たまき酒

猫正宗

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01 就職祝いと割烹料理

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 第1ターミナルビルの2階にある、国内線発着フロア。

 そこに辿り着いた私は、キョロキョロと周囲を見回す。

 たしかこの辺りにいるはずだけど……。

「あ、いた」

 向こうの方に革のトランクケースとショルダーバッグを持って立ち止まっている女子を見つけた。

 あの子の名前は宵宮いのり。

 私の少し歳の離れた妹である。

 近づいていくと、いのりの方も私に気付いた。

「お姉ちゃーん。こっち、こっち」

 笑顔で大きく手を振ってくる。

 そんなにアピールしなくても分かっているというのに、相変わらず微笑ましい妹である。

 私は苦笑しながら、小走りで彼女のもとに駆ける。

「や、いのり。久しぶり。元気してた?」

「うん! 環お姉ちゃん、久しぶりー。わたしはずっと元気だけど、お姉ちゃんの方こそ元気にしてた? 不摂生してないかってお母さんもお父さんもいつも心配してたんだよ? ちゃんと毎日三食食べてる? 昼夜逆転してないかな? あとお酒は飲み過ぎてない?」

 再開するなり矢継ぎ早に質問される。

 これだとなんだか、私のほうが保護される立場になったみたいだ。

「ふふ。なぁに、あんた。そんなに一息に聞いてきて、まるでお母さんみたいじゃない」

「うー。わたしだってお姉ちゃんのこと心配してたんだよぉ。だって小説家って部屋に篭りきりで、生活リズムが乱れやすいお仕事なんでしょ?」

「んー。まぁ否定はしないかな」

 私は作家を生業にしている。

 まだまだひよっこではあるものの、幸いにしてデビュー作である『グラスホッパーがぁる』がそこそこ売れてくれたおかげで、その後も継続して小説の仕事にありつけている。

 といっても裕福なわけではなく、生活費の足しにするために雑誌のコラムや商品紹介の記事なんかも書くフリーランスの文筆家。

 それが私の職業なのである。

「やっぱり! なるべく毎日外に出たほうがいいよ? 運動はしなきゃ。心配だなぁ」

「こら、生意気言ってんじゃないの。ほら、荷物貸して」

 バッグを持ってあげようと、いのりのそばに近寄る。

 すると彼女は何かに気付いたように少し眉を顰めた。

 私のほうに顔を近づけて、すんすんと鼻を鳴らしてくる。

「……お姉ちゃん、ちょっとお酒の匂いする。もしかして、昼間っから飲んでたの?」

「うっ……」

 どうやら今し方ラウンジで軽く引っ掛けてきたことがバレてしまったようだ。

「あ、あはは。
 えっとー」

 私は頭を掻いて誤魔化そうとした。

「あー! ほんとに飲んでたんだー!」

 どうやら誤魔化せなかったらしい。

「う、うるさいな。あんたを待ってる間にちょっとビールを飲んだだけだってば」

「何杯飲んだの?」

「い、1杯……」

「ほんとに? ほんとの、ほんとぉ?」

「に、2杯かな」

「やっぱりー! もう、お姉ちゃんは仕方ないなぁ。そんなんじゃいつか身体壊しちゃうんだから」

「わかった、わかったってば。これから気をつけます。それよりほら、荷物貸しなさい」

 無理やりお説教を打ち切って、ショルダーバッグをひったくる。

 ずっしりと重い。

 中に詰め込まれているのは当面の着替えや生活用品なんかだろうか。

 就職のために上京してきたこの妹は、先に都内で一人暮らしを始めていた私のマンションに今日から転がり込んでくることになっていた。

「さ、いくわよ」

「あ、待ってお姉ちゃん」

 先導するように前に立って歩き出した私の隣に、早足で追いついてきたいのりが並ぶ。

「ね、ね、お姉ちゃん。お酒って美味しい?」

「なぁに、いのり。あんた興味あるの?」

「うん。実はちょっと。今年からわたしも二十歳でお酒の飲める歳になったし、色々教えて欲しいなって。だってお姉ちゃんもそうだけど、お母さんもお父さんも、みんな美味しそうに飲むんだもん」

