘いを斬り捨てた。
望みを叶えるのは自国の王が約束してくれた。それに、大勢に嫌われている魔王にわざわざつくような理由もない。ただでさえ嫌われているのに、これ以上嫌われる理由を作るなどばかげている。
治癒師ジャムには「あなたはいいの?」と尋ねられたが、そのたびに「全く構わない」とはっきり答えた。人間の敵が現れても、それだけでジャムたちはあちらへつかないだろうと、そう続けると「確かに」と頷かれた。
ナナルはギーディからの返事を聞かないまま、踵を返した。
遠退く背中を唖然と見送る。いつの間にか隣にスーダが座っていた。
「……」
「……」
スーダは無言のまま、ギーディの膝の上に薬草を置いた。そのあとノグリーにばしんと背を叩かれ、ジャムとミレナに魔族用の聖水を渡され、ムーとイルティエには肩を叩かれ、ケイにはペンダントは持ったかと再確認された。
やがてみな、明日に備えて体を休めた。
廃城での戦いは苛烈を極めた。
魔王に堕ちた魔道士や剣士、死霊や屍人兵、狂った魔獣らが、次々と討伐隊へ襲いかかり、みな少しずつ疲弊していった。魔王のいる廃城奥に到着した頃には、全員の装備も気力もギリギリだった。
扉を開け、魔王のいる室内に押し入る。途端にあふれる瘴気に、ギーディすら顔を歪める。人間である他の仲間は、息をするのも苦しいはずだが、気丈にも全員が武器を構えていた。
魔王は、体のほとんどが腐ってしまった魔族だった。もはや彼は生者ではない。
かつては美しかったであろう顔は爛れ、見る影もない。おぞましい憎悪の叫びを上げながら、ボロボロの剣を構えてギーディたちに飛びかかってきた。ギーディは彼の憎悪が、遥か昔に起きた人と魔族間の領土争いであることを、狂ったような言動からなんとか汲み取った。
いわく、大切な家族を友を師を奪われた。
己の尊厳を踏みにじられた。
憎んでも憎みきれぬ、死んでも死にきれぬ。
この世界の誰もを殺し尽くさねば己の恨みは晴れないのだと。
「あぁ、おまえ…魔族じゃあないか」
そして魔王は、やはりギーディに声をかけた。同情と慈愛に満ちた声色で、ギーディを愛しい相手のように見つめる。視界の端で、いつの間にか分断された仲間たちがハッとした顔でギーディを見た。
「人間に囲まれ蔑まれ利用され、あぁ、なんとかわいそうなことだろう。同胞よ、私とともに人間を殺そう。殺して殺して、私達の世界を作ろう。人間など、ひ弱で愚かで、高潔な私達が関わる価値もない! さあ、こちらへおいで! 私とともに、家族になろう!!」
「断る」
ギーディは間髪入れずにきっぱりと言った。
は? と声をもらした魔王の様子はいっそ滑稽で、ギーディはつい失笑した。
彼は確かに憎しみを抱いてもいい境遇だろう。哀れな立場なのだろう。
だとしても、ギーディにはそんなことまったく関係がない。
魔族のギーディが望むのは、世界の滅亡でも、人間を殺すことでも、魔王と家族に仲間になることなどでもない。ただ、愛する我が家に帰って寝たいだけなのだ。魔王の言うことには何一つ魅力がない。
魔王が魔族だからなんだというのだ。彼の悲しみは過去のもの、彼の憎しみは彼を害したものへ向けるべきなのだ。現代を生きるギーディに、なんの関わりがあろうか。
ギーディには愛する両親がすでにいる。今後の安泰はたぶん自国の王が都合をつける。魔王が復活した時点でギーディの平穏はぶち壊されたのだから、そもそも復活などしてほしくもなかった。遠い親戚の親父が管を巻くのに、若者を巻き込むな。
「俺はお前の過去になど、毛ほども興味がない」
ほとんど死体の彼に願うとすれば、墓に入っておとなしく眠ってもらうことだけだ。
安眠はどんな幸福にも勝る素晴らしいことを是非実感してほしい。
勧誘に失敗した魔王は、みるみるうちに怒り狂い、ギーディへ刃を向けた。あっという間に周辺を魔王の眷属が取り囲み、息もつかせぬほどに襲いかかる。ここまで来るのに、他と同じく疲弊していたギーディは、その猛攻にどうにか耐えたが、形勢は徐々に悪化していった。
