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番外 —或いは蛇足でもある神の気まぐれ—
結/きせきのはなし
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十年も経った今でも、たまに夢に見る事がある。美咲が消えてしまった日の事を。
私に、もっと出来る事はなかったんだろうか。
美咲があれだけ私のために頑張ってくれたのに、私は何も返せてないんじゃないだろうか。
……それで、あの子は本当に満足して逝けたのだろうか。
——ふと、目が覚めた。
暗い、実家の寝室。隣からは大人しい寝息が聞こえる。
見ると、真璃がこちらに身を寄せるようにして眠りについていた。
そんな彼女を起こさないように慎重に体を動かし、ベッドのすぐ脇にあるナイトテーブルに手を伸ばす。
その上に置いてあるスマホを手に取って時間を確認すると、まだ四時だった。
静かに息を吐いて、スマホを戻す。
そのまま体を戻し、再び真璃の方を見た。
昔は可愛いかったのになぁ。なんて事を思う。
……すごく誤解を招くような事を思ったが、今は可愛くなくなったと言っているわけではない。
なんというか、真璃はこの十年で、『可愛い』ではなく『美しい』に進化したというか。簡単に言うと、とても美人になった。
分かるだろうか、この違いが。綺麗な女性と可愛い女性の違いが。
まぁ、私はどんな真璃も勿論好きだけど。
なんて特にとりとめもない事を頭の中で論じていると、急に彼女の目がぱちっと開いた。
真璃の寝顔を見つめていた私は、必然的にその瞳と視線を合わせる事になる。
「……また眠れないの?」
そう聞いてくる真璃は、心配そうな目を私に向けていた。
「んー……。目、覚めちゃった」
真璃が『また』と言うのは、最近私がよく夜中に目を覚ますから。
何故か分からないが、最近はずっとこんな感じで、美咲の事を思い出して夜中に起きてしまう、といった現象が続いていた。
もしかして、美咲が何か未練を私に訴えているんじゃないか、と悪い想像をしてしまう。
「おいで」
そんな時、真璃はいつもそう言って手を広げてくる。
昔の私だったらどぎまぎしてしまうような状況だが、十年も経った今では、素直にその腕に収まりに行くようになった。
真璃の腕の中に抱かれながら、その匂いを吸い込むと、安心して眠れるようになる。
今日もまた、少しずつ睡魔が襲ってきた……、のだが、急に部屋に鳴り響いたスマホの着信音に、私はまどろみの中から引き戻され、完全に意識が覚醒した。
「こんな時間に……、誰だろ」
真璃と顔を見合わせて、スマホを手に取る。
画面を見ると、『萌姉』の文字。
萌姉?
何かあったんだろうか、と思いながら、私は通話ボタンを押してスマホを耳に当てた。
「もしもし? どうしたの、萌姉」
聞いた私の耳に、電話の向こうから大きな声が消えてくる。
「みぃちゃん、大変! 病院の桜の花、枯れちゃってる!」
「……え?」
◆ ◆ ◆ ◆
真璃に車を出してもらって病院に着くと、入り口ではナース服姿の萌姉が待っていた。
「今日、あたし夜勤だったんだけど、見回りしてたら、中庭がいつもより妙に暗くて。よく見てみたら、花が全然無かったの」
慌てたように言う萌姉は、私達を先導してまだ薄暗い病院の廊下を懐中電灯を片手に歩いて行く。
そして私も、気が気ではなかった。
だって、あの桜はあの子の……、美咲が確かにあそこに存在していたという、命の証明。
それが枯れてしまうなんて。そんな事、考えたくない。
真璃と一緒に、萌姉の後をついて行く。その間私達の間にはもう会話は無かった。
ほどなくして談話室前の廊下に辿り着き、私は早足で中庭の見えるガラス張りの窓に駆け寄った。
目に映ったのは、花が全て散って枝だけが残っている桜の木。
「……本当、に……」
本当に、間違いなく、桜の木は枯れていた。
この十年、ただの一度もその花を枯らした事のない、桜が。
あの子の命が、散っていた。
中庭への扉を開けて、外に出る。
中庭は一面桜の花びらに覆われていて、ただその木だけに、花は付いていない。
「……どう、して」
涙が、頬を伝うのを感じた。
何も言葉が出ない。ただその代わり、とにかく涙が溢れてきて。
そっと、真璃が無言で後ろから抱きしめてくれる。
その温もりを感じながらも、私は桜の木から目をそらせなかった。
こんなのあんまりだ。
これから美咲に会いたくなった時、私はどこに語りかければいい?
