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4章 雛本真璃 2
繋がってる感じがするでしょ?
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「あったかくなってきたね~」
春の柔らかな日差しを浴びて伸びをしながら、此花さんが気持ちよさそうにそう言った。
四月になり、何日か前までの寒さが嘘のような暖かな陽気が中庭を包んでいる。
私と此花さんは中庭の桜の下にあるベンチに腰かけて、静かな午後の談笑を楽しんでいた。桜の花は開きつつあり、満開の日も近そうだ。
「雛本さんは桜好き?」
「好きよ。一年くらい前にも桜を描いて賞を貰ったし」
何気ない此花さんの質問にその時に描いた絵の事を思い出しながらそう返すと、彼女は身を乗り出してくる。
「凄い! 私も見たいなぁ」
「機会があれば見せてあげるわ」
そんな此花さんについ頬を緩ませながら答えて、私は桜を見上げた。ちらほらと開いている花を付けた枝が、そよ風で揺れている。その間からきらきらと差す木漏れ日が眩しくて、思わず目を細めた。
「私もね、桜大好きなんだ。自分の名前に入ってるっていうのもあるけど。神社に大きい桜の木があってね、小さい頃から綺麗だなって毎年思ってたから」
そう言いながら私と同じように桜を見上げる此花さんを、横目でちらりと見る。
……人と仲良く、なんて事をずっとしていなかったから、友達として上手く付き合えるか心配もしたが、彼女相手にはそんな心配は無用だったようだ。
この半月で、彼女は私との距離を随分縮めてくれた。最初に出会った時は私が此花さんとの付き合いを拒否していたから、彼女もなかなか自分を出しづらかっただけのようで、それが無くなった此花さんは常に明るく私に関わってくれている。
初めは自分が私との思い出を全て忘れてしまった事に申し訳なさを感じてか、おずおずといった感じではあったが。今ではいつも笑顔で私に接するようになった。
こんなに良い子なのに、此花さんから距離を置いているという学校の人間は一体どういう思考回路をしているのか、と憤りを覚えるレベルである。
「だから春も大好き。桜も咲くし、お母さんの名前だし……」
ぴくりと反射的に肩を動かしてしまったが、此花さんには気付かれていないようだ。
「あ、雛本さんに言ったっけ? 私のお母さん、美春っていうの。私の名前と『美しい』って言葉はお揃いで、春と桜で繋がってる感じがするでしょ? ……凄く気に入ってるんだ」
それを幸せそうに話す此花さんの顔を見続ける事が出来ず、私は再び桜に視線を戻す。
——結局、先生の提案で再度事故の話を聞かされた此花さんは、私が事故の事を教えてしまった日と同じように倒れてしまった。
違いがあったのは意識不明の時間で、私の時には五日ほど寝たきりだった彼女だが、この時は次の日の夜には目を覚ました。先生の言う事には、倒れるまでに過ごした期間が長ければ、意識不明の時間も長くなるのかもしれない、という事らしい。
そして、やはり此花さんは事故の事は勿論、この病院で生活していた事もすっかりと忘れてしまっていたのだ。
しかしこれにより確定したこともある。それは彼女が記憶を失ってしまう理由。
先生の予想通り、此花さんは事故の事を思い出すと、それを思い出すまでに過ごした記憶と共に全て忘却してしまう。……正確には、その事故の時に見た『思い出したくない記憶』のせいか。
……これは恐らく、彼女のお母さんが亡くなった事と関係があるのではないか、というのが先生の推測だ。
だから此花さんが楽しげにお母さんの話をしているのを、私はどうしても見ているのが辛かった。
「でも、お母さん全然お見舞いに来てくれないんだよねー……。なんか大事な用事があって遠出してる、みたいな事お父さんは言ってたけど。何してるんだろ……」
