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真 終章 

みらいのはなし

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 美咲が消えてから一年ほどが経ち。今年の三月も終わりに差し掛かり。
 まだまだ寒いながらも、春の暖かさもほんの少し感じられるようになりつつある、今日この頃。
 私、此花美桜は、晴れて地元の高校に合格し、四月からは高校生になる事となった。

 そんな私は今、自宅の近くにある公園のベンチに座り、人を待っている。公園といっても、ブランコと鉄棒とベンチくらいしかない、小さくて簡素な公園だ。私以外に人はいない。
 寒いのは苦手なので、薄茶色のロングコートに桃色の手袋と長めのマフラーを装備して、ばっちり寒さ対策をしてきている。
 おかげで、約束の時間である十四時から十五分ほど遅刻しているその人を待つ時間も、特に激しい寒さは感じなかった。

「美~桜っ!」
 
 不意に後ろからそんな声がして、ベンチの背もたれ越しに、声の主に抱き着かれた。
 突然の事に、私は「わっ」と短く声を上げてしまう。 
「……真璃、遅い」
 抱き着いてきたその人に文句を言いながら、首だけ動かして振り返る。
 すると、満面の笑みを浮かべている真璃の顔が目の前にあった。
「ごめんね。美桜と久しぶりのデートだったから、何着て行こうかなーって悩んじゃったの」
「久しぶりって……、最後に会ったの二日前だよね?」
「二十四時間以上経ってるわ。私はもう我慢の限界よ」
「昨日も真璃がどうしてもって言うから、ビデオ通話したよね?」
「直接触れ合えないと、美桜分の供給が消費に追いつかない」
「いや、美桜分って」
「私にとって空気や水分のような物よ。無ければ生きていけいないわ」
「あのね——」
 しかし返そうとした言葉は、私の唇に真璃の唇が押し付けられた事によって遮られた。  
 これまた突然の事に、私の体は無意識にびくりと反応してしまい。
 そのまま全然離れる気の無い真璃から、私は無理やり顔を離し、手を振りほどき、勢いよく立ち上がった。
「——もうっ! こんな所で! 誰かに見られたらどうするの!」
「私は気にしないし。……それより、こんな所じゃなかったら、もっとしても良いの?」
 そう言って未だ笑顔全開の真璃に、私は溜め息をつく。多分これ以上は泥沼になる。一旦落ち着かないと。
 溜め息の後に深呼吸して頭をリセット。冷静さを取り戻す。
「ふぅ……。よし。とりあえず歩きながら話そう」
 そう声をかけると、真璃は頷いて、淡い藍色のコートを揺らしながらベンチの前に回り込んできた。
 私と違い手袋やマフラーはしていない。……寒くないんだろうか。
「どうしたの?」
 私の視線の動きが気になったのか、真璃が不思議そうな声を上げる。
「いや、真璃、寒くないのかなって」
 んー、と小さく唸りながら、私の前まで歩み寄ってくる真璃。
「それはもちろん寒いわよ」
 そしてそんな事を言いながら私の左手を取ったかと思うと、着けていた手袋をぐいっと脱がしてきた。
 行動の意味が分からず、小さく驚きの声を上げる私をよそに、真璃はその手袋を自分の左手に着けている。
「……あの。何してるの」
「美桜に温めてもらおうと思って」
 私の疑問にそう返した真璃は、剥き出しになってしまった私の左手を右手で握ってきた。
 ……冷たい。私の手が温まっている事も相まって、真璃の右手は氷のような冷たさを感じさせる。
 笑顔を浮かべる真璃の顔も、頬や鼻がほんのり赤みを帯びていて、冷たくなっているであろう事が容易に想像できた。
「……もー、しょうがないなぁ」
 そういうのに気付いちゃったら、もうほっとく事も出来ないじゃん。
 私は空いている右手でマフラーを半分くらいほどいて、真璃の首にくるくると巻き付ける。真璃は私より若干背が高いので少し手間取ったが、なんとか巻き終えて。
 ついでに繋いでいる左手は自分のコートのポケットに真璃の右手ごと突っ込んだ。
「これでいい?」
 出来る事を全てやって、改めて真璃の顔を見る。……なんでさっきよりも真っ赤になってるんだろう。
 真璃はその赤い顔をマフラーで隠すようにしながら、私の腕にすり寄ってきた。
「……そういう事さらっとするのズルい……。けど、そういうなんだかんだ言って結局優しい所大好き」
「はいはい。じゃあ行くよ」
 真璃の反応を軽く流して、私は歩き出す。
 首はマフラーで繋がれ、手はポケットの中で繋がって、挙句腕にくっついてくる真璃も、私にならって足を動かし始めた。
 どう考えても傍目から見たらバカップル丸出しの格好をしているのは理解してるけど、正直そんなのにもこの一年で慣れてきている。……外でキスしてくるのは多分一生慣れないだろうけど。