「まぁ、うちの家族はみんなお酒を嗜むもんねぇ。お父さんなんてうわばみだしさ」

 肩を並べたいのりを、歩きながら眺める。

 髪は前にあったときより少し伸びていて、肩に掛かるくらい。

 化粧っ気は控えめだけど、くりっとして大きな瞳が愛らしさを印象づけてくる。

 全体的にまだ垢抜けない感じではあるけれども、間違いなく美人の類いで、歳の割に少し幼げな振る舞いや、ふわっとした柔らかい雰囲気がいかにも男性受けしそうだ。

 この可憐な妹も我が家の御多分に漏れず、先々お酒好きになったりするのだろうか。

 うーん。

 悪い男に捕まったりしたら大変だし、これは私がちゃんとしたお酒の嗜み方を教えてあげないとなぁ。

 密かに決意を固める。

「どうしたの、お姉ちゃん。さっきからずっとわたしの顔を眺めてるけど」

「なんでもないの。それよりお酒ね。じゃあ今晩は楽しみにしてなさい」

「え、なになに? もしかしてどこか連れて行ってくれるの? 都会のお店? やったぁ。わたし期待しちゃうから!」

 無邪気に喜んでいるいのりに和む。

 私たちは久しぶりの再開に会話を弾ませながら、空港直結の電車に乗り、マンションへと向かった。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 電車を乗り継いで最寄りの駅から徒歩二十分。

 私の住まうマンションへと帰り着いた。

 バッグから鍵を取り出し、玄関を開けて背後のいのりを振り返る。

「さ、上がって」

「はぁい。お邪魔しまぁす」

「ただいま、でしょ。これからここがあんたの家になるんだから。あ、トランクは一旦廊下にでも置いといて。いまから部屋を案内するから」

「うん! ……って、あれ?」

 いのりの視線を追う。

 ちょうど廊下の奥から、一匹の猫がとことこ歩いてくるところだった。

 その猫は私たちの手前で立ち止まり、ちょこんと行儀良く座ってから交互に顔を見上げてくる。

「あら、出迎えてくれてるの? ほら、いのり。このニャンコがいつも写真で見せていた――」

「うわぁ! もしかしてねぎさん? 可愛い!」

 いつの間にか興奮していたいのりに、言葉を遮られた。

 キラキラした目で猫を眺めている。

 この子はねぎさん。

 五歳のオスのサビ猫で、我が家の同居人だ。

 ちなみにとても性格がいい。

 なんでもサビ猫は一般的に性格が良いこが多いらしいのだけど、そのなかでもねぎさんは特別だと思う。

「ニャ」

 ねぎさんが、いのりに向けて短く鳴いてみせた。

「鳴いた! いまねぎさん鳴いたよ、お姉ちゃん! 可愛いねぇ、可愛いねぇ」

「ふふふ。もしかすると『いらっしゃい』って言ってるのかもね」

「うわー、うわー! 画像で見てたのよりずっと可愛いね! ねぎさん、よろしくお願いします。今日から一緒に住むことになった宵宮いのりです」

「ミャア」

「わっ返事したよ⁉︎ 頭いいのねぇ。ねぇお姉ちゃん、撫でてみていいかな?」

「いいんじゃない? ねぎさんが嫌がらなければ、だけど」

 こくりと頷いてみせてから、いのりはおずおずと手を伸ばす。

 そのまま猫の小さな額にぽふっと手を置いた。

「ふわぁ……。もふもふだぁ……」

 いのりは夢中でねぎさんを撫でている。

 一方のねぎさんも目を細め、喉をぐるぐると鳴らして気持ちよさそうだ。

 一人と一匹がそうしてしばらくコミュニケーションをとっていると――

「……あっ」

 ふいにねぎさんが顔を背けて、廊下の奥へと去って行った。

「あ、ねぎさん。……行っちゃったぁ」

「もう挨拶は済んだってことかもね」

「そっかぁ。でももう少し撫でたかったなぁ」

 いくら性格がよいとは言え、ねぎさんとて猫だけあって気まぐれな面も持ち合わせているのだ。

「ほら、そんな顔しないの。それより部屋に荷物を置いたらお茶にしましょう。あんたも田舎から出てきて疲れたでしょ? 少し座って休むといいわ」

 私は残念そうにしているいのりの背中を押して、部屋へと招き入れた。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 リビングの窓から外の景色を眺める。