重たい一撃をいなし、かわし、息が切れていく。
時間の問題か。このままではいくらも持たずに自分は殺されてしまうだろう。
ああ、クソ。
なんてこった。こんなことなら、──さっさとナナルと試合について話しておけばよかった。もっと道中、手合わせをしたかった。酒でも飲みながら、剣について語らいたかった。あんなに強い剣士は他に見たこともない。だというのに、なんてもったいないことをしたのだろう。
ギーディの胸にわく後悔は、自宅のベッドではなく出会い頭に嫌悪の目を向けてきた隊長であった。
「ギーディ!!」
ガツン、と音がしてギーディはハッと顔を上げた。
魔王の振り下ろした剣を防いでいるのは、ナナルの剣であった。疲れ切っているにも関わらず、彼の剣は力強く魔王を押し返した。
「こいつはやらん! 俺たちの仲間だ!」
ナナルの声だった。
「忌々しい人間め! いつか、貴様らがしたことを恨んだ魔族に、手ひどく裏切られ痛い目を──」
「うるせえ、ギーディは裏切らない!!」
魔王の言葉を遮り、彼は吠えた。
輝く青い目が振り返り、呆然とするギーディを睨んだ。そこに嫌悪はなく、怒りと激励があった。驚きに目をみはるギーディに、ナナルは口を開いて再び叫ぶ。
「立てギーディ! まだやれるだろう! お前、それでも魔族か!?」
「──」
ギーディは思わず顔を綻ばせ、力の入らない足を叱咤して、ナナルの後ろに立った。
そうだ、そうとも。
ひ弱は種族の人間と比べて、ギーディは秀でた能力を持つ魔族だ。愛する両親が彼にくれたかけがえのない財産。こんな、ちょっとの疲れごときで、へなへな座っているなんて魔族が廃る。愛する両親に笑われてしまう。
背後から寄ってきた眷属をスーダの矢が打ち抜き、ケイの魔法が敵を拘束し、ジャムの治癒が瘴気を払った。
ギーディは剣の柄を握り、体内の魔力を巡らせる。
まだ戦える。やれる。だって周囲には信頼できる仲間がいて、彼らはナナルと同じように、魔族のギーディを信じている。立ち上がり、彼らとともに魔王を打ちのめす。
まったく、俺は本当に──魔族でよかった。
ギーディは幾度も思ったことをまた思い、笑みをこぼした。
霊山の事件が魔道士ケイを突き動かしたらしく、彼は半年かけて瘴気を払う魔道具を発明した。それを全員に持たせ絶対に手放すなと強く言った。
魔王のいる廃城周辺は瘴気が濃い。それを人体に影響ない程度まで薄める、膜のようなものを発生させるペンダント型の道具だ。若き魔道士の才能がとどまるところを知らない。
ギーディは感心しながら受け取ったのだが、ケイはなぜかギーディに対して一番よく言い聞かせた。
わかったと頷いても必要性をその口できちんと説明しろとまで言われたのは解せない。小さな子どもにするような態度だったが、ケイの目がちょっと怯える程度に真剣だったのでギーディはおとなしく年下の魔道士に従い、神妙な態度で彼の望む言葉を復唱した。
廃城へ侵入する前日、一行は野営の準備を終え、火を囲んで食事をとった。
侵入すれば次はいつまともに食事をとれるかわからない。全員、それをよく理解していた。あたたかいシチューを食べながら、ギーディもシチューのありがたさをしっかり噛み締めた。
今夜に限りメンバー間であまり会話はないが、ギーディは彼らの顔がどこか落ち着き、和やかであることに気付いていた。旅の当初は夕飯時も無駄に騒がしく、なにか問題があれば厳しく不安そうな顔をしていた若者たちは、すっかり大人びている。
だが、果たしてそれは良いことなのだろうか。
翌朝から我が身がどうなるか、誰にもわからない。二度と互いが会うこともない可能性だって十分にある。
だからギーディも含め、この討伐が終わったら全員望む褒美がもらえる。
褒美など。──それにいったい、どれほどの価値があるだろう?
