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番外 —或いは蛇足でもある神の気まぐれ—

承/萌果の想い

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『相談したい事があります。二人きりで会いたいです。……できれば町の外で』
 そんな文章がスマホのメッセージアプリでみぃちゃんから送られてきたのが二日前の木曜日。
 そして土曜日の今日、丁度あたしも仕事が休みだったこともあり、みぃちゃんを車に乗せて山を越え、隣町のカフェまで足を運んでいた。
 夏の暑さも少しずつ落ち着いてきた九月の半ば。午後の日差しは先月ほどの強さを感じない。
 落ち着いた雰囲気のあるカフェの窓際の席に座り、二人で頼んだオレンジジュースが運ばれてきた所で、向かいのみぃちゃんがテーブルに頭を突っ伏して口を開く。
「私、もう耐えられない……」
「どうしたの?」
 これまでも色々、高校生になったみぃちゃんの軽い愚痴を聞く事はあった。中学生の時はいじめを受けていても周りに全く相談してくれなかったので、それだけでも十分な進歩ではあるんだけど。
 改めて『相談したい』とか『町の外で』とか言うのは初めてだった為、あたしは少し身構えていた。
 みぃちゃんは一度大きく息を吐くと。
「今年同じクラスになった真璃が……、学校の中でも所構わずくっついてくるから……。私達を見る周りの目が辛い……」
 ……これは、真面目な相談、なんだろうか。
 どう答えようかと逡巡しながらテーブルに突っ伏すみぃちゃんをよく見ると、耳が赤くなっているのが見えた。
 なるほど。じゃあこれは……。
「のろけ?」
 言ったと同時に、みぃちゃんが赤く染まった顔を上げて抗議してくる。
「違うよ! ホントに困ってるんだよ! クラスの子は何故か拝んでくるし、先輩達は微笑ましい物を見るような生温かい視線を送ってくるし、後輩は歓声上げて遠巻きに見てくるんだよ!? 何これ? 何これ!?」
 頭を抱えるようにして一息にそう言うみぃちゃん。
「しかもファンクラブがどうのって後輩が話してるのを偶然聞いたから、真璃可愛いもんなぁ、しょうがないなぁって思って調べてみたら、『私達』のファンクラブだったし! 何それ意味が分からない! どういうファンクラブなの、それ!?」
 さらにそう続けるみぃちゃんに、とりあえず落ち着くよう声をかける。流石にこれ以上騒いだらお店の人に注意されそうだ。
 オレンジジュースを一口飲んで息を整えるみぃちゃんを見ながら、あたしも少し考える。

 ……今年で、みぃちゃんも無事高校二年生になって。
 真璃ちゃんもいるから心配はしていなかったが、中学の時の事もあったし、一応様子を気にしてはいたんだけど。
 特に何か問題があるようには見えなかったし、何より、高校に通うみぃちゃんはとても楽しそうに見えた。
 あたしはそれが本当に嬉しくて。中学の時色々あった分、ここで目一杯楽しんでほしいと思っていた。
 
 ——さて、みぃちゃんの相談内容の件について。
 ファンクラブの存在を、あたしは知っていた。……というか、あたし自身も入っていたりして。
 実はあのファンクラブは、中学の時みぃちゃんよりも先にいじめられていた、例の子が作った物だ。
 みぃちゃん達が二年遅れで入学したその高校に、既に三年生として在学していたその子は、みぃちゃんへの罪悪感からか、二人のファンクラブを校内でひそかに立ち上げた。
 ……どうして罪悪感からこんなファンクラブが出来上がったか。それはみぃちゃんと真璃ちゃんの関係に、その子が気付いたからである。
 まぁ、真璃ちゃんの好き好きアタックのせいで隠すに隠しきれないだろうけどね、この二人の関係は。見てれば誰でも、この二人って……と勘ぐってしまう事だろう。
 応援している身でこんな事は言いたくないが、やはり同性愛というのは、周りからの目が怖い物だ。特に思春期の子どもが集まる学校という場において、それはさらに危惧すべき物であったりする。一歩間違えばまたいじめの対象にだってなり得るし。
 その子もそう考えて。だから、そうならないような何かを考えた結果が、ファンクラブだった。……らしい。
 ちなみにあたしは、それを直接その子本人から聞いた。あたしが中学の周りでみぃちゃんについて聞き回っているのを覚えていたらしく、わざわざ報告をしに病院まで来てくれたのだ。その時にあたしも生徒じゃないながらも会員にしてもらったわけで。
 最初は、逆にそれはどうなんだろう、とも思ったが、ファンクラブは意外と成功しているようで、今ではみぃちゃんの言った通り、学校の生徒がみぃちゃんと真璃ちゃんを見守る態勢が整っているらしかった。凄いな、ファンクラブ。偉いぞ、ファンクラブ。

 なんて事を考えている内に、みぃちゃんも落ち着きを取り戻したようだった。
「私、恥ずかしくて耐えられないよ……。あと一年以上もあるのに……」
 呟くような声でそう言うみぃちゃんだが、その声色は心から嫌だと思っている物ではないように感じられる。
 おそらく、周りにばれるのが怖かった真璃ちゃんとの関係が、何故か普通に受け入れられていて、嬉しかったり不思議だったりで頭が感情に追いついていないんだろう。
「ねぇ、みぃちゃん。学校、楽しくない?」
 聞くと、数瞬迷ってから、ふるふると首を横に振った。
「周りの子達の反応、そんなに嫌?」
 みぃちゃんはまた数秒考えてから、今度は口を開いた。
「……本当は……。ちょっと、嬉しい……」
 うん。その言葉を聞ければ、あたしは満足だ。
「じゃあ大丈夫。みぃちゃんは高校生活をうんと楽しんで、しっかり卒業してきなよ。真璃ちゃんと一緒に」
 無言で頷くみぃちゃんに、あたしは微笑を返していた。