 向かい側のマンションの壁が茜色に染まっているのが目に映った。

 時刻は夕方五時半。

 いのりはお茶を飲んで休憩したあと、少し横になりたいと言ってからソファで眠ってしまっていた。

 きっと田舎から出てきて疲れていたんだろう。

 私は可愛らしい寝息をたてる、少し歳の離れた妹の寝顔を眺める。

 まだ小さかったこの子がこの春もう短大を卒業して就職だなんて、ちょっと見ない間に成長したものだ。

 時の流れの早さを実感してしまう。

 と、それはともかくとして、そろそろ予定の時間だ。

 今日はこの子を連れていってあげようと思って、少し良いお店を予約しているのである。

「いのりー。そろそろ起きなさい」

 ソファの前まで歩み寄り、寝こける彼女の肩を揺さぶった。

「……ん、んぁ」

 いのりは重たげにまぶたを開くと、身体を起こしてからまだ眠たそうにあくびをする。

「ふぁぁ……。あ、わたし、寝てた?」

「寝てた寝てた。でももう起きる時間よ。これからちょっと予定があるんだから」

「……予定?」

 眠気まなこを指でこすりながら、首を傾げる。

「ええ。空港で言ったでしょ? 今晩は楽しみにしてなさいってさ」

「あ、そうだった。都会のお店!」

 ようやく完全に眠気を飛ばしたようだ。

 ソファに座り直したいのりが、テーブルに手をついてわくわくした顔を向けてくる。

「そ、都会のお店。といってもそこまで気取らないお店なんだけどね。いまから食べに行くから出掛ける準備して」

「やった! ちょっと待っててね!」

 いのりは私に笑顔を向けて、胸の前で小さくガッツポーズをしてみせた。

 ◇

 暖簾を潜りながらガラガラと引き戸を開き、檜づくりの清潔な店内に踏み入る。

「すみませーん。2名でお願いしていた宵宮です」

 本日予約していたのは、都内の繁華街にある割烹料亭『山岡』だ。

「いらっしゃいませー。お待ちしておりました」

 出迎えてくれた女将さんに、案内してもらう。

 通されたのはカウンター席。

 というかそもそもこのお店にはテーブル席は据えられておらず、カウンター席がわずか十名分あるのみ。

 四十歳ほどと思しき板前の山岡さんと、女将かつホールスタッフの奥さんのふたりだけで切り盛りしている、こじんまりとした料亭なのである。

 女将さんがおしぼりを差し出してきた。

「こちらどうぞ。料理のほうは順番にお出ししていきますので、お飲みものが決まりましたらご注文くださいね」

 受け取ったおしぼりで手のひらを拭う。

 冷んやりして心地よい。

「ね、ね、お姉ちゃん。なんだか高そうなお店だね」

 左側の席に座ったいのりが、店内を見回しながら耳打ちしてきた。

 つられて私も辺りを眺める。

 落ち着いた上品な内装で、BGMなんかはとくに流されていない。

 私たちのほかには3名で1グループの客が歓談しながら料理を楽しんでいるのみである。

「わたしこんなお店初めてだから、緊張するかも」

「そんな硬くならなくても大丈夫。たしかに普通の居酒屋なんかより高級だけど、それでも割烹料亭のなかではリーズナブルなお店なんだから」

「へぇー、そうなんだ。お姉ちゃんはよく来るの?」

「まさか。そう何度も来れないわよ。でも出版祝いだったり重版祝いだったりで、何度か担当編集に連れてきてもらったことがあるの。ここの料理、すっごく美味しいのよぉ? 期待してて」

「わぁ、楽しみ!」

「んふふ。今日はあんたの引越し祝い兼、就職祝いだからね。たくさん食べなさい」

 メニュー表に手を伸ばし、ドリンクのページを開く。

「さぁて。飲み物はなんにするかなぁ」

 ソフトドリンクのページはすっ飛ばして、アルコールメニューを眺める。

 ビールにウィスキー、日本酒、焼酎。

 一通り揃っているが、日本酒についてはその時々で銘柄が異なるようで『スタッフにお尋ね』となっている。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん」

  いのりに服の二の腕辺りをひかれた。

「わたし、日本酒飲んでみたい」

「あんた、日本酒飲んだことあるの?」

「ないよ。だから教えて。日本酒って銘柄によって味が違うんだよね?」

「それは日本酒に限った話じゃないわね。ビールだってウィスキーだって焼酎だってそうよ。それはそうとして、初めての子でも飲みやすい日本酒かぁ」

 考えていると、カウンターのなかから声を掛けられた。

 板前の山岡さんだ。

「今日の料理に合わせるなら、お勧めは『風の森』と『黒龍』、あとは『久保田』辺りですかね。この黒龍は純吟垂れ口って季節限定のお酒ですね。どれも初めてでも飲みやすいですよ」