先ほどとは打って変わり寂しそうな表情になる此花さんに、私は話題を変えようと頭を回す。
「……もし子どもが出来たら、あなたも子どもの名前には『美しい』って入れるの?」
頭を回したが、そこまで急な話題転換をする思いきり良さを私は持っていなかった。話題的にはあまり遠くには行けなかったが、まぁ徐々にずらしていけばいいだろう。
そんな事を考えながら発した私の質問に、此花さんは目をぱちくりさせた後、「あはは」とおかしそうに笑い始めた。
「そんなの考えたことなかったよ。まだまだ先の事だもん。……んー、でもそうだねぇ。入れるかもしれないね、綺麗な字だし」
最初こそ笑っていたものの、少しずつ真面目に考えつつある此花さん。
それを聞いていた私は、そういえばと思い出し、此花さんに続けて質問を投げる。
「私この前図書室で、あなたが巫女をしている神社と、そこで祀られている神様についての本を読んだんだけど。昔から神社を経営する家庭の第一子が女の子っていうのは本当なの?」
「あー。それは本当だね。私も初めて知った時はびっくりしたけど。神社に始祖からの家系図が置いてあってね、見せてもらったら本当にずっと女の子が生まれてたの。……まぁ、その家系図に本当の事しか書かれていないかどうかは分かんないけどね」
此花さんも半信半疑、という感じにそう答えた。私は更に思い出したことを聞いてみる事にする。
「……それで、その子どもは神様の力を使えるとかなんとか——、って書いてあった気がするんだけど。あれは本当なの?」
聞かれた此花さんが、口をへの字に曲げて「うぅー……、ん」と何とも言えない悩ましげな声をあげた。
しばらく難しい顔をしながら不思議な声をあげて頭を揺らしていた此花さんだったが、意を決したように私に向き直り、その口を開く。
「あの。今から言う事、絶っっっっっ対に誰にも言わないって約束出来ますか?」
促音を溜めに溜めて言い放ち、急な敬語を使い始めた此花さんに、私は謎の緊張感を抱いて首を縦に振った。
それを確認した此花さんは、ゆっくりと言葉を発する。
「木花神社に、咲神命の力を持った子どもが生まれてくるっていう話は、確かにあるんだけど。それは毎回ってわけじゃなくて、言い伝え上では百代目の巫女がその子どもだって言われてるの。しかもこれは、木花神社で神官や巫女をした人達——だから、此花の血族の人達の中でしか伝わってない、秘密の言い伝えなんだよ。雛本さんが見たその本に書かれてた話は、多分何か間違った形でこの言い伝えが外に漏れちゃったか、ただの面白半分で書かれた物だと思う」
此花さんが真剣な顔で言うものだから、私も真剣にその話を最後まで聞いた。……が、言い切った彼女は呆れたように息を吐く。
「ま、私は信じてないけどね。ただの言い伝えだよこんなの。でも一応代々秘伝って事らしいから、雛本さんも誰にも言わないでね。約束だよ」
言いながら、此花さんはこちらから視線を外してベンチの背もたれに寄りかかった。
「……ちなみに、此花さんは何代目なの?」
「ん? 九十九代目だよ。だからもし今の話が本当なら、私の子どもは神様だね。凄いね」
さっきまでの真剣な表情はどこへやら。此花さんは呆れ顔のままそう続けた。
そこで一度会話は途切れ、安らかな風の音が耳に入ってくる。
「……ねぇ、雛本さん。私ね、美桜って名前、好きなの。苗字より、全然」
ふと、此花さんが呟くようにそう言った。
「そう。確かに綺麗な名前ね」
私が特に何も考えずに思ったままそう答えると、此花さんは私に詰め寄るように体を起こしてくる。
「そうなの。私、苗字よりこの名前が大好きなの」
「……? ええ、そう?」
よく分からない気迫を感じてつい疑問符を付けた言葉を返してしまう。
すると、此花さんはぷいっと横を向いてしまった。
「えっと……。此花さん?」
多分、彼女は私に何かを求めているのだろうけど、私には此花さんの言葉からそれを推し量ることが出来なかった。