          ◆ ◆ ◆ ◆


「——なんて事もありましたよ。美春さん」
 つい最近のみぃちゃんとの話を、美春さんの墓前で語る。
 よく晴れた、ある日。あたしは美春さんのお墓参りに来ていた。
 あたしは、たまにこうして少しのお花と沢山のみぃちゃんとの思い出話を持って、お墓参りに来る。
 それがあたしの役目のような気がして。みぃちゃんはちゃんと、幸せに成長してますよ、と美春さんに報告していた。

 ふと背中に誰かの気配がして、振り返る。
 見ると、色とりどりのお花を抱えた和幸さんが立っていた。
「萌果ちゃん。来てくれてたのか」
「はい。みぃちゃんの事、話してました」
 あたしの言葉に、「そうか」と笑って、和幸さんは墓前にお花を供える。
 そしてしばらく手を合わせた後、静かに立ち上がって、こちらに顔を向けた。
「最近美桜はどうかな? 私にもよく学校の事を話してはくれるけど、やっぱり萌果ちゃんの方が話しやすいだろうから」
 聞かれたあたしは、自信を持って答える。
「楽しんでますよ。学校も、真璃ちゃんとの時間も。幸せそうです」
 和幸さんは、噛みしめるように目を閉じて。
「なら良かった」
 とだけ言った。
「……真璃ちゃんのお陰ですね。みぃちゃんは本当に毎日が楽しそうです。中学の時からは全然想像も出来ないような顔で、学校の事を話してくれます。それが凄く嬉しいんです」
 みぃちゃんは、今更高校なんて行かなくてもいい、なんて退院した時は言ってたけど、真璃ちゃんに押し切られるように受験勉強を始めて。今では好きな人と楽しい学校生活を送れている。
 入院している時も、ずっとみぃちゃんの傍にいてくれていたし。
 真璃ちゃんには、心から感謝していた。
 あたしの言葉を受け、和幸さんは「ああ」と頷いた後、付け加えるように口を開く。
「それに、美咲ちゃんという子のお陰でもあるだろう。美桜の話を聞く限り」

 ——そうだ。みぃちゃんが言う事には、未来から自分の娘がやって来て、真璃ちゃんの病気を治して消えてしまったらしい。
 正直、あたしはまだこの話だけは半信半疑だった。
 病院の中で何度か話したあの咲って子が、実は美咲という名前で、咲神命の力を持ったみぃちゃんの娘だった、との事。
 真璃ちゃんの病気が奇跡としか思えないような治り方をしたのは事実だし、あれ以来あの子を全く見なくなったのも事実だけど。
 やっぱりそう簡単に信じられる話ではなかった。

 色々思考しながら閉口していると、和幸さんが声を発する。
「木花神社に、百代目の巫女が咲神命の力を持って生まれてくる、という言い伝えがあるのは事実だけどね。まさか本当にそんな話になるとは、私も思ってなかったよ」
「……その力を使うには、寿命を代わりに失うっていうのも、本当なんですか?」
 聞き返すと、和幸さんは黙って頷いた。
「私もあれから、少し倉庫の文献を漁ってみたんだ。百代目の巫女は、寿命を咲神命に供物として捧げる事で、その力を行使する事が出来ると書いてあったよ。そして完全に寿命を使い切ってしまうと、最期にはその身まで供物として捧げられ、生きる事も死ぬ事もない空間で、永遠に神に仕える業《ごう》を背負わされるらしい」
「……業?」
 繰り返してしまったあたしに、さらに和幸さんの補足が入る。
「人間の身でありながら神の力を使う事自体が、そもそも罪らしい。その罪によって、この世やあの世という概念から完全に切り離され、神の下で永遠に遣わされる。それが、百代目の巫女の業だという事。と、書いてあったよ。もしかしたら、あのずっと枯れない桜も、美咲ちゃんって子が永遠にそこで供物として捧げられている事と関係があるのかもしれないね」
 ……なんだそれは。
 そもそも望んでもいない力を勝手に与えておいて、使ったら罪だと……?
 なんて身勝手な神様なんだろう。
 別に悪い事に使ったわけでもないだろうに。
 美咲ちゃんは、みぃちゃんを助けるために、未来からやってきて真璃ちゃんを助けてくれた。
 つまり、今の楽しそうなみぃちゃんがいるのは、美咲ちゃんのお陰だという事。
 そんな良い子に、勝手にそんな罪を背負わせて。一体なんなんだ、咲神命というヤツは。
 ……半信半疑だと言ったけど。もし、本当にあの子が、みぃちゃんを助けてくれたんだとしたら——。

「——美咲ちゃんに、もう一度会いたいです。会って、ちゃんとお礼を言いたい……」

 それが、あたしの本心だった。

「ああ。私もだよ。今の美桜の笑顔は、真璃ちゃんと、その美咲ちゃんに守られているような物だからね」

 多分、それも届かない願いだろうけど。
 あたしは、そう思わずにはいられなかった。
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