またここで君と逢いたい

きおかわ ひつじ

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3章 此花美桜 2

皆で隠してたって事ですか?

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 図書室に足を踏み入れると、カウンターに若い女性の司書さんが座っているだけで、他に人の影は無かった。まだ九時になったばかりだし、朝から利用する人は少ないのだろうか。
 私は咲を連れて、入り口から見て奥側にある美術関連の本が置いてある棚へと足を進める。
 そしてその棚を見ると、絵画集、彫刻集などの様々な芸術作品が載っている本や、絵の描き方など技術を学ぶための本、芸術の歴史などを説明する本など、一口に芸術関連と言っても多様な種類の本が並んでいた。
 それらを見て、咲が小声で聞いてくる。
「いっぱいありますけど……。美桜さん達はどの本を見てたんですか?」
「……分かんないなぁ」
 日記帳は昨日の夜からずっと眺めていたが、図書室で真璃と絵を鑑賞したという事は書いてあっても、具体的な本の名前などは書かれていなかった。
「絵を観たって書いてあったから、多分絵画集のどれかなんだろうけど……」
 それにしたって数が多い。どの絵画集を手に取っていたかなど分かるはずがない。
 とりあえず真璃の両親が好きだと言っていたフランス絵画が載っていそうな本でも探すのが良いだろうか。
 などと考えていると、咲が私の服の裾を引っ張ってくる。顔を向けると、咲はカウンターに座る司書さんを指差しながら口を開いた。
「美桜さんって有名なんですよね? なら、あの司書さんとか何か覚えてるかもしれませんよ」
「有名って……」
 まぁ有名なんですけど。
 私は咲の提案を受ける事にし、カウンターの方に歩み寄り、司書さんに話しかける。
「あの、すみません。私がここで女の子と一緒に本読んだりしてたのって、見かけたことありますか?」 
 すると、司書さんは頷いて答えた。
「見かけたし、よく覚えてるわよ。なんせ木花神社のお巫女さんですもの」
 思わず苦笑いが出る私に、司書さんは続ける。
「一緒にいたのは雛本真璃ちゃんね。あの子も結構有名だったわよ。いつも美桜ちゃんと一緒にいたから」
「そうだったんですか?」
「ええ。この一年で、真璃ちゃんも病院の中で知らない人はいないレベルになってたわね」
 ……。それは、なんというか。真璃に少し申し訳ない気がしてきた。
「しかも小児病棟の方でも凄い話題になった時があったらしいけど」
「小児病棟?」
 そういえば、日記の中で小児病棟の方に行ったと書かれていた事が一度だけあったっけ。
 日記を開いて見直してみると、それは10月31日の水曜日。

『今日は、小児病棟で開催されたハロウィンイベントにお邪魔させてもらった。一緒に遊んだ子供たちがすごく可愛かった。……真璃に色々しちゃった事は謝ったけど、真璃は全然怒ってないみたいでよかった。思い出すと恥ずかしい』

 日記にはそう綴られていた。……恥ずかしい?
 その単語に引っかかりながらも、一応司書さんに確認を取る。
「それって、去年のハロウィンあたりの頃ですか?」
 私の言葉を聞いて、司書さんは「ああ」と思い出したように声を出した。
「そうそう、ハロウィンの時。私はちゃんと聞いてないから詳しい事は知らないけど、ハロウィンの時に小児病棟の方でも有名になったらしいわね」
「小児病棟って、あっちの建物ですよね?」
 私は図書室の窓から見える、隣に建つ建物を指差しながら聞く。
「そうよ。一応今私たちがいる一般病棟とは渡り廊下で繋がってはいるけど、別の建物だし、担当する先生や看護師さんも別だから、基本的に交流はあまり無いんだけど。ハロウィンの時一回行っただけで、美桜ちゃんはまだしも、真璃ちゃんの方まで知れ渡るって、相当凄い事やったんじゃないかしら」
 相当凄い事……?
「何したんですか、美桜さん」
「いや、覚えてないから」
 後ろからこそっと聞いてくる咲に、嫌な予感を感じながら言葉を返す。
 私の日記と合わせると、相当凄い恥ずかしい事をしたって事になるけど……。……これは後で小児病棟の方にも行ってみた方が良いかもしれない。
 その会話を聞いていた司書さんが再び口を開いた。
「そういえば、もうしなくていいって今朝言われたから聞くけど。今回目を覚ました美桜ちゃんに会ったら、一年ぶりに目を覚ましたように会話を合わせろって言われてたの、あれってなんでだったの?」
 司書さんの言葉が、私は一瞬理解できなかった。
 言葉を詰まらせた私の後ろから、咲が身を乗り出してくる。
「それって、美桜さんが記憶を無くしてることを、今回だけ皆で隠してたって事ですか?」
「ええ、そう。しかも病院内の患者さんにまで徹底してたって聞いたわよ。今まではちゃんと、記憶を無くしてる事を美桜ちゃんに説明してたのに」
 そこまで聞いて、私もそういえばと思い出し、その日記帳に書かれている一番最初の日付まで戻る。
 9月2日の日曜日。