 ——というのも、私の対応や真璃の言動を見れば分かるかもしれないが、病気が治って目が覚めて以来、真璃は私にベタベタのデレデレで……、とにかく凄いのだ。
 私の中では、真璃は落ち着いてクールなイメージがあったんだけどなぁ……。
 本人曰く、
『私、もう最後だと思って美桜に全力でアプローチしたから、なんかもう色々吹っ切れたわ』
という事らしい。
 最初は私も真璃のしてくる事全てにドキドキしていたが、一年ずっとされ続けているとさすがに慣れてくるという物で。
 今では先ほどのように軽く流すなんて事も出来るようになっていた。
 ……誤解を招かないように一応付け加えるなら。軽く流すからといって、別に真璃をどうでもいいと思っているわけではない。私も勿論真璃の事は大好きだ。
 真璃もちゃんとそれは分かってくれていると信じているからこそ、軽くあしらうような対応も出来ている。

「あらあら、今日も仲が良いのねぇ」
 町の中を歩いていると、通りすがりの女の人に声をかけられる。
「はい、ラブラブですよ」
「やめて」
 それに変な風に答える真璃にツッコミを入れるのにも慣れた。
 自分で言うのもなんだが、穂乃咲町では私は有名人だけど。そんな私に常にべったりな真璃もまた、この町の中では有名人になっていた。
 二人で町を歩けばすれ違う人に何度も話しかけられる。真璃はそれも普通に楽しんでいるようだ。
 
 ちなみにあの一件の後、真璃とご両親は、真璃の入院中だけ仮住まいとしていたこの町に正式に引っ越す事を決めた。
 今はアパートを借りているらしいが、その内一軒家を建てるつもりだと聞いている。
「昨日は、お母さんのお墓参りに行ってきたんだっけ?」
 ふと、真璃が聞いてくる。
「うん。高校に合格したよって事とか、色々報告してきた」
「美桜、勉強頑張ったもんね」
「……お世話になりました」
 高校に合格したのは、真璃のお陰だった。

 実は——、って言うのも失礼かもしれないけど、真璃は相当頭が良くて。
 東京の中学に通っていたというのは聞いていたけど、よくよく聞いてみると、そこは難関大学に何人も合格者を出している、小中高一貫の有名な私立の進学校だったわけで。
 闘病生活を送ってブランクがあったとはいえ、真璃はこんな田舎の高校の入試を突破するくらいのレベルの学力は裕に持ち合わせていた。
 そんな真璃が私の勉強をみっちり見てくれたのだ。そりゃあ私も少しくらい勉強が出来るようになっても不思議じゃない。
 加えて、真璃の家にお邪魔した時、真璃の今までの通信簿とかを見せてもらう機会があったんだけど、それを見る限り真璃は勉強だけでなく、病気をする前はスポーツの方でも良い成績を残してたりしてたらしい。
 勉強も出来る、スポーツも出来る、描く絵は全国トップレベル、おまけにこの容姿? 
 はぁ、この人は一体どれだけハイスペックだったんだ、ととんでもなく衝撃を受けたよ。ホントに。
 ……言い方は悪いけど、周りの人の妬みを買うのも、ちょっと分かる。