あたたかいシチューを食べることも、ギーディが待ち遠しい我が家のベッドも、彼らのやりたいあらゆる願いも、命あってはじめて叶う。生きて帰りたい。誰だって、できるなら命に危機になんてはなからあいたくない。
「…おい」
ナナルに声をかけられ、ギーディは顔を上げた。
「明日は、…」
「……」
爽やかな勇者と謳われた彼は、この一年でさらに男らしさと腕に磨きをかけた。女性受けするだけの男というより、老若男女すべてを魅力するような美しさと鋭さ、なによりも強さを得た。
ギーディはナナルの精悍な顔を眺めた。
ギーディよりも若い彼は、戦いの最中に限って言えば最高の相棒だった。闘技場での試合以来、それはさらに増した。誰よりもうまく連携が取れ、次にどん動きをするか、どんな意図があるか、なにを望むか、言葉がなくてもすぐに理解できた。ギーディは戦闘中、ナナルを最も信頼した。
とは言え日常生活では前と大差ない。
会話を諦めた無言のギーディに、苛立ちながらもナナルはいろいろと言ってくるばかりだ。
宿屋でギーディがやらかした「治療」があってからは、もっと飯を食えだの、身だしなみに気をつけろだの、ちゃんと寝てから戦えだの、言うことがやや保護者じみているが。気を使われている。くすぐったい気持ちで、ギーディはそれらの指示にいやがらず従った。ナナルの言うことは、どれもこれももっともな、まっとうなことだったのだ。
そんな彼が、どこか居心地悪そうに口ごもっている。ギーディはそれを座ったまま黙し、待った。
ナナルの青い目がそわそわとうろつく。
あの「治療」の翌朝でも落ち着いていた彼が、だ。
「そ、……その」
「……」
唐突に美しい空が見たいと、ギーディは思った。
今いる場所のように、瘴気の濃い場所では厚い雲が空を覆い常に薄暗い。ここ数日、抜けるような青空を見ていない。
よく晴れた草原に寝転んで、気の済むまで昼寝をしたい。
自国の王にベッドを頼むよりも、これはよほど良いように思える。草の匂いをかぎながら、あたたかい日差しを浴びてうたた寝をして、そのままとろけるように眠りたい。
──なんて素晴らしいアイデアだろう。
「俺がさせないからな」
「え?」
想像に思考をとられていたギーディは、ナナルの言葉にハッとした。
もう一度しっかり見たナナルは、はっきりとギーディへ目を向けていた。
「何があってもおまえを魔王にはやらない」
なんと答えればいい?
今までほとんどを無言で対応してきたギーディは、うろたえた。
させない、やらないと言われたが、ナナルに庇われずとも戦える。ギーディは決して弱くない。ナナルはそれを知っているはずだ。もしやまだ土壇場で裏切ると思われているのか。考え、ギーディは否定する。さすがに思われてはいないだろう。………たぶん。そうだといい。
魔王に寝返るような出来事も、今まで特に無かった。
これまでを思い返すがギーディに思い当たることはない。何度か魔王の手先の、それも魔族に「ともにお前の国を滅ぼさないか」「そいつらと一緒でいいのか」「満足しているのか」「魔王様なら望みを叶えてくれる」などなど言われたが、ギーディはいつも返事はしなかった。無言のまま彼らの誘いを斬り捨てた。
望みを叶えるのは自国の王が約束してくれた。それに、大勢に嫌われている魔王にわざわざつくような理由もない。ただでさえ嫌われているのに、これ以上嫌われる理由を作るなどばかげている。
治癒師ジャムには「あなたはいいの?」と尋ねられたが、そのたびに「全く構わない」とはっきり答えた。人間の敵が現れても、それだけでジャムたちはあちらへつかないだろうと、そう続けると「確かに」と頷かれた。
ナナルはギーディからの返事を聞かないまま、踵を返した。
遠退く背中を唖然と見送る。いつの間にか隣にスーダが座っていた。
「……」
「……」
スーダは無言のまま、ギーディの膝の上に薬草を置いた。そのあとノグリーにばしんと背を叩かれ、ジャムとミレナに魔族用の聖水を渡され、ムーとイルティエには肩を叩かれ、ケイにはペンダントは持ったかと再確認された。
やがてみな、明日に備えて体を休めた。
廃城での戦いは苛烈を極めた。
魔王に堕ちた魔道士や剣士、死霊や屍人兵、狂った魔獣らが、次々と討伐隊へ襲いかかり、みな少しずつ疲弊していった。魔王のいる廃城奥に到着した頃には、全員の装備も気力もギリギリだった。
扉を開け、魔王のいる室内に押し入る。途端にあふれる瘴気に、ギーディすら顔を歪める。人間である他の仲間は、息をするのも苦しいはずだが、気丈にも全員が武器を構えていた。
魔王は、体のほとんどが腐ってしまった魔族だった。もはや彼は生者ではない。