 山岡さんは一旦料理の手を止めて、日本酒の一升瓶をそれぞれ私たちの目の前に並べてくれた。

 どれも美味しそうだけれど、そのなかでも黒龍の純米吟醸、垂れ口と書かれた桃色のラベルが一際目を引く。

「このピンクのラベル、なんだか可愛い……」

「黒龍かぁ。私も垂れ口は飲んだことないなぁ。それにこの時期限定のお酒って話だし。……よし、じゃあこれに決めた。山岡さん、これ冷やで二合ください。お猪口ふたつで」

「黒龍ですね。あいよ」

 二合徳利になみなみと注がれた日本酒が、お猪口とともに差し出された。

 徳利もお猪口もどちらも分厚い真鍮製で、ずっしりとした重さを感じさせる。

 私はまずいのりにお酒を注いであげてから、自分のお猪口にも注ぐ。

「じゃあ乾杯。いのり、就職おめでとう」

「ありがとう、環お姉ちゃん。乾杯」

 カチッと小さくお猪口を合わせる。

「じゃ、じゃあ飲むね……!」

 いのりは恐る恐るお猪口を持ち上げ、唇を添えてからゆっくりと傾けた。

「んく……。ふぅ」

「どう?」

「うん、美味しい! なんだかこう、甘いカクテルと違って味わいが深くて、喉がきゅーっと熱くなる感じがする」

「日本酒は結構アルコール度数高いもんね」

「でもなんだかいい気分かも。わたし、これ好きかもしれない」

「そっか」

 日本酒をお気に召したらしい彼女に頷いてみせてから、私もお猪口に指を添え、鼻先まで持ち上げた。

 桃のような林檎のような、なんとも芳醇でフルーティな吟醸香が漂ってくる。

 その香りをひとしきり堪能してから、まずはひと口、薄にごりの黒龍を口に含んだ。

「ん……」

 ぴりりと頬の内側が痺れるような酸味。

 だが辛味にも似たその味わいは、すぐに甘味に取って変わっていく。

 米の旨みを口いっぱいに感じながらごくりと飲み干すと、舌に残った後味は驚くほどさっぱりとしていて上品だ。

「はぁ……。美味しい」

「ねー! するする飲めちゃう」

 いのりの言う通りである。

 その証拠に、私も考える前にふた口目を飲んでしまっている。

「んく、んく、ぷはぁ。あー、美味し。黒龍の純吟垂れ口かぁ。これはいいお酒だわ」

 しっかりと味を覚えておこう。

 そうしたらいつか、執筆に活きるかもしれないしね。

 そんなことを考えてしまうのは職業病なのかもしれないけれども。

 というのも私の作家としてのデビュー作である『グラスホッパーがぁる』は、私自身の飲み歩きの実体験をフィクションに落とし込んだ小説だからなのだ。

 ◇

「失礼します。お酒はお気に召されましたか?」

 お盆を手にした女将さんがやってきた。

「ええ、とても」

「それは良かった。ではお料理もお出ししていきますね。こちらは『ホタルイカと菜の花の和風ジュレ和え』になります」

 カウンターテーブルに置かれた小鉢を眺める。

 キラキラと光を反射するジュレが鮮やかに茹でられた具材にたっぷりとかけられ、まるで輝く海面のような美しさである。

「わぁ、綺麗! 見て見て、お姉ちゃん!」

「ふふふ、ちゃんと見てるってば」

「あ、そうだ。わたしスマホで撮影しておこっと。あとでお母さんに送ってあげるんだぁ。ねぇお姉ちゃん。こういうお店って、お料理撮ってもいいんだよね?」

「そりゃあ別に構わないんじゃない?」

「だよね!」

 料理の撮影を始めたいのりを横目に、私は箸でホタルイカと菜の花を持ち上げた。

「じゃあ、いただきます」

 一緒くたにして頬張る。

 すると口のなかでジュレがほろほろと溶け出し、口内全体を覆う和風出汁となって具材に絡み付いていく。

 噛むとホタルイカのくにっとした弾力が楽しい。

 ほのかに舌に感じる菜の花のほろ苦さも、絶妙だ。

 ゆっくりと味わってから、ごくんと飲み込んだ。

「お姉ちゃん、これ、美味しいねー!」

 隣を見れば、いのりが頬っぺたを押さえて嬉しそうに微笑んでいた。

「ええ、ほんとに。きっとこれ日本酒にも合うんじゃない?」

 くいっとお猪口を傾けてみた。

 やっぱりだ。

 この料理はお酒が進むよい肴だ。

 感心していると、女将さんが次の料理を持ってやってきた。

「こちらは『あさりとたけのこのお吸い物』になります。熱いのでお気をつけ下さいね。次はお寿司になります。旬のネタを握っていきますので、苦手なものがあれば遠慮なく言ってください」