それから、なんとなく不貞腐れてしまったような此花さんの機嫌を気にしつつ、私はまたしばらく他愛もない会話続けた。
春の柔らかな日差しを浴びて伸びをしながら、此花さんが気持ちよさそうにそう言った。
四月になり、何日か前までの寒さが嘘のような暖かな陽気が中庭を包んでいる。
私と此花さんは中庭の桜の下にあるベンチに腰かけて、静かな午後の談笑を楽しんでいた。桜の花は開きつつあり、満開の日も近そうだ。
「雛本さんは桜好き?」
「好きよ。一年くらい前にも桜を描いて賞を貰ったし」
何気ない此花さんの質問にその時に描いた絵の事を思い出しながらそう返すと、彼女は身を乗り出してくる。
「凄い! 私も見たいなぁ」
「機会があれば見せてあげるわ」
そんな此花さんについ頬を緩ませながら答えて、私は桜を見上げた。ちらほらと開いている花を付けた枝が、そよ風で揺れている。その間からきらきらと差す木漏れ日が眩しくて、思わず目を細めた。
「私もね、桜大好きなんだ。自分の名前に入ってるっていうのもあるけど。神社に大きい桜の木があってね、小さい頃から綺麗だなって毎年思ってたから」
そう言いながら私と同じように桜を見上げる此花さんを、横目でちらりと見る。
……人と仲良く、なんて事をずっとしていなかったから、友達として上手く付き合えるか心配もしたが、彼女相手にはそんな心配は無用だったようだ。
この半月で、彼女は私との距離を随分縮めてくれた。最初に出会った時は私が此花さんとの付き合いを拒否していたから、彼女もなかなか自分を出しづらかっただけのようで、それが無くなった此花さんは常に明るく私に関わってくれている。
初めは自分が私との思い出を全て忘れてしまった事に申し訳なさを感じてか、おずおずといった感じではあったが。今ではいつも笑顔で私に接するようになった。
こんなに良い子なのに、此花さんから距離を置いているという学校の人間は一体どういう思考回路をしているのか、と憤りを覚えるレベルである。
「だから春も大好き。桜も咲くし、お母さんの名前だし……」
ぴくりと反射的に肩を動かしてしまったが、此花さんには気付かれていないようだ。
「あ、雛本さんに言ったっけ? 私のお母さん、美春っていうの。私の名前と『美しい』って言葉はお揃いで、春と桜で繋がってる感じがするでしょ? ……凄く気に入ってるんだ」
それを幸せそうに話す此花さんの顔を見続ける事が出来ず、私は再び桜に視線を戻す。
——結局、先生の提案で再度事故の話を聞かされた此花さんは、私が事故の事を教えてしまった日と同じように倒れてしまった。
違いがあったのは意識不明の時間で、私の時には五日ほど寝たきりだった彼女だが、この時は次の日の夜には目を覚ました。先生の言う事には、倒れるまでに過ごした期間が長ければ、意識不明の時間も長くなるのかもしれない、という事らしい。
そして、やはり此花さんは事故の事は勿論、この病院で生活していた事もすっかりと忘れてしまっていたのだ。
しかしこれにより確定したこともある。それは彼女が記憶を失ってしまう理由。
先生の予想通り、此花さんは事故の事を思い出すと、それを思い出すまでに過ごした記憶と共に全て忘却してしまう。……正確には、その事故の時に見た『思い出したくない記憶』のせいか。
……これは恐らく、彼女のお母さんが亡くなった事と関係があるのではないか、というのが先生の推測だ。
だから此花さんが楽しげにお母さんの話をしているのを、私はどうしても見ているのが辛かった。
「でも、お母さん全然お見舞いに来てくれないんだよねー……。なんか大事な用事があって遠出してる、みたいな事お父さんは言ってたけど。何してるんだろ……」
先ほどとは打って変わり寂しそうな表情になる此花さんに、私は話題を変えようと頭を回す。
「……もし子どもが出来たら、あなたも子どもの名前には『美しい』って入れるの?」