かつては美しかったであろう顔は爛れ、見る影もない。おぞましい憎悪の叫びを上げながら、ボロボロの剣を構えてギーディたちに飛びかかってきた。ギーディは彼の憎悪が、遥か昔に起きた人と魔族間の領土争いであることを、狂ったような言動からなんとか汲み取った。
いわく、大切な家族を友を師を奪われた。
己の尊厳を踏みにじられた。
憎んでも憎みきれぬ、死んでも死にきれぬ。
この世界の誰もを殺し尽くさねば己の恨みは晴れないのだと。
「あぁ、おまえ…魔族じゃあないか」
そして魔王は、やはりギーディに声をかけた。同情と慈愛に満ちた声色で、ギーディを愛しい相手のように見つめる。視界の端で、いつの間にか分断された仲間たちがハッとした顔でギーディを見た。
「人間に囲まれ蔑まれ利用され、あぁ、なんとかわいそうなことだろう。同胞よ、私とともに人間を殺そう。殺して殺して、私達の世界を作ろう。人間など、ひ弱で愚かで、高潔な私達が関わる価値もない! さあ、こちらへおいで! 私とともに、家族になろう!!」
「断る」
ギーディは間髪入れずにきっぱりと言った。
は? と声をもらした魔王の様子はいっそ滑稽で、ギーディはつい失笑した。
彼は確かに憎しみを抱いてもいい境遇だろう。哀れな立場なのだろう。
だとしても、ギーディにはそんなことまったく関係がない。
魔族のギーディが望むのは、世界の滅亡でも、人間を殺すことでも、魔王と家族に仲間になることなどでもない。ただ、愛する我が家に帰って寝たいだけなのだ。魔王の言うことには何一つ魅力がない。
魔王が魔族だからなんだというのだ。彼の悲しみは過去のもの、彼の憎しみは彼を害したものへ向けるべきなのだ。現代を生きるギーディに、なんの関わりがあろうか。
ギーディには愛する両親がすでにいる。今後の安泰はたぶん自国の王が都合をつける。魔王が復活した時点でギーディの平穏はぶち壊されたのだから、そもそも復活などしてほしくもなかった。遠い親戚の親父が管を巻くのに、若者を巻き込むな。
「俺はお前の過去になど、毛ほども興味がない」
ほとんど死体の彼に願うとすれば、墓に入っておとなしく眠ってもらうことだけだ。
安眠はどんな幸福にも勝る素晴らしいことを是非実感してほしい。
勧誘に失敗した魔王は、みるみるうちに怒り狂い、ギーディへ刃を向けた。あっという間に周辺を魔王の眷属が取り囲み、息もつかせぬほどに襲いかかる。ここまで来るのに、他と同じく疲弊していたギーディは、その猛攻にどうにか耐えたが、形勢は徐々に悪化していった。
重たい一撃をいなし、かわし、息が切れていく。
時間の問題か。このままではいくらも持たずに自分は殺されてしまうだろう。
ああ、クソ。
なんてこった。こんなことなら、──さっさとナナルと試合について話しておけばよかった。もっと道中、手合わせをしたかった。酒でも飲みながら、剣について語らいたかった。あんなに強い剣士は他に見たこともない。だというのに、なんてもったいないことをしたのだろう。
ギーディの胸にわく後悔は、自宅のベッドではなく出会い頭に嫌悪の目を向けてきた隊長であった。
「ギーディ!!」
ガツン、と音がしてギーディはハッと顔を上げた。
魔王の振り下ろした剣を防いでいるのは、ナナルの剣であった。疲れ切っているにも関わらず、彼の剣は力強く魔王を押し返した。
「こいつはやらん! 俺たちの仲間だ!」
ナナルの声だった。
「忌々しい人間め! いつか、貴様らがしたことを恨んだ魔族に、手ひどく裏切られ痛い目を──」
「うるせえ、ギーディは裏切らない!!」
魔王の言葉を遮り、彼は吠えた。
輝く青い目が振り返り、呆然とするギーディを睨んだ。そこに嫌悪はなく、怒りと激励があった。驚きに目をみはるギーディに、ナナルは口を開いて再び叫ぶ。
「立てギーディ! まだやれるだろう! お前、それでも魔族か!?」
「──」
ギーディは思わず顔を綻ばせ、力の入らない足を叱咤して、ナナルの後ろに立った。
そうだ、そうとも。
ひ弱は種族の人間と比べて、ギーディは秀でた能力を持つ魔族だ。愛する両親が彼にくれたかけがえのない財産。こんな、ちょっとの疲れごときで、へなへな座っているなんて魔族が廃る。愛する両親に笑われてしまう。
背後から寄ってきた眷属をスーダの矢が打ち抜き、ケイの魔法が敵を拘束し、ジャムの治癒が瘴気を払った。
ギーディは剣の柄を握り、体内の魔力を巡らせる。
まだ戦える。やれる。だって周囲には信頼できる仲間がいて、彼らはナナルと同じように、魔族のギーディを信じている。立ち上がり、彼らとともに魔王を打ちのめす。
まったく、俺は本当に──魔族でよかった。
ギーディは幾度も思ったことをまた思い、笑みをこぼした。
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