「お姉ちゃん、お寿司だって! 楽しみぃ」

「ふふ。あんまりはしゃがないの。お寿司の前にお吸い物を味わってみましょうよ。どれどれ?」

 お吸い物のお碗を持ち上げる。

 ふわりと漂ってきた柑橘系の香りに誘われるように熱いお汁をすすると、染み出したあさりの優しい味わいと温もりが、食道から胃へ向かって流れ落ちていく。

 身体は芯からぽかぽかだ。

 それにこのお吸い物は、若いたけのこのぽりぽりとした食感も心地よい。

「握り、こちらに置いていきますんで」

 一息ついた頃合いを見計らって、カウンター向こうから板前の山岡さんが握り立てのお寿司を差し出してきた。

 次から次へと握られてくるお寿司を、順番に口に放り込む。

 絶妙な力加減で握られたシャリが、ほろほろと口のなかで解けて、旬の寿司ネタと混じりあっていく。

 たまご、ひらめ、金目鯛、しゃこ、ホタルイカ。

 どの握りも素晴らしい。

「んー! 最高。美味しいー」

 いのりはさっきからニコニコしっぱなしだ。

「次はメインのお料理『和牛フィレステーキ』になります。鉄板熱いのでお気をつけ下さい」

 女将さんが料理を置き、空いたお皿を下げてくれる。

「わ、お肉だよ! 和牛だって! お寿司のあとにステーキだなんて、こんな贅沢していいのかな?」

「いいんだって。今日はあんたのお祝いなんだから」

「えへへ。そっかぁ」

 いのりが頷いてからステーキに箸を伸ばした。

 ここは気取らない料亭だし、ステーキだってお箸で食べるのだ。

 私もいのりに倣って、熱く焼けた鉄板の上でジュウジュウと脂を弾けさせている和牛フィレの、カットされた一切れを摘んで口に放り込む。

あふっ」

 頬の内側に焼けるような熱さを感じた。

 それを堪えつつぎゅっと噛み締める。

 お肉の内側に残されたレアな部分が程よい弾力を奥歯に伝えてきた。

 じゅわっと溢れ出してきた肉汁が堪らない。

 柔らかいのに脂っこすぎないフィレ肉は、赤身の旨味がたっぷりだ。

 これはお酒と合わせたくなる。

「んく、んく、ぷはぁ」

 お猪口を傾け、日本酒と一緒にお肉を飲み込んだ。

 もう一度日本酒を煽り、今度は口のなかに残った肉汁の余韻をお酒で濯いていく。

 堪らない満足感――

 左隣りを眺めれば、いのりも夢中になってお肉を食べ、日本酒を堪能していた。

 ◇

 すべての料理を平らげ、くちくなったお腹をひっそりとさする。

 茶碗蒸しも、締めのデザートも全部美味しかった。

 黒龍のほうも追加して、いのりとふたりで合わせて全部で五合も飲み干してしまった。

 やはり肴がうまいとお酒も進むのだ。

 でもちょっと飲み過ぎたかな。

 頭が少しふわっとしている。

 これくらいが程よい切り上げどきだろう。

 ところでいのりはというと――

「うへへぇ……。お姉ちゃぁん。なんだかぽかぽかしてきたよ? でも楽しいねぇ」

 彼女は少しばかり頬を赤くし、にやけた顔でほろ酔いになっていた。

「あ、酔ってるな?」

「酔ってないよぉ」

「ふふふ。お酒飲みはみんなそう言うんだって。じゃあ料理も食べたことだし、そろそろ帰ろっか」

「はぁい。お腹いっぱいだぁ。お姉ちゃん、ご馳走様です」

「はいはい」

 お勘定をしてもらってから、店を出た。

 春とはいえ夜の空気はまだ少し肌寒く、お酒で火照った身体に心地よい。

「タクシー拾って帰るよ。ほら、いのり。しゃんとしなさい」

「しゃんとしてるってばぁ」

「……まったく、この子ってば飲兵衛の素質があるなぁ」

 これはやはり、悪い酒癖がつく前にしっかりと私が飲み方を教えて上げないといけない。

 そんなことを思いながら、いのりの背中を支えていると、何を思ったのか突然酔った妹が抱きついてきた。

「お姉ちゃん、大好きー。これからよろしくねぇ」

「ああ、はいはい。よろしくよろしく。って、あんたちょっとお酒くさいわよ」

「お姉ちゃんと一緒ぉ」

 まったくこれだから酔っ払いは……。

 とはいえ、まぁ私だって酔ってるときは似たようなものなんだろうなぁ。

 苦笑しながらも私は内心では、賑やかになりそうなこれからの毎日に想いを馳せていた。
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