頭を回したが、そこまで急な話題転換をする思いきり良さを私は持っていなかった。話題的にはあまり遠くには行けなかったが、まぁ徐々にずらしていけばいいだろう。
そんな事を考えながら発した私の質問に、此花さんは目をぱちくりさせた後、「あはは」とおかしそうに笑い始めた。
「そんなの考えたことなかったよ。まだまだ先の事だもん。……んー、でもそうだねぇ。入れるかもしれないね、綺麗な字だし」
最初こそ笑っていたものの、少しずつ真面目に考えつつある此花さん。
それを聞いていた私は、そういえばと思い出し、此花さんに続けて質問を投げる。
「私この前図書室で、あなたが巫女をしている神社と、そこで祀られている神様についての本を読んだんだけど。昔から神社を経営する家庭の第一子が女の子っていうのは本当なの?」
「あー。それは本当だね。私も初めて知った時はびっくりしたけど。神社に始祖からの家系図が置いてあってね、見せてもらったら本当にずっと女の子が生まれてたの。……まぁ、その家系図に本当の事しか書かれていないかどうかは分かんないけどね」
此花さんも半信半疑、という感じにそう答えた。私は更に思い出したことを聞いてみる事にする。
「……それで、その子どもは神様の力を使えるとかなんとか——、って書いてあった気がするんだけど。あれは本当なの?」
聞かれた此花さんが、口をへの字に曲げて「うぅー……、ん」と何とも言えない悩ましげな声をあげた。
しばらく難しい顔をしながら不思議な声をあげて頭を揺らしていた此花さんだったが、意を決したように私に向き直り、その口を開く。
「あの。今から言う事、絶っっっっっ対に誰にも言わないって約束出来ますか?」
促音を溜めに溜めて言い放ち、急な敬語を使い始めた此花さんに、私は謎の緊張感を抱いて首を縦に振った。
それを確認した此花さんは、ゆっくりと言葉を発する。
「木花神社に、咲神命の力を持った子どもが生まれてくるっていう話は、確かにあるんだけど。それは毎回ってわけじゃなくて、言い伝え上では百代目の巫女がその子どもだって言われてるの。しかもこれは、木花神社で神官や巫女をした人達——だから、此花の血族の人達の中でしか伝わってない、秘密の言い伝えなんだよ。雛本さんが見たその本に書かれてた話は、多分何か間違った形でこの言い伝えが外に漏れちゃったか、ただの面白半分で書かれた物だと思う」
此花さんが真剣な顔で言うものだから、私も真剣にその話を最後まで聞いた。……が、言い切った彼女は呆れたように息を吐く。
「ま、私は信じてないけどね。ただの言い伝えだよこんなの。でも一応代々秘伝って事らしいから、雛本さんも誰にも言わないでね。約束だよ」
言いながら、此花さんはこちらから視線を外してベンチの背もたれに寄りかかった。
「……ちなみに、此花さんは何代目なの?」
「ん? 九十九代目だよ。だからもし今の話が本当なら、私の子どもは神様だね。凄いね」
さっきまでの真剣な表情はどこへやら。此花さんは呆れ顔のままそう続けた。
そこで一度会話は途切れ、安らかな風の音が耳に入ってくる。
「……ねぇ、雛本さん。私ね、美桜って名前、好きなの。苗字より、全然」
ふと、此花さんが呟くようにそう言った。
「そう。確かに綺麗な名前ね」
私が特に何も考えずに思ったままそう答えると、此花さんは私に詰め寄るように体を起こしてくる。
「そうなの。私、苗字よりこの名前が大好きなの」
「……? ええ、そう?」
よく分からない気迫を感じてつい疑問符を付けた言葉を返してしまう。
すると、此花さんはぷいっと横を向いてしまった。
「えっと……。此花さん?」
多分、彼女は私に何かを求めているのだろうけど、私には此花さんの言葉からそれを推し量ることが出来なかった。
それから、なんとなく不貞腐れてしまったような此花さんの機嫌を気にしつつ、私はまたしばらく他愛もない会話続けた。
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