まだそこにいてくれるの? 美咲……。
揺らめく視界の中、中庭が明るくなっていくのを感じる。
もう、朝日が昇り始めてくる時間だろうか。
明るくなっても、涙で滲む視界では、うまく見る事は出来ないけど。
しかし。
かすかな物音と共に、木の根元で何かが動いた気がして。
私はそこに目を向ける。
動いた何かは、日の光を浴び、桜の花びらをかき分けるようにして、むくりとその桜色の中から姿を現した。
——最初は、見間違いかと思った。そんな事はあり得ないと。
あり得ないけど、少しだけ期待してしまって。
もしかしたら、私が勝手に見ているだけの幻想かもしれないけど。
ああ、でも、でもやっぱり。
それは、間違いなく。
「————美咲っ!」
真璃の腕を抜け出して、駆けていく。
私の声を聞いて、ゆっくりとこちらを捉える、その子は。
印象的なツインテールこそ無く、肩にかかる髪を下ろしているけど。
やっぱり見間違えるわけなんて無い。
だって私の、——娘だもん!
大きく見開いた瞳で私を捉える美咲に、勢いよく抱き着く。
私より随分小さくなった体。……いや、違うか。私が年を取っただけ。
美咲は十年前にここで見たまま、全く変わっていなかった。
「美咲……、美咲……っ!!」
「マ、マ?」
美咲は戸惑いの声を出して、おずおずと私の背中に手を伸ばしてくる。
「……ママ、だ。私の知ってる、ママだぁ……」
その声は、徐々に喜びの声に変わって、腕は私を強く抱き返してきた。
「美咲……。今まで、どこに行ってたの……!」
帰りが遅くなった娘にかけるような、そんな言葉を美咲にかける。
美咲は少し考えてから、口を開いた。
「神様の所、かな。でも、追い出されちゃった」
「追い出された?」
「うん。『十年経っても相変わらずうるさい。もういい、お前はさっさと戻って、もう一度寿命をまっとうして来い。我は十分桜を楽しんだ。またしばらく眠る事にする』って」
正直、意味が分からなかった。
全然、意味は分からないけど。
……でも、ここに美咲が帰ってきた。その事実があれば、もうなんだっていい。
腕に力を込める。
私は絶対に、この子を手放さない。
「おかえり、みぃちゃん」
嗚咽で震える声で、精一杯明るく、美咲を迎え入れる。
「————ただいま、ママ!」
……夜明け。
長い夜が、明けた。
今日のこの瞬間を、私はきっと忘れる事は無いだろう。
——これ以上、多くを語る必要はない。
真璃と、美咲と、私が、これから先の未来を幸せに歩いて行くことは、もう決まっている事だから。
だから、私の語る物語は、ここでおしまいだ。
それは私に起こった、色々な人の想いを乗せた、小さくも温かい、奇跡の物語。
私に、もっと出来る事はなかったんだろうか。
美咲があれだけ私のために頑張ってくれたのに、私は何も返せてないんじゃないだろうか。
……それで、あの子は本当に満足して逝けたのだろうか。
——ふと、目が覚めた。
暗い、実家の寝室。隣からは大人しい寝息が聞こえる。
見ると、真璃がこちらに身を寄せるようにして眠りについていた。
そんな彼女を起こさないように慎重に体を動かし、ベッドのすぐ脇にあるナイトテーブルに手を伸ばす。
その上に置いてあるスマホを手に取って時間を確認すると、まだ四時だった。
静かに息を吐いて、スマホを戻す。
そのまま体を戻し、再び真璃の方を見た。
昔は可愛いかったのになぁ。なんて事を思う。
……すごく誤解を招くような事を思ったが、今は可愛くなくなったと言っているわけではない。
なんというか、真璃はこの十年で、『可愛い』ではなく『美しい』に進化したというか。簡単に言うと、とても美人になった。
分かるだろうか、この違いが。綺麗な女性と可愛い女性の違いが。
まぁ、私はどんな真璃も勿論好きだけど。
なんて特にとりとめもない事を頭の中で論じていると、急に彼女の目がぱちっと開いた。
真璃の寝顔を見つめていた私は、必然的にその瞳と視線を合わせる事になる。
「……また眠れないの?」
そう聞いてくる真璃は、心配そうな目を私に向けていた。
「んー……。目、覚めちゃった」
真璃が『また』と言うのは、最近私がよく夜中に目を覚ますから。
何故か分からないが、最近はずっとこんな感じで、美咲の事を思い出して夜中に起きてしまう、といった現象が続いていた。
もしかして、美咲が何か未練を私に訴えているんじゃないか、と悪い想像をしてしまう。
「おいで」
そんな時、真璃はいつもそう言って手を広げてくる。
昔の私だったらどぎまぎしてしまうような状況だが、十年も経った今では、素直にその腕に収まりに行くようになった。
真璃の腕の中に抱かれながら、その匂いを吸い込むと、安心して眠れるようになる。
今日もまた、少しずつ睡魔が襲ってきた……、のだが、急に部屋に鳴り響いたスマホの着信音に、私はまどろみの中から引き戻され、完全に意識が覚醒した。
「こんな時間に……、誰だろ」
真璃と顔を見合わせて、スマホを手に取る。
画面を見ると、『萌姉』の文字。
萌姉?
