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3章 此花美桜 2

結構気が合うのかもね

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「そろそろお腹が空いてきました」
 そんな咲の言葉を受けて、屋上を後にした私は一度病室に戻ることにする。
 現在の時刻は十一時四十五分。病院の昼食は十二時だから、時間的にも良い頃合いだ。
 私には病院で出されるご飯があるが、勿論入院しているわけではない咲に昼食は用意されない。そのため、咲は売店へと昼食を調達しに行った。

 私は一昨日真璃と夕飯を食べたテーブルの片側の椅子に腰を下ろす。
 ほどなくして病室の扉が開き、レジ袋を片手にぶら下げた咲がゆっくりと入ってきた。
 そして私の顔を窺いながら、呟くように言う。
「あの、ただいま。……です」
「え? おかえり」 
 どうしてそんなに自信なさげに言うのか不思議に思いながらも、そう返した。咲は私のその言葉を聞いて嬉しそうに笑うと、にこにこ顔のままテーブルの向かい側へと座る。 
 ……今の短いやり取りのどこにそこまで喜ぶ要素があったのだろうか。相変わらず不思議な子である。
 なんて思っている内に、咲はテーブルの上にレジ袋の中身を出して並べていた。
 見ると、シーチキンのおにぎりが二つとカレーパン、紙パックのオレンジジュースなどが置かれている。
 どんな偶然か、どれもこれも私の好きな物ばかり。特にカレーパン。おいしそう。
「……咲と私、結構気が合うのかもね」
 そんな事を思いながらそのまま口に出す。
 遠くから何かをじっと見てしまう癖や、ベーちゃんを好きという事、さらに食べ物の好みも一緒とくれば、そう思ってもおかしくないだろう。
 まぁ、匂いを嗅ぐのはやめてほしい所ではあるが。 
「何か食べたければ少しあげますよ」
 私の視線を察してか、そう返してくる咲。
 じゃあカレーパン一口貰おうかな、などと本気で考えていた所で、病室の扉がノックされる。
「どうぞー」
 返事をすると扉が開かれ、姿を現したのは予想通り萌姉だった。
「ご飯だよー、みぃちゃん」
 そう言って病室に入ってくる萌姉の声と姿を確認した咲は、突然身を固くすると、椅子に座る自らの姿勢を正し始める。
「お、咲ちゃんも一緒だね。……なんか、緊張してる?」
 萌姉もそんな咲の様子に気付いたらしく、首をかしげている。
「そ、そんなことないですよ……」
 萌姉から目を逸らしつつそう答える咲は、明らかにいつもと様子が違うのだが。
「んー? ま、いっか。はいみぃちゃん」
 咲の様子を気にしつつも、萌姉は私の前にお昼ご飯が乗っているお盆を置いた。今日のお昼はタケノコと豚肉の炒め物だ。
 そして萌姉は「じゃ」と軽く手を上げる。
「あたしは次の病室行くから。またね」
 言い終えたと思うと、萌姉はすぐに病室を出て行ってしまった。……忙しそうだなぁ。
 私は、萌姉がいなくなって肩の力を抜き始めた咲の方に顔を戻す。
「……萌姉のこと嫌いなの?」
 様子のおかしい咲を見て、思った事を聞いてみる。咲はツインテールを左右に揺らして答えた。
「違います、嫌いなわけではないんです。……ただ、ちょっと苦手なんです」
「苦手?」
 そういえば、朝萌姉に驚かされた時『ちょっと苦手』みたいな事言ってたけど、あれは驚かされる事が苦手って意味じゃなくて、萌姉自体が苦手って意味だったのか。
「どうして——、っていうのは、聞かない方が良いのかな?」
「……すみません」
 咲の言葉に「そっか」と返し、私は自分の昼食に手を付けようとお箸を握る。
 すると、咲はおもむろにカレーパンの袋を開けてこちらに差し出してきた。
「少しどうぞ」
「よく分かったね、私がカレーパン貰おうとしてたの」
「私と気が合うなら、カレー好きかなと思って」
 確かにカレーは大好きだ。
 私はお礼を言って素直にカレーパンを受け取ると、一口食べた。
 揚げパンの生地が良い感じの厚さで、中にカレーが多めに詰まっている。……これはなかなか当たりだ。
「どうですか?」
「凄くおいしい」
 感想を言いながら咲にカレーパンを返す。そうすると、咲は私の前にあるタケノコの炒め物を指差して言った。
「私も一口欲しいです」
「いいよ。これまだ使ってないから、よければ」
 言いながら、咲にお箸を手渡そうとする。しかし咲は首を横に振ると、小さく口を開けてこちらに向けてきた。
「あー……。うん、なるほど……」
 咲のしてほしい事を理解した私は、お箸を持ち直してタケノコを一切れ掴むと、咲の口に運ぶ。
 タケノコを口で受け取った咲は、非常に満足げな表情で口を動かしていた。
 真璃といい、咲といい、あーんってそんなにして欲しいものなのだろうか。私はどっちかっていうと恥ずかしいんだけど……。
 しかし咲のほくほくした笑顔を見ていると、なんだかこっちまで顔がほころんでしまう。
 
 それから私たちは雑談を交えながら食事を進めた。
 咲が自分の事を話さないため、私の事を話すか当たり障りのない話題を選んでという形になったけれど、咲は私の事を話すと強い興味を示してくれて、話しやすかった。
 ……誰かとする食事というのは、やっぱり楽しいものだ。


          ◆ ◆ ◆ ◆


 食事を終えて少し休憩し、十三時過ぎ。私と咲は再び談話室に足を運んでいた。
 朝と違うのは、私が日記を持っている他に赤い上着を着ている所か。
「中庭に出るんですか?」
「そう。行こうとしてた所はこれで最後かな」
 そう答えながら、ガラス張りになっている中庭側の壁の、右の端へ歩みを進める。
 そこには、中庭へ出るための引き戸が付いていた。
「春には中庭で一緒に桜を見たりしてたみたい」
「あの真ん中の大きい木ですね」
 会話をしつつ、引き戸を開けて中庭へと出る。
 相変わらずの冷たい空気を吸い込みながら、中庭の中央にある大きな桜の木に近づいた。木の近くにはベンチがいくつか設置してあり、春に桜を鑑賞するには丁度よさそうだ。地面には芝生が張ってあるので、ベンチではなくここに座るというのもありかもしれない。
「それにしても大きいですね~」
 大樹を見上げながらそう言う咲につられて、私もそれを見上げる。こうして近づいてみると、大きすぎて頂点が見えない。
「神社の前にあるのとどっちが大きいですかね」
「前? 後ろじゃなくて?」
 咲の言う神社とは、おそらく木花神社の事だろう。木花神社には、樹齢百年を優に超えるそれはそれは大きい桜の木があるのだが、神社の後ろに生えている。 
 神社の前にもあるにはあるが、それは確か三代ほど前の神主が植えた物で、まだここまでの大きさには成長しきっていない。
「え? 後ろのは絶対これより大きいですよ。前の方のはいい勝負じゃないですか?」
「いやいや、前のやつは勝負にならないよ。絶対こっちの方が大きいって」
 そんな会話をしていると、談話室の方から私たちがさっき聞いたガラガラという引き戸の開く音がした。
 こんな寒い中私たちの他にも中庭に出る人がいるのかとそちらに目を向けると、灰色のロングコートを着た女の人がこちらを見据えている。
 そして、そのままこちらの方へ歩いてきていた。……私たちに用があるのだろうか。
 女の人は私たちの前まで歩いてくると、口を開いた。

「こんにちは、美桜ちゃん。私は、雛本真璃の母です」
 
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