『1月の最後から何も覚えてないけど、私はこの病院で今日まで過ごしている記憶を無くしてしまっているらしい。しかも何度も。その間に友達になったらしい真璃という子に会って、色々教えてもらった。私が記憶を無くす度にいつも友達になってくれているのに、私が忘れてしまうのが悲しくて申し訳ない』

 そうだ。前の私は何度も記憶を失くしてしまっていることについて、目覚めた当日にちゃんと説明されていたんだ。
 なのに、今回だけは皆それを隠していた。しかも、入院している人たちに徹底してまで。
「美桜さん、何か聞いてます?」
「……。ううん。何も聞いてない」
 咲の質問に、私は考えを巡らせながら返す。
 なんで今回だけは私に伝えちゃ駄目だったんだろう。
 院内に徹底出来るほどだから、多分これは先生の指示だろう。……そしておそらく、そこには真璃も関わってる。
 私が何度も記憶を失ってしまう理由を聞くための条件、真璃への気持ちの整理。
 それが果たされた時、この理由もちゃんと説明してくれるんだろうか。
「そっか、美桜ちゃんも聞いてないのね」
 私の答えに、司書さんも気になっていた事が聞けず、少し残念そうにしていた。

 そこで一旦会話は途切れたが、私はすっかり脱線してしまった話を戻すために口を開く。
「ところで、私と真璃がここに来てた事、覚えてるんですよね? どの本を見てたかとか、分かりますか?」
 聞くと、司書さんは「えっとー」と呟きながら席を立ち、さっき私たちが見ていた棚の方へ歩いていく。
 咲と共にその後について行くと、司書さんは棚から、A4サイズほどの大きさで薄めの本を抜き出した。
「これを見てたのは覚えてるけど……、それ以外は分からないわ。ごめんね」
「いえ、十分です。ありがとうございます」
 本を受け取りながらお礼を言うと、司書さんはカウンターの方に戻っていった。
 それを見届けてから、私はその本の表紙を見てみる。
「絵画コンクールの受賞作品が載ってる本みたいですね」
「そうみたいだね」
 世界的に有名な絵画コンクールで受賞した作品が、ジャンルや年齢層別に載っている本のようだ。『2017』と大きく書いてあるから、約二年前に出版されたものだろうか。
「なんでこの本なんでしょうか」
 咲の質問に首を横に振りながら、とりあえずパラパラとページをめくってみる。
 半分ほど見送ったところで、私は手を止めた。……いや、『その絵』が目に入った途端、手が勝手に止まった。
 そこに載っていたのは、ある風景画。
 果てしなく広がる青い空と湖。そして、その間に描かれた緑の丘に、横一列に生える何本もの桜の木。桜は湖にも映り込み、青色と緑色と桃色のバランスが、幻想的な情景を作り出していた。
「————うわぁ……」
 横から覗き込んでいた咲が、声を漏らしている。思わず声が漏れてしまうほど、この絵は美しい。
 その絵の下に書かれたその風景画を描いた人の名前。
「……真璃だ」
 その絵は二年前、中学二年生だった頃の真璃が描いた物だった。
「え、これ、真璃さんが描いたんですか!?」
 咲は驚きを隠せず、今まで抑えていた声を大きくしてしまっている。
 私はその絵を見て、並んでいる桜を手でなぞると、自然と口が開いた。
「……やっぱり凄いなぁ、真璃は」
 そして、何故か気恥ずかしいような、嬉しいような気持ちが胸の奥から湧いてくる。——なんだろう、これは。なんでこんな気持ちを今感じているんだろう。
 聞いていた咲が、こちらに目を向けてくる。
「やっぱり、って。美桜さんは真璃さんの絵、見たことあったんですか?」
「ん、まぁね。鉛筆でスケッチしたものを見ただけだったけど」
 初めて談話室で会った時、中庭のスケッチをしていた真璃を思い出しながら答えた。
 それに納得した咲は、再び絵の方に目を戻す。
「ほんと、凄いですね真璃さん。わたし、絵を見てつい声を出したのなんて初めてでした」
 そして私たちは、棚の前で立ち尽くしている事も忘れて、しばらくその真璃の絵に目を奪われていた。


               ◆ ◆ ◆ ◆


「色々聞かせてくれてありがとうございました」
 そう司書さんにお礼を言って、私たちは図書室から出る。
「次はどこに行くんですか?」
「小児病棟かな。さっき気になる事もあったし」
 私の横に並ぶ咲にそう答えるも、そういえば私は小児病棟に続く渡り廊下の場所が分からない事に気付いた。
 図書室の向こうに見えたんだから、多分一階の廊下をそっち方面に歩けばあるんだろうか。
「じゃああっちですね。行きましょう」
 そんな風に考えていたが、咲はそう言いながら、もう足を動かし始めていた。
 私は驚いて、咲に追いついてから尋ねる。
「よく知ってるね、咲」
「あー。まぁ、ちょっと、お世話になった時があったので」
 なんとなく歯切れが悪く言う咲の後について、私は小児病棟目指して歩みを進めた。
 
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