何かあったんだろうか、と思いながら、私は通話ボタンを押してスマホを耳に当てた。
「もしもし? どうしたの、萌姉」
聞いた私の耳に、電話の向こうから大きな声が消えてくる。
「みぃちゃん、大変! 病院の桜の花、枯れちゃってる!」
「……え?」
◆ ◆ ◆ ◆
真璃に車を出してもらって病院に着くと、入り口ではナース服姿の萌姉が待っていた。
「今日、あたし夜勤だったんだけど、見回りしてたら、中庭がいつもより妙に暗くて。よく見てみたら、花が全然無かったの」
慌てたように言う萌姉は、私達を先導してまだ薄暗い病院の廊下を懐中電灯を片手に歩いて行く。
そして私も、気が気ではなかった。
だって、あの桜はあの子の……、美咲が確かにあそこに存在していたという、命の証明。
それが枯れてしまうなんて。そんな事、考えたくない。
真璃と一緒に、萌姉の後をついて行く。その間私達の間にはもう会話は無かった。
ほどなくして談話室前の廊下に辿り着き、私は早足で中庭の見えるガラス張りの窓に駆け寄った。
目に映ったのは、花が全て散って枝だけが残っている桜の木。
「……本当、に……」
本当に、間違いなく、桜の木は枯れていた。
この十年、ただの一度もその花を枯らした事のない、桜が。
あの子の命が、散っていた。
中庭への扉を開けて、外に出る。
中庭は一面桜の花びらに覆われていて、ただその木だけに、花は付いていない。
「……どう、して」
涙が、頬を伝うのを感じた。
何も言葉が出ない。ただその代わり、とにかく涙が溢れてきて。
そっと、真璃が無言で後ろから抱きしめてくれる。
その温もりを感じながらも、私は桜の木から目をそらせなかった。
こんなのあんまりだ。
これから美咲に会いたくなった時、私はどこに語りかければいい?
まだそこにいてくれるの? 美咲……。
揺らめく視界の中、中庭が明るくなっていくのを感じる。
もう、朝日が昇り始めてくる時間だろうか。
明るくなっても、涙で滲む視界では、うまく見る事は出来ないけど。
しかし。
かすかな物音と共に、木の根元で何かが動いた気がして。
私はそこに目を向ける。
動いた何かは、日の光を浴び、桜の花びらをかき分けるようにして、むくりとその桜色の中から姿を現した。
——最初は、見間違いかと思った。そんな事はあり得ないと。
あり得ないけど、少しだけ期待してしまって。
もしかしたら、私が勝手に見ているだけの幻想かもしれないけど。
ああ、でも、でもやっぱり。
それは、間違いなく。
「————美咲っ!」
真璃の腕を抜け出して、駆けていく。
私の声を聞いて、ゆっくりとこちらを捉える、その子は。
印象的なツインテールこそ無く、肩にかかる髪を下ろしているけど。
やっぱり見間違えるわけなんて無い。
だって私の、——娘だもん!
大きく見開いた瞳で私を捉える美咲に、勢いよく抱き着く。
私より随分小さくなった体。……いや、違うか。私が年を取っただけ。
美咲は十年前にここで見たまま、全く変わっていなかった。
「美咲……、美咲……っ!!」
「マ、マ?」
美咲は戸惑いの声を出して、おずおずと私の背中に手を伸ばしてくる。
「……ママ、だ。私の知ってる、ママだぁ……」
その声は、徐々に喜びの声に変わって、腕は私を強く抱き返してきた。
「美咲……。今まで、どこに行ってたの……!」
帰りが遅くなった娘にかけるような、そんな言葉を美咲にかける。
美咲は少し考えてから、口を開いた。
「神様の所、かな。でも、追い出されちゃった」
「追い出された?」
「うん。『十年経っても相変わらずうるさい。もういい、お前はさっさと戻って、もう一度寿命をまっとうして来い。我は十分桜を楽しんだ。またしばらく眠る事にする』って」
正直、意味が分からなかった。
全然、意味は分からないけど。
……でも、ここに美咲が帰ってきた。その事実があれば、もうなんだっていい。
腕に力を込める。
私は絶対に、この子を手放さない。
「おかえり、みぃちゃん」
嗚咽で震える声で、精一杯明るく、美咲を迎え入れる。
「————ただいま、ママ!」
……夜明け。
長い夜が、明けた。
今日のこの瞬間を、私はきっと忘れる事は無いだろう。
——これ以上、多くを語る必要はない。
真璃と、美咲と、私が、これから先の未来を幸せに歩いて行くことは、もう決まっている事だから。
だから、私の語る物語は、ここでおしまいだ。
それは私に起こった、色々な人の想いを乗せた、小さくも温かい、奇跡の物語。
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