「ううん。美桜が頑張ったからよ。私は手伝っただけ」
「……まぁ、別に私は今更高校なんて行かなくて良かったんだけど。二年遅れで入学とか、正直どうなんだろ」
 来月から高校生とはいえ、私達は入院期間のせいで本来の高校入学の年から二年遅れているのだ。
 私には神社もあるし、高校なんて行かなくても、と思ったのだが。
「駄目って言ったでしょ。私が美桜と一緒に学校に行きたかったの。青春したいの!」
「あ、はい」
 というわけで、私は晴れて四月から真璃と同じ高校に通う事になったのだった。


          ◆ ◆ ◆ ◆


 目的地に着くと、早速見知った人に捕まった。
「みぃちゃん! 真璃ちゃんも、今日もラブラブで羨ましいねぇ」
 言わずもがな、萌姉である。
 そう。私達は今日、二人で穂乃咲病院を訪れるために待ち合わせをしたのだ。
 そして病院に入ってすぐの廊下で、運が良いのか悪いのか、萌姉に出くわしている。
「当然です。私達ですから!」
 ドヤ顔で言い放つ真璃を横目に、私は無言で真璃の首のマフラーをほどき、繋いでいた手も離した。
「はっ——!?」
 ドヤ顔を一瞬で崩して捨てられた子犬のような顔に早変わりした真璃を、「もういいでしょ」と一蹴する。
 一連のやり取りを見ていた萌姉は、けらけらと笑いだした。
「いやー、二人はいつ見ても面白いよ。真璃ちゃんもすっかり元気になって、良かった良かった」
「お陰様で」
 真璃の病気が治った時は、病院内が大騒ぎになったのを思い出す。 
 絶対に治らないとされていて末期まで進行していた難病が、ほんの数時間で真璃の体から消え去ったんだから、それも当たり前か。
 あの時の皆の驚きようといったら、それはそれは凄いものだった。
 しかし、それ以上に大騒ぎになったのは——。

「中庭に行くんでしょ? いつも通り人が多いから、ゆっくりは出来ないかもよ」
「まぁ、しょうがないね。神社より今はあっちの方が有名だもん」
 萌姉に言葉を返しながら、談話室があるであろう廊下の先を見る。
 談話室がある廊下の辺りだけ人だかりが見える気がするのも、当然気のせいではない。 
「お陰で病院の方も対応が大変だけどね……」
「あはは……。お疲れ様」
 疲れたように息を吐いた萌姉だったが、別の看護師に声をかけられ、どうやらすぐに行かなければならなくなったらしい。
「じゃあ、あたしは行くよ。またねー」
 忙しそうに廊下の奥に消えていく萌姉を見送って、私と真璃は談話室の方に歩き出す。

 談話室には、一年前と同じ場所とは思えないほどの人が集まっていた。
 椅子はすべて埋まっていて、私達が行こうとしている中庭にも、並んで順番を待たないと入れないようだ。
「すごいわね」
 その様子を見て、真璃が一言呟く。
「並ぶしかないね」
 私も一言そう返し、二人で列に並ぶ事にする。
 
 もっと待つかと思ったが、五分ほどで中庭へ入る順番が回ってきた。
 談話室の中庭へと続く扉をくぐり、足を踏み入れる。

 ——そこには、一面桜色の世界が広がっていた。

 病院の背を超える勢いでそびえる桜の大樹は、青空の下で満開の花を咲かせていて。
 その舞い落ちる花びらは、中庭に生える芝生が見えなくなるほどに、足元を桜色に染め上げている。

 真璃の病気が治った事以上に大騒ぎになったのは、この一年中枯れない桜の木だった。
 あの日。美咲が消えて、その代わりのようにこの桜が満開になって。
 その後、この満開の桜の花は、全く枯れることなく今日まで満開のまま咲き誇っている。
 そんな奇跡のような桜の大樹は、瞬く間に様々なメディアを通して報道され、この一年でここまでの観光客が押し寄せるほどになっていた。
 病院の中庭、という特殊な立地条件のせいで、町や病院はその対応になかなか苦労を強いられているらしいが。
「いつ見ても、綺麗ね」
 ざわざわと騒がしい人だかりの中、桜を見上げ、真璃が呆けたように言う。
 そうだね、とだけ返し、私もその圧巻の桜の花を見上げた。
 
 ……今日ここに来たのは、昨日お母さんに色々報告したように、美咲にも報告したかったからだ。
 あの子が消えた場所。あの子が咲かせた桜の木。
 私は、美咲は今もここで眠っているんじゃないかと感じている。だから美咲と話したくなったときは、いつもここを訪れる。
 来月から二年遅れの高校生活を始める事。
 真璃と穏やかな毎日を送れている事。
 そんなような事を、さすがにここで声に出して言うわけにもいかないから、心の中で語りかける。

 いつだったか、私は自分が名前負けしている、と真璃に語った。
 それは今も変わっていない。こんなに美しい桜を見ていると、私はこんなに立派な人間になれるのか、と今でも考えてしまう。
 中庭にいる観光客の顔を見回す。皆、桜に笑顔を向けていて。

 ……凄いね、美咲。皆、あなたが咲かせた桜を見て、笑顔になってる。私達だけじゃない。美咲の命の光は、こんなにも沢山の人達に幸せを運んでるんだね。

「……ねぇ、真璃」
 私は、最近考えている事が一つある。それを真璃に言うべきか、言うとしてもどのタイミングで言うか、ずっと考えていた。
「何?」
 でも、今言ってみようかと、ふと思った。
「私……、将来、子どもが欲しい。なんて、思ったりしてるんだけど」
 それは私達の間では、不可能な事で。
 だから多分、本来であれば、口にするのは好ましくない事。
「そっか。……うん、そうだね。色々、調べてみよっか」
 なのに、真璃はそんな風に優しい言葉と微笑みを返してくれる。
 美咲の事を、真璃と萌姉とお父さんには、一応話してみた。
 萌姉とお父さんは半信半疑という感じだったけど、恐らく真璃は、ちゃんと信じてくれている。
 今の優しい言葉は、美咲と私の話と想いを信じてくれているからこそ、出てきた物だったんだと思う。
「……ありがと」
 もしかしたら、否定されたり嫌な顔されたりするかもと覚悟していた。だけどそんな事無く受け入れてくれた真璃の優しさに、少し目頭が熱くなるのを感じ、小さなお礼と共に真璃の肩に頭を預ける。
「美桜こそ、言いづらかったでしょ? 正直に話してくれて、ありがとう」
 ……真璃はよく、私の優しい所が好きだと言ってくれるけど。それは私も同じ気持ちだ。
 こんなに優しい人が隣に立ってくれているのは、私にはこれ以上なく幸せな事。
 きっとこれから何があったって、二人なら乗り越えていける。

 私が子どもが欲しいと思えたのは、美咲に逢えたからこそだけど。
 もし、将来。
 何かの形で子どもが本当にできたとしても。
 それは絶対に美咲ではない。
 どれだけ面影を重ねても、美咲ではない。
 そんな事は分かっている。
 ……分かってはいるけど。
 それでもやっぱり、こう願わずにはいられない。
 ——願わくば。


 またここで、君と————

 
 どちらからともなく、私達は手を繋ぎ合う。
 あの子がくれたこの幸せを、私達は二度と離す事はない。
 
 だから、ここで、見守っててね。みぃちゃん。

 一陣の風が吹いた。
 桜の花びらが天高く舞っていく。
 美しく咲く桜が、これから訪れる春の目覚めを見守っている。
 
 お互いの手に幸せの温度を感じながら。
 私達は今、未来へと歩き始めた